アガサ・クリスティー/中村能三[訳]『ハロウィーン・パーティ』

アガサ・クリスティー/中村能三[訳]『ハロウィーン・パーティ』(Amazon.co.jp商品ページにリンク) 『ハロウィーン・パーティ』
アガサ・クリスティー/中村能三[訳]
判型:文庫判変形
レーベル:クリスティー文庫
版元:早川書房
発行:2003年11月15日
isbn:4151300317
本体価格:760円(初刊時)
商品ページ:[amazon楽天]
2023年9月3日読了

 1969年に発表された、、エルキュール・ポアロの長篇第31作。ウドリー・コモンという郊外の町で催されたハロウィーン・パーティに参加していた少女が、宴の終わりに、リンゴの浸けられた水の入ったバケツ2頭を押し込まれて殺害された。たまたま現地に滞在していたアリアドニ・オリヴァは、少女が漏らした「殺人を目撃したことがある」という言葉が気にかかり、友人の探偵エルキュール・ポアロに事件の捜査を依頼する。現地に赴いたポアロは、パーティの参加者や地域の人びとの証言から真相を探っていく。
 現代の感覚では、しばしば関係者に対する聴取の繰り返しとなるクリスティー作品の構成はどうしても退屈さがつきまとう。加えて、これもいまの感覚だといささか偏見の強すぎる社会観、若者観に辟易としてしまう。
 しかし、それを当時の感覚と割り切って読むと興味深い。そして、一見関わりのない過去の事件や、小さな町だからこその人間関係が織りなす綾が次第に事件の本質を浮かび上がらせていくさまは、地味ながら惹きつけられるものがある。
 だが終盤の展開は思いのほかサスペンス豊かだ。読者を振り回し、ギリギリまで引っ張って衝撃を与えてくる。ポアロ1人が察して関係者に指示を与えてもなお迫る危機に、それまでの淡々とした展開が嘘のような印象さえ受けてしまう。
 率直に言えば、クリスティーの初期作品にあったような発想のインパクト、鮮やかさは感じづらい。また、真相に辿り着く過程がいささか直感的なので、必ずしもしっくり来ない可能性はある。ただ、途中でポアロ含む登場人物が口にする偏見の強い発想に対し、本篇の真相そのものは現代にも通じる狂気や悪意がある。ある意味で単純でもある独善的な動機には、いまでも人が一歩間違えば陥る思考があり、それだけに蠱惑的だ。ポアロが犯人を表現する言葉とも共鳴するラストは、それ自体がパターンではあるが余韻は強い。
 最盛期の作品のような派手さはなく、現代の目線では偏見の色濃い会話も相俟って、取っつきづらさは否めないが、経験を積み重ねた作家だからこその手管と滋味を感じる作品である。

 なお本篇は、これをベースにした映画『名探偵ポワロ ベネチアの亡霊』の日本公開に合わせ、2023年に新訳版が刊行された。私が読んだのは既存の訳書をクリスティー文庫創刊の機会に新装版としてリリースしたものであり、上記の発行日よりもかなり古い時期に訳されたもののため、正直いまとなっては読みづらさは否めない。中村能三訳の版もまだ入手は可能のようだが、これから読む方は恐らく新訳版のほうが親しみやすいのではなかろうか――これを書いている段階で私は手に取ってもいないので断言は出来ないが。
 また現段階では日本での上映が始まっていないので、こちらの内容とも比較出来ないのだが、ざっくりと粗筋を読む限り映画では大幅な改変を施している。そもそも舞台がイギリス国内からベネチアになっていることもそうだし、ハロウィーンという時期は合わせてあっても、事件の発端となる状況もまるで違っているようだ。だから無理に原作を読む必要はない、と思う一方で、ここまで前提が異なっていると、どんな脚色を施したのか、どんなメッセージを織り込んだのかにも却って興味が湧いてくる。
 何にしても、映画が公開されたらちゃんと観に行くつもりである――これについては、なるたけ早めに感想をアップするようにしよう……。

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