『フォードvsフェラーリ(字幕・IMAX)』

TOHOシネマズ日比谷のロビーにて撮影した、作品パンフレット。

原題:“Ford v Ferrari” / 監督:ジェームズ・マンゴールド / 脚本:ジェス・バターワース、ジョン=ヘンリー・バターワース、ジェイソン・ケラー / 製作:ピーター・チャーニン、ジェームズ・マンゴールド、ジェンノ・トッピング / 製作総指揮:ダニ・バーンフェルド、ケヴィン・ハローラン、マイケル・マン、アダム・トムナー / 撮影監督:フェドン・パパマイケル / プロダクション・デザイナー:フランソワ・オデュイ / 編集:アンドリュー・バックランド、マイケル・マクスカー、ダーク・ウェスターヴェルト / 衣装:ダニエル・オーランディ / キャスティング:ロナ・クレス / 音楽:マルコ・ベルトラミ、バック・サンダース / 出演:マット・デイモンクリスチャン・ベールジョン・バーンサルカトリーナ・バルフ、ジョシュ・ルーカス、ノアー・ジューブ、トレイシー・レティス、レモ・ジローネ / 配給:20世紀フォックス

2019年日本作品 / 上映時間:2時間32分 / 日本語字幕:林完治

2020年1月17日日本公開

公式サイト : http://www.foxmovies-jp.com/fordvsferrari/

TOHOシネマズ日比谷にて初見(2020/01/23)



[粗筋]

 アメリカで大衆車を販売し一大帝国を築いていたフォードは1963年、販売不振によって事実上の倒産状態となった。創業者の孫であり現在の経営者ヘンリー・フォード2世(トレイシー・レッツ)は工場の操業を停止し、この危機的状況を打開する案を募る。

 そこでマーケティング戦略担当のリー・アイアコッカ(ジョン・バーンサル)提案したのが、ル・マンへの出場だった。フランスの市街地を用いたコースを24時間走り続ける、世界的にも高い知名度を誇るこのレースに勝利すれば、若者に対する宣伝効果は計り知れない。この3年間、ル・マンではフェラーリ絶対王者として君臨しているが、レースへの過剰な投資が原因で、フェラーリもまた財政危機に陥っていた。この機に乗じフェラーリを買収すれば、その実績でル・マンを制覇できる。

 交渉は成功するかに見えた。だが、いざ書類に目を通すなり、フェラーリの創業者であるエンツォ・フェラーリ(レモ・ジローネ)は提案を拒絶する。それどころか、フェラーリはフォード社の工場や彼らが作る自動車、更にはフォード2世までも悪し様に罵った。

 このことが、フォード2世を激昂させた。フォード2世はアイアコッカに、ル・マンでのフェラーリ打倒を命じる。

 社長の命を受けたアイアコッカ接触したのは、カー・エンジニアのキャロル・シェルビー(マット・デイモン)だった。かつてはアメリカ人で唯一ル・マンを制した凄腕のレーサーだったが、心臓の病が発覚して引退、現在は自動車販売業を営みながら、“シェルビー・アメリカン”というチームでレースに車を送りこんでいる。

 シェルビーに話が持ち込まれた時点で、次回のル・マンまで3ヶ月程度しか猶予がない。この短期間にフェラーリに対抗しうるレーシングカーを設計するためには、天性のドライバーが必要だ、とシェルビーは考えた。

 シェルビーにはひとり、心当たりがあった。極めて闘争心に溢れたレーサーだが、狷介な性格故に組織に所属せず、自動車整備工場を営みながらレースに出場を続けていたケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)である。

 ケンは放漫経営が災いして工場を国税局に差し押さえられたばかりで、妻のモリー(カトリーナ・バルフ)に「レースから身を引く」と誓ったばかりだった。だが、好待遇と、何よりも短期間で王者を倒す、という挑戦に魅せられてしまった。

 だがこの挑戦は決して一筋縄では行かなかった。敵はフェラーリだけではなく、フォードの内部にも存在していた――

[感想]

 その身体をも震わすような爆音と風を引き裂く走行音は、たぶんカーレースへの関心のあるなしに拘わらず、人を惹きつける力がある。

 本篇も、劇場で鑑賞する醍醐味はまさにこのカーレースの描写だ。運転手目線の強烈な疾走感と、待機するクルーたちの目線で感じる轟音、それにレーシングカーと併走する視点が表現する凄まじい緊張感。これらを堪能したいならば間違いなく劇場で、それも出来るだけ音響機器の揃ったところで観るべきだ。

 しかしこの作品、カーレースを題材にはしているが、そればかりでなく、ひとびとのプライドを賭けた様々な対立、相克が熱い。

 題名からも解るとおり、発端は企業対企業の対立だ。フォードもフェラーリもその当時、どちらも経営的には傾いている状況だったが、フェラーリは自らの美的感覚ゆえにフォードを拒絶し、フォードは威信を賭けて打倒フェラーリに臨む。他の出資元を捕まえたフェラーリはともかくフォードはレースにかまけている場合ではなかったはずなのだが、絶対王者の打倒こそ起死回生の一手と信じ邁進する。

 だが、短期間でフェラーリを破るために用意したスタッフは、決して一枚岩ではない。この段階で本篇の中心人物であるエンジニアのシェルビー、レーサーのマイルズという2人だが、いざことが動き始めると、このふたりを中心とするチームとフォード経営陣とのあいだに軋轢が生じる。予算の使い方で衝突し、チームとしての運営方針でも意見が割れ、同じフォードの内部でふたつのチームが争うような事態にまで発展する。このくだりに達すると、「フェラーリとの対決はどこ行った?」という気分になるほどだが、理不尽にして滑稽なこの対立にも緊迫感とドラマは滲む。

 そして最も熱い戦いを繰り広げるのは、物語の中心として描かれるシェルビーとマイルズだ。かたや心臓の病でドライヴァーとして現役を退き、エンジニアとして情熱を繋いでいるが、それ故に未練と共に強いこだわりを持ち続けるシェルビー。かたやドライヴァーとしての技倆にエンジニアとしての発想力も豊かだが狷介な性格故に孤独な道を歩んでいたマイルズ。いずれも妥協を知らず、自らの理想に貪欲であるから、チームメイトになる以前からも、組んで以降も衝突を繰り返す。

 だが企業同士や、経営陣と現場の対立と異なるのは、しょっちゅうぶつかり合いながらその実、このふたりが誰よりもお互いを理解している、という点だ。互いの言動に苛立ちを募らせ、激しく殴り合う場面もあるが、直後にスッキリとした表情で語り合ったりする。上層部との駆け引きの結果、不本意な判断をせざるを得なくなったときに、声を荒らげたりこそすれ決して責めすぎないあたりに、互いの立場や心情への深い理解が見えるのだ。

 ふたりの才能は、上層部の理解の乏しさや、隔たりの大きな優先順位に悩まされながらも、初期の目的である“打倒フェラーリ”に向け、マシンの改良を重ねていく。様々な障害、苦悩を経て作り上げていくから、レースのシーンの疾走感、昂揚感が更にいや増す。幾度もの挫折と失望を味わったあとのクライマックス、劇中でシェルビーが語るドライヴァーとしての快感を体現したかのような瞬間は、映像と音響、そしてドラマを積み上げたからこその賜物だ。

 しかし物語はある意味で意外な――けれど、カーレースという世界の現実を思えば不思議ではない結末に辿り着く。だが、そこには抗いようのない喪失感とともに、達成感もまた醸し出されているのは、物語の中で彼らの情熱を燃やしきったからこそだろう。

 パンフレットに掲載された、実際するシェルビーたちの経緯に目を通すと、本篇はまったくの事実どおりではなく、時系列を入れ替えたり縮めたり、役割を集約されたキャラクターも存在したり、とかなり脚色している――中盤以降、最大の憎まれ役となる人物についても、実際は人格者として慕われ、クライマックスでは劇中とまるで違う反応を示した、という話も聞く。しかし、そうして事実を再編することで、本篇はモータースポーツの怖さも難しさも、何より危険をおしてひとを惹きつける魅力を描き出すことに成功した。

 ドラマ部分も活躍してこその成果なので、家庭のテレビでも充分に熱くなれるとは思うが、この醍醐味を堪能したいなら映画館で観た方が絶対にいい。せめてヘッドフォンぐらいは活用して、どっぷりと浸っていただきたい。

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