『ファイナルアカウント 第三帝国最後の証言』

TOHOシネマズシャンテが入っているビル外壁にあしらわれた『ファイナルアカウント 第三帝国最後の証言』キーヴィジュアル。
TOHOシネマズシャンテが入っているビル外壁にあしらわれた『ファイナルアカウント 第三帝国最後の証言』キーヴィジュアル。

原題:“Final Account” / 監督&脚本:ルーク・ホランド / 製作:ジョン・バトセック、ルーク・ホランド、リーテ・オード / 製作総指揮:ジェフ・スコール、ダイアン・ワイアーマン、アンドリュー・ラーマン、クレア・アギラール / アソシエイト・プロデューサー:サム・ポープ / 編集:ステファン・ロノヴィッチ / 追加編集:サム・ポープ、バーバラ・ゾーセル / 音楽監修:リズ・ギャラチャー / ゼフ・プロダクション&パッション・ピクチャーズ製作 / 配給:PARCO×ユニバーサル映画
2020年アメリカ、イギリス合作 / 上映時間:1時間34分 / 日本語字幕:吉川美奈子 / 字幕監修:渋谷哲也 / ナチス用語監修:小野寺拓也
2022年8月5日日本公開
公式サイト : https://www.universalpictures.jp/micro/finalaccount
TOHOシネマズシャンテにて初見(2022/8/9)


[粗筋]
 1920年代からナチス党が台頭し、1933年にアドルフ・ヒトラーが首相になったことで、いわゆる《ナチス・ドイツ》は誕生する。《第三帝国》と称し、第二次世界大戦のなかで一時はヨーロッパ全域を支配下に収めたが、やがて劣勢となり、1945年4月30日にヒトラーは自殺、ドイツの降伏によって崩壊した。
 最盛期、国民にとって誇りであり憧れの対象でもあったナチスには、子供たちも多く参加する。そして彼らは、その意味も知らぬままに、ユダヤ人虐殺に関わった。
 自身がユダヤ人である映画監督ルーク・ホランドは、終戦から60年を越えた2008年より、かつてナチスに関わり、いまは老境に至った少年少女たちにインタビューを実施した。彼らの言葉から、当時のナチスの姿を再現し、そして半世紀以上隔ててなお彼らを縛る“罪と罰”を浮き彫りにしていく――


[感想]
 映画『ジョジョ・ラビット』は、ヒトラーを尊敬し、ナチス党の制服に憧れる少年を主人公にしている。のちの視点で眺めれば暗黒の時代だが、しかし当時、多くのドイツ国民にとって、第一次大戦の敗北により傷つけられたドイツの尊厳を恢復する救世主であり、希望をもたらす存在であったことは確かなのだ。庇護される立場であれば、そして門戸が開かれているなら、与しようと考えることは不思議ではない。
 本篇は、そうしてナチス党に若き親衛隊員として加わった、或いは何らかのかたちで関与した当時の少年少女たちに、ナチス・ドイツの終焉から60年以上を経て実施したインタビューと、記録映像の数々で構成されている。言ってみれば、真実の『ジョジョ・ラビット』だ。
 しかし、本篇の証言によって紡ぎ出される世界は、コメディタッチで力強かった『ジョジョ・ラビット』とは違う。あの作品も一面の真実を切り取っていた、と私は捉えているが、本物の証言に基づく本篇が露わにするナチス・ドイツの姿はより生々しい。フィクションのように真実を悟らせるヒントを提示してもらえず、時代に流されるようにその蛮行に手を貸し、或いは黙認してしまう、当時の少年少女たち。
 薄々、その行為が人道に悖るものだ、と察していても、当時の空気のなかで指摘できるはずもない。むしろ多くの証言者は、ナチス・ドイツが迫害したユダヤ人を積極的に告発さえしていた。居合わせながらも決して直接的に関わり合わない、実際の蛮行を眼にすることのなかったかつての少年少女たちが淡々と語るさまは、それだけでも戦慄を覚える。
 だが本篇の何よりも――こういう言い方はいささか軽率にも思えるが――興味深いのは、当時の出来事の受け止め方がそれぞれに大きく異なっている点だ。ひとりの証言者は自らがユダヤ人虐殺に間接的であれ関わったことを悔い、近年になってナチズムへの憧れを示す若者たちと対談し強い口調で戒める。かと思えば、直接的に手を下さなかったから、という理由で責任を問う声を無視する者もいる。それどころか、未だヒトラーを評価し、親衛隊に加わっていたことを誇る者もいるのだ。虐殺については否定的な物言いをしても、自らの所属した組織の栄光は未だに信じている。貴方にも責任があったのではないか、という撮影者の強い問いかけに言葉を濁しながらも、その姿勢だけは変わらなかった。
 自身がユダヤ人であり、祖父母が迫害を受けたという監督だろうか、証言者に対していくぶん感情を露わにした声で追及する場面があり、そこで少々冷静さを欠いた印象を与えるのが惜しまれるが、本篇のスタンスは概ね、フラットを保っている。そして、だからこそ、人によって異なり、決して単純化できないその心情を抽出する。
 本篇を観ていると、1930年代から第二次世界大戦が終わるまでのドイツでの出来事は、決して過去のことでも、他人事でもない、と感じる。世の中が“正しい”と訴えることであれば従ってしまう空気、それを批判することも認められない同調圧力。当時のユダヤ人を襲った惨劇ほどの規模はないにせよ、似たような状況はその後も、そして今に至っても繰り返されているのだ。それを無邪気に信じ続けられる者もある一方で、もはや贖うことの出来ない罪悪感を背負い続ける者もある。
 本篇を観たからと言って、その悲劇を避ける方法は得られない。しかし、もっと冷静で、客観的であれ、と己に言い聞かせたくなるはずだ。誰もが情報を発することが出来る一方で、気づかぬうちに思考や判断にバイアスがかかってしまいがちな現代だからこそ、知っておくべき真実が、本篇の中には現れている。


関連作品:
ジョジョ・ラビット』/『ソフィーの選択』/『コリーニ事件』/『異端の鳥』/『オードリー・ヘプバーン

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