『ミッドサマー』

池袋HUMAXシネマズ、8階シネマ2入口前に掲示されたポスター。
原題:“Midsommer” / 監督&脚本:アリ・アスター / 製作:パトリック・アンダーソン、ラース・クヌッセン / 製作総指揮:トーマス・ベンスキー、フレドリック・ハイニヒ、ペレ・ニルソン、ベン・リマー、フィリップ・ウェストグレン / 撮影監督:パヴェウ・ポゴジェルスキ / プロダクション・デザイナー:ヘンリク・スヴェンソン / 編集:ルシアン・ジョンストン / 衣装:アンドレア・フレッチ / キャスティング:ジェシカ・ケリー、ジーネット・クリントバーグ / 音楽:ボビー・クリック / 出演:フローレンス・ピュー、ジャック・レイナー、ヴィルヘルム・ブロムグレン、ウィリアム・ジャクソン・ハーパー、ウィル・ポールター、エローラ・トーシャ、アーチー・マデック、ビョルン・アンドレセン / 配給:PHANTOM FILM
2019年イギリス、スウェーデン合作 / 上映時間:2時間27分 / 日本語字幕:松浦美奈 / R-15+
2020年2月21日日本公開
公式サイト : https://www.phantom-film.com/midsommar/
池袋HUMAXシネマズにて初見(2020/02/27)


[粗筋]
 面倒臭い女だと思われているのは察していた。だが、双極性障害を持つ妹テリーの行動に振り回され、自身もパニック障害に陥っていたダニー(フローレンス・ピュー)は恋人クリスチャン(ジャック・レイナー)に縋るしかなかった。クリスチャンもまた、友人たちからダニーのように手間のかかる恋人とは別れるように勧められるが、苦しむ彼女を見捨てることが出来ない。
 そしてクリスマスに悲劇は起こった。テリーが両親を巻き込んで心中してしまったのである。
 半年を経て、夏を迎えてもダニーの心の傷は癒えない。クリスチャンもまた、天涯孤独となった恋人に対して、腫れ物に触れるように振る舞うようになっていた。
 クリスチャンはこの夏、友人ジョシュ(ウィリアム・ジャクソン・ハーパー)が論文のため、ペレ(ヴィルヘルム・ブロムグレン)の郷里であるスウェーデンの小さなコミューン・ホルガを訪ねるのに合わせ、マーク(ウィル・ポールター)も加えた4人で旅行する計画を立てていたが、ダニーには直前まで話していなかった。口論になったクリスチャンは、ダニーを宥めるため、彼女を旅行に誘う。
 ストックホルムから車で4時間、舗装もされていない道を走り、更に歩いて森の奥へと進み、開けた場所にペレの故郷ホルガはあった。
 ここでは90年にいちど、夏至を挟んで9日間にわたり祝祭が催される。初日は村人たちによる舞踏が繰り広げられ、翌日より儀式が始まる、という話だった。
 研究のために訪れたジョシュでさえも、ホルガの夏至祭の実態は知らされていなかった。やがてダニーたちは、その美しくも壮絶な儀式を目の当たりにする……。


[感想]
 ほとんどのフィクションは、如何にして受け手を想定する理解、感情へと導いていくかが鍵となる。謎解きの映画なら解決篇での驚きや納得に結びつけるために手懸かりなどを随所に植え付け、スポーツドラマならその結果で受け手を感動させるために試練や挫折を組み込む、という具合に構成していく。
 その点でホラー映画というものが厄介なのは、恐怖を感じる要素はひとそれぞれで異なるが故だ。虫1匹でも怖気を震うものもいれば、何百匹密集してても屁でもない強者もいるだろう。実在するかしないか解らない幽霊など、だからこそ何が起きるか、どんな影響を及ぼすか解らないから怖い、と感じるひともいれば、いるわけがない、と決めてかかっているひとにとっては、劇中でやたらと悲鳴を上げる登場人物がただただ滑稽に映るはずだ。観客すべてを恐怖させるのはそもそも難しいのである。
 ゆえに、お定まりのギミック、演出に陥りがちなのがホラー映画の宿命なのだが、本篇は終始、意識してその軛から逃れようとしている。
 場面写真だけをただ切り取る限り、本篇をホラー映画だと思うひとのほうが稀だろう。白々として明るい画面、ひとびとの装いはシンプルだが華やかで、緑も鮮やかな平原には点々と花も開いている。場面によっては激情を露わにすることもあるが、多くの場面でひとびとは笑顔を浮かべている。そういう部分にだけ目を向ければ、むしろ天国のような光景と言ってもいい。
 だが、劇中で異様な出来事が起こるより以前から、観客の多くは居心地の悪さ、言いようのない不気味さを感じるはずである。本篇は見せ方や事実の積み重ねで、観客の感性を揺さぶり、足許が危ういような気分を演出しているのだ。
 仕掛けは劇中でまだホルガという土地の名前が出るより以前から始まっている。ダニーの悲劇を暗くねっとりとした表現で描き、序盤から不穏な空気を醸し出す。いざホルガの地へ旅立つときでさえ、決して燥いだ雰囲気にはならない。恋人との諍いや、彼女とともに旅立つ友人たちとのあいだにある不協和音を示し、観る者に不吉な予感をもたらし続ける。ホルガに至るまでの道程を上下反転した映像で見せたり、談笑するひとびとを遠くから見つめるダニーの後ろ姿に焦点を合わせたり、と意識的に観客の心地好いヴィジョン、常識的な構図を逸脱して、不穏な雰囲気を煽っていく。
 ホルガに物語が及ぶと、構図的にはそれほど極端なヒネリは加えられなくなるが、それ故に住民達や点在する建物に調度、そして風景そのものの異様さが、じわりと薄気味悪さを醸成していく。この地を初めて訪れるダニーたちに、友好的に接しているようでいて、どこか本心の窺えない住民達。用途は明確だが、形状が常識と異なり異様に強い違和感を発揮する建物。理由が解らないが、何らかの規則の存在を感じさせるテーブルやオブジェの配置。
 そうして蓄積していった違和感、薄気味悪さは、祭の2日目、住民言うところの“儀式”が本格的に始まったところで戦慄に至り、いよいよ恐怖へと結実していく。その壮絶な光景がもたらすショックは、住民達の一挙手一投足に不審な影を落とし、登場人物はもちろん、観る者にまで緊張と恐怖をもたらす。恐らく想像力に欠くひとでも、この辺りから住民の言動に引っかかるものを覚えはじめるだろうし、感受性の強いひとであればすべての場面、あらゆる光景に恐怖を味わうはずだ。
 興味深いのは、ひとつひとつの要素だけ抜き出せば、現実にもよく見られるもので、決して特異なものではない、ということだ。たとえば劇中、女性が意中の相手を射止めるために、かなり破廉恥な“願掛け”を試みる。少々極端な手段ではあるが、まじないの類でこれと同じような材料を用いる、というのは決して珍しくない。観客に最初の衝撃をもたらす出来事の宗教的理由付けにしても、おのおのの“儀式”の主役を選ぶ方法にしても、それぞれは世の中に目を向ければ類例が存在する。しかしその採り入れ方、意味づけに工夫があるが故に、違和感、恐怖をもたらす儀式の一部として見事に機能している。
 決して特異ではないモチーフが恐ろしく映る一因として、映像の中に非現実的な細工が施されている点も挙げられる。前述した、カメラを上下反転させて作り出した映像もその一例だが、画面の中に普通ならありえない静物、象徴を配している。劇中でダニーたちが何らかの薬物を盛られた、と思われる場面があるが、ここではテーブルに並べられた料理や周囲の花々が妖しく蠢くかのような表現も採り入れている。住民達の言動やタペストリーなどに見られる違和感は伏線として機能するものが大半だが、観客が目にする映像のなかの違和感にはおおむね答はなく、観客の心をざわつかせるためにだけ利用しているのだ。その、象徴的でありながら本筋にとって意味のない、という表現が、本篇の不気味な空気を更に強めている。
 緻密に鏤められた違和感という名の伏線は、終盤で文字通り昇華される。あまりに壮絶だが、ある意味で神々しくもあるクライマックス。ああいう事態になることを予測するひとは多いはずだが、それを最大限のスケールで描写するラストに、慄然としながらも魅入られずにいられないはずだ。
 物語が終わった瞬間、スクリーンいっぱいに広がる笑顔は、ある意味で救いではある――しかし、あれを幸いと捉えるかどうかは、観るひと次第だ。私には恐ろしく映った。それは登場人物を巡る運命ゆえではない。物語に惹きこまれてしまった観客までを網にかけようとし、その達成を確信して笑っているかのようにも映るからだ。
 監督のアリ・アスターは長篇第1作『ヘレディタリー/継承』で、ホラー映画の定石を緻密に踏まえながらも、その向こう側に突き抜ける豪腕で斯界を瞠目させた。だが第2作にしてまた別次元の、そしてとてつもない試みを実践し、見事に完成させてしまった。その才能がまた恐ろしい――と同時に、或いはこれで燃え尽きてしまうのではないか、という危惧さえ抱いてしまう。それほどに本篇は、未曾有の境地に達した傑作であると思う。


関連作品:
ヘレディタリー/継承
トランスフォーマー/ロストエイジ』/『ベニスに死す
ウィッカーマン(2006)』/『死霊のはらわた 20周年アニバーサリー』/『死霊のはらわた(2013)』/『マーターズ(2007)』/『マーターズ(2015)』/『アントラム 史上最も呪われた映画』/『地獄少女

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