『ホモ・サピエンスの涙』

ヒューマントラストシネマ有楽町、シアター2入口扉に掲示された『ホモ・サピエンスの涙』チラシ。
ヒューマントラストシネマ有楽町、シアター2入口扉に掲示された『ホモ・サピエンスの涙』チラシ。

原題:“Om Det Oandliga” / 英題:“About Endlessness” / 監督&脚本:ロイ・アンダーソン / プロデューサー:パニッサ・サンドストロム、ヨハン・カールソン / 製作総指揮:サーラ・ナーゲル、イザベル・ヴィガンド / 撮影:ゲルゲイ・パロス / 美術:アンゲシュ・ヘルストルム、フリーダ・E・エルムストルム、ニックラス・ニルソン / 衣装:ユリア・テグストロム、イーサベル・シューストランド、サンドラ・パルメント、アマンダ・リブラント / 編集:ヨハン・カールソン、カッレ・ボーマン、ロイ・アンダーソン / 整音:ロバート・ヘフター / 出演:マッティン・サーネル、タティアーナ・デローナイ、アンデシュ・ヘルストルム、ヤーン・エイェ・ファルリング、ベングト・ハルギウス、トーレ・フリーゲル / ナレーション:イェッシカ・ロウトハンデル / ロイ・アンダーソン・フィルムプロダクションAB製作 / 配給:Bitters End
2019年スウェーデン、ドイツ、ノルウェー合作 / 上映時間:1時間18分 / 日本語字幕:大西公子 / 字幕監修:小林紗季
2020年11月20日日本公開
公式サイト : http://www.bitters.co.jp/homosapi/
ヒューマントラストシネマ有楽町にて初見(2021/1/7)


[粗筋]
 高台の公園にあるベンチで、並んで空を見つめる老夫婦。もう9月ね、と妻が呟く。
 妻を驚かせようと、夕食の買い物をして帰る途中の男が、階段で昔の級友とすれ違った。挨拶をするが、男は蟲をされる。そのときになって初めて、男はかつて級友に恨まれることをしたのかも知れない、と思い至る。ふたたびすれ違ったときも、男は級友に無視された。
 品のあるレストランで食事をする初老の男がいた。同じくらいの年配のウェイターが、ワインの封を切り、グラスに注ぐ。男が1杯を飲み干したあと、ワインをつぎ足したウェイターは、不意に物思いに耽ってしまった。ワインを溢れさせてしまい、慌てて吹き始める。客の男は立ち上がり、ただ困惑している。
 銀行が信用できず、金をベッドの下に隠している男がいた。ベッドの下を確かめ、就寝しても、なおも不安はつきない。ずっと男はそわそわとしていた。
 ある男は夢を見た。鞭打たれながら、十字架を担いで坂道を上っている。私がいったい何をした? と鞭打つ人々に問いかけても罵られるばかり。目覚めたとき、男は手に杭を穿たれた痛みに涙していた――


[感想]
 本篇を手懸けたロイ・アンダーソン監督はキャリアの早い段階から、自ら立ち上げたスタジオを所有し、そこで映画を製作するスタイルを取っている。ロケや既存のセットには頼らず、自らのイメージする構図、背景をミニチュアやペイントで可能なまで再現した屋内のスタジオで撮影しているため、そのヴィジュアルは唯一無二、そして美術的な価値まで感じさせる仕上がりだ。
 そうして細部まで神経を行き渡らせて築いた、箱庭めいたセットを、固定したカメラで捉えるので、登場人物たちはきちんと息づき行動しているのに、その映像には静止画のような趣がある。実際、監督は実在する絵画からインスピレーションを得ており、本篇の様々なシーンに元ネタと言える作品が存在しているらしい。だから恐らく、本当に深くその作品のメッセージを読み解くためには、ある程度の美術、とりわけ絵画に関しての造詣が必要なのだろう。
 だが、絵画が決してその成立背景に詳しくなくとも、観るひとそれぞれの経験や価値観から吟味することが可能であるのと同様に、本篇も味わう上で専門知識の有無に拘る必要じたいはない。それほど本篇は、場面のそれぞれが美術的に際立っている。
 知らなければ、一体どうやってこんな理想的なロケーションを探し出したのか、と瞠目するほど完璧な構図を整えた舞台は、すべて監督が長年にわたって拠点としているスタジオ内部に設けたセットなのだという。奥行きのある景観も、緻密な街並も、基本的には書き割りや、スタイロフォームを用いたミニチュアらしい。この監督はそれぞれの場面について、極めて精緻なヴィジョンが頭の中に描かれており、それをすべてセットや、スタジオ周辺のロケーションをそのまま用いて撮影しているのだ。細部まで完璧に把握しているからこそ成り立つ、まったく動くことのない静止画のようなカメラワークは、動きのある美術品、と言うしかなく、それ自体で充分すぎるほどの饒舌さを備えている。
 その代わり、この作品に全篇を貫く明確なストーリーはない。級友に無視される男や、信仰を失ってしまった牧師のように、何度か採り上げられる人物もいるが、多くはワンシーンのみに登場し、他のシーンとの連携も定かではない。加えて時間の流れも正しく追っているわけではなく、カップルが滅びた都市の空を泳いでいく場面はいったいいつ頃の出来事か明示されていない一方で、ヒトラーが敗北を悟る瞬間、という明確に時期の特定できる場面も存在し、しかもどういう意図でこうした場面が、このタイミングで挿入されているのかは見えない。それこそ絵画のように、描かれているものを丁寧に観察し、解釈する意欲がなければ、意味不明の場面を繋いだだけの詰まらない作品に感じてしまう。
 能動的な鑑賞、解釈を要求する作品だが、しかし受動的に漫然と観ていても、不思議と心惹かれる場面があるはずである。空を飛ぶカップルのくだりを除けば、本篇はみな、世界中のどこででも起きていそうな、ごく身近な出来事で構成されている。因縁のある級友に無視された、お店の鉢植えに水を上げている少女に目を奪われる、小雨降る中で脱げかけた娘の靴を直してやる……いずれも、あちこちで繰り広げられていそうなひと幕だ。そしてそのほとんどは、日常の不安や人間の繊細さ、親近感を覚えるような微笑ましさが滲んでいる。
 空を飛ぶカップルのシーンや、ヒトラーをモチーフにした場面が明示するように、世界はいつ壊れてもおかしくないくらいに脆い。だが劇中、解るほど明確に嘆いているひとの苦しみは、とても卑近だ。そして、そのそこかしこに潜む喜びや救いも、とてもささやかな出来事に因っている。この作品は、あらゆる時代や場所に潜む絶望も希望も、巧みに切り取っているのだ。
 そのヴィジュアル、語り口に鋭利な作家性を示しながら、その感覚はとても身近で、眼差しは優しい。どこか本篇は、ひとびとが果てしなく繰り返す営みを、微笑みながら見守る神の眼差しを擬しているようにも思える――或いは、そんな風に考えるから、私には信仰を失いかけている牧師の姿が切なく、そして微笑ましく映るのかも知れない。
 こんなにも風変わりなのに、そこに愛を感じてしまう。こんな感覚を表現するのは決して容易ではない。私が鑑賞したのは本篇含めわずか2作に過ぎないが、それでも何故この監督が尊敬を集めている理由が解る気がした。


関連作品:
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