TOHOシネマズ日本橋、エレベーター正面に掲示された『モスラ〈4Kデジタルリマスター版〉』上映当時の午前十時の映画祭11案内ポスター。
英題:“Mothra” / 原作:中村真一郎、福永武彦、堀田善衛 / 監督:本多猪四郎 / 特技監督:円谷英一 / 脚本:関沢新一 / 製作:田中友幸 / 撮影:小泉一 / 特技撮影:有川貞昌 / 美術:北猛夫、安倍輝明 / 特技美術:渡辺明 / 照明:高島利雄 / 特技照明:岸田九一郞 / 特技作画合成:向山宏 / 光学撮影:真野田幸雄 / 編集:平一二 / 振付:県洋二 / 録音:藤縄正一、宮﨑正信 / 音楽:古関裕而 / 出演:フランキー堺、小泉博、香川京子、ザ・ピーナッツ(伊藤エミ、伊藤ユミ)、ジェリー伊藤、上原謙、平田昭彦、佐原健二、河津清三郎、志村喬、小杉義男、田島義文、山本廉、加藤春哉 / 配給&映像ソフト発売元:東宝
1961年日本作品 / 上映時間:1時間41分(復刻版序曲1分含む)
1961年7月30日日本公開
午前十時の映画祭11(2021/04/02~2022/03/31開催)上映作品
2015年7月15日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video|:Blu-ray Disc]
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2021/12/24)
[粗筋]
太平洋を航行中だった第二玄洋丸は台風の直撃を受けて座礁、船長の判断のもとボートで緊急避難した。そこはロリシカ国の水爆実験場があるインファント島の海域で、放射線の影響により船員たちの生存は絶望視されていたが、インファント島に漂着した船員たちは、意外なことに放射線障害がいっさい認められない状態で救出される。しかも、無人であるからこそ実験場に指定されたはずのインファント島に原住民がおり、彼らから赤いジュースをもらって生き延びた、と証言した。
船員たちの証言をもとに、日本政府はロリシカ国政府と共に合同調査隊を組織、現地へと派遣した。調査隊の一員である言語学者・中條信一(小泉博)はジャングルの調査中、奇妙な植物に襲われ窮地に陥るが、人間の手の中に収まるくらいの美女ふたりによって命を救われた。中條が救援とともに周囲を調査すると、原住民と、船員たちの命を救った赤井ジュースの原材料と思われる巨大な植物までも発見する。船員の証言通り、ここは無人島ではなかったのだ。
そうと知らず迫害されながらも命を繋ぎ独自の文化を構築した彼らを、中條や調査団の日本側責任者・原田博士(上原謙)らは「そっとしておくべきだ」と考え、申し合わせるでもなく口外をしなかった。ちゃっかりと紛れ込んでいた新聞記者の福田善一郎(フランキー堺)も同調したため、この事実は外部には一切漏れないはずだった。
しかししばらくして、調査団のロリシカ国側事務局長として情報の一切を握っていたクラーク・ネルソン(ジェリー伊藤)が、インファント島の神秘と称して、福田が《小美人》(ザ・ピーナッツ)と名付けた小さな美女を公開する。ネルソンはロリシカ国との密約をもとにインファント島を再訪、原住民たちを排除して小美人を掠奪していたのだ。
冒険家であり興行主でもあるネルソンは、どこかからインファント島の秘密を記した文献を入手していたネルソンは、はじめからその秘密の一部を握っており、一攫千金の好機と捉えていたらしい。福田とカメラマンの花村ミチ(香川京子)は中條と共にネルソンが催した《妖精ショー》の楽屋に潜入し、小美人に接触する。聡明にも既に日本語を解するようになっていた小美人は義憤に燃える福田たちに感謝しながらも、日本人を心配していた。彼女たちを捕らえていては、この国の人びとに不幸が訪れる、というのだ。
いよいよ開催された《妖精ショー》で、小美人は美しい歌声を披露する。感激する観衆は、その歌に含まれた《モスラ》という言葉が意味することをまだ知らない――
[感想]
怪獣映画は基本、SFである。ただいたずらにでっかく凶暴な怪獣を出しときゃいい、というわけではなく、設定の裏打ちが必要になってくる。たとえ劇中、丁寧に説明する機会がないとしても、発生の経緯や習性から推察されるものに説得力が備わって、初めてその脅威を実感できるし、決着への道筋が生まれ、物語としての構造も確立される。国境を越えて新作が生み出されている《ゴジラ》がこの好例だろう。
のちにその《ゴジラ》ともたびたび共演することとなる《モスラ》も間違いなく、良質なSF側面を備えた怪獣映画だ。
《ゴジラ》と同様、なかなか姿を現さないが、道筋はきっちりとつけられている。住民がいないからこそ水爆実験に用いられたはずの島で発見された原住民と、その審美性を象徴するが如き《小美人》。あえて深入りしない理性を示すひとびとがいる一方で、欲得ずくの人間が傍若無人に踏み込み蹂躙する。そして、《小美人》たちの謎めいた歌が導く脅威。
《ゴジラ》やその影響を受けた“怪獣”は、恐竜のイメージを踏襲しているせいもあるのだろう、爬虫類や両生類をモチーフにしていることが多いが、本篇は蛾をベースにしている。それゆえに、人間社会に対する影響の及ぼし方もほかの怪獣とは趣が異なる。公開から半世紀以上経過した現在ではそこまで奇異には感じないが、本篇でのパニック描写は当時としては着眼だった、と思われる。それをかたちにした特撮も、インパクトは強かったに違いない。
しかし、現代の目で見ると、作りはいささか緩い。水爆実験や、その舞台となった島のヴィジュアルなどは当時の世相や認識を反映しているが、それ故の思い込み、偏見を垣間見てしまう。時代背景込みで鑑賞出来るならそれも興味深いが、後年の作品と比べると掘り下げの甘さは否めない。
また、善悪の切り分けがだいぶ安易に為されているのも気になるところだ。本篇ではジェリー伊藤演じる調査団のロリシカ国側責任者クラーク・ネルソンが劇中の悪徳を代表する存在として描かれるが、やり口があまりにも軽薄な“悪党”すぎる。《小美人》を無理矢理に文明社会に連れ出すことのリスクこそ、劇中人物として想像の埒外に属することだったかも知れないが、さすがに本篇のネルソンの言動は軽率すぎる。そのステレオタイプの悪党ぶりが終盤の展開にちょっとしたカタルシスをもたらしているのも確かだが、もう少し奥行きが欲しかった。
展開の安易さは随所にも感じる。極めて貴重で、誰に狙われるかも解らない存在を、簡単に侵入できるような場所に閉じこめているのも妙だし、肝心の《小美人》が心を許す基準、そしてクライマックスの災厄を導く行動に至った理由もいまいち不明瞭だ。物語の行動半径が広く、それゆえに舞台それぞれでの動きを逆に狭めねばならなかった、といった事情が推察されるが、それにしてももう少し説得力が欲しかったところだ。
現代の目線からするとそうした稚拙さ、粗さが目につくが、しかし特撮を駆使した独創的な怪獣とその災害描写は、もはや映像美術としての価値を備えている、と言っていい。羽ばたくモスラ、その風圧に蹂躙される文明。ミニチュアであるが故の大雑把さも、現代の高すぎる投影技術では目につきがちだが、CGとは異なる方法で描き出された現実を超えるヴィジュアルにはいまもなお魅せられる。
展開に安易さは感じるものの、そこで描かれるメッセージ自体が決して古びていない点も注目すべきだろう。文意が発達した社会に暮らす者がやもすると抱きがちな、未開の文明に対する根拠のない優越感や、欲望に目がくらんで世間への影響を顧みなくなる独善性など、極端に戯画化された諷刺はいまも機能している。人間がそれほど成長していない、という意味では嘆くべきなのだが、なかなか変化しようのない本質をシンプルに突いた、とも解釈出来るわけで、ここまで生き延びた普遍性はそう簡単に崩せない。
怪獣映画は、そのヴィジョンだけで支持されるわけではない。その特性がもたらす社会への影響、引き起こすドラマにもまた価値がある。次第に失われつつあるこの時代の特撮技術と共に、明瞭に描きだした問題提起においても本篇はまだまだ価値を示す作品なのだろう。
関連作品:
『ゴジラ(1954)』/『野良犬』
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』
『幕末太陽傳 デジタル修復版』/『近松物語 4Kデジタル復元版』/『用心棒』/『椿三十郎(1962)』/『隠し砦の三悪人』/『七人の侍』/『転校生』
『クローバーフィールド/HAKAISHA』/『パシフィック・リム』/『アウトロー(1976)』/『ダンス・ウィズ・ウルブズ』/『アバター』
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