『ジョーンの秘密』

TOHOシネマズ日本橋、スクリーン5入口脇に掲示された『ジョーンの秘密』チラシ。
TOHOシネマズ日本橋、スクリーン5入口脇に掲示された『ジョーンの秘密』チラシ。

原題:“Red Joan” / 原作:ジェニー・ルーニー / 監督:トレヴァー・ナン / 脚本:リンゼイ・シャピロ / 製作:デヴィッド・パーフィット / 製作総指揮:カート・シドー、ティム・ハスラム、ヒューゴ・グランバー、ジギー・カサマ、ジェームズ・アザートン、ジャン・ペイス、ケリー・E・アシュトン / 共同製作:イヴァン・マクタガート、アリス・ドーソン / 撮影監督:ザック・ニコルソン / プロダクション・デザイナー:クリスティーナ・カサリ / 編集:クリスティーナ・ヘザーリントン / 衣装:シャーロット・ウォルター / メーキャップ&ヘアデザイナー:サリー・ジェイ / キャスティング:プリシラ・ジョン、オーラ・マックスウェル / 音楽:ジョージ・フェントン / 出演:ジュディ・デンチ、ソフィー・クックソン、トム・ヒューズ、スティーヴン・キャンベル・ムーア、ベン・マイルズ、テレーザ・スルボーヴァ、フレディ・ガミナラ / トレードマーク・フィルムズ製作 / 配給:kino films
2018年イギリス作品 / 上映時間:1時間41分 / 日本語字幕:チオキ真理 / PG12
2020年8月7日日本公開
公式サイト : https://www.red-joan.jp/
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2020/08/18)


[粗筋]
 2000年5月、自宅で新聞を読んでいたジョーン・スタンリー(ジュディ・デンチ)は、ひとつの記事に衝撃を受けていた。その予感どおり、間もなく彼女の家のチャイムを、MI5のエージェントたちが鳴らした。ジョーンを、ソ連に対する情報漏洩の罪で逮捕する、というのである。
 ジョーンは無罪を主張したが、MI5のエージェントたちは、ジェーンが第二次世界大戦の前後にかけて、ソ連の諜報組織KGBと内通し、核兵器開発に関する情報を漏洩した証拠が、先頃亡くなった外務事務次官のウィリアム・ミッチェル卿の遺品から発見された、と言う。その言葉に、ジョーンは自身の若かりし日々を思い起こす。
 1938年、当時ケンブリッジ大学で物理学を学んでいた若き日のジョーン(ソフィー・クックソン)は、ソニア(テレーザ・スルボーヴァ)と出会う。ロシアからドイツを経由しイギリスに移住した、という彼女は、夜遊びが過ぎて寮を閉め出され、1階に暮らしていたジョーンが入れてあげたことで縁が生まれる。
 間もなくジョーンはソニアに誘われ、共産主義の会合に赴く。当時、戦争に傾く世情と政治への不信感から、知的階級のあいだで共産主義の会合が流行しており、ジョーンも幾ばくかの問題意識ゆえに参加したに過ぎなかった。
 しかし、そこでソニアのいとこだというレオ(トム・ヒューズ)と出会ったことで、ジョーンの運命は変わっていく。ジョーンはレオと急速に惹かれ合い、レオからの求婚の言葉を待ち侘びるようになる。だが、政治活動に熱意を燃やすレオは、たびたびジョーンの前から姿を消すのだった。
 やがてケンブリッジ大学を卒業したジョーンは、1941年、紹介により《チューブ・アロイズ》という計画を指揮するマックス・デイヴィス教授(スティーヴン・キャンベル・ムーア)の助手として雇われる。採用時、機密保持の契約書にサインを求められたこの計画の目的は、中性子を用いた爆弾の開発――つまり、原子力爆弾の設計である。ドイツが着々と開発を進めている、という情報があり、イギリスでも対抗策としての開発を急いでいたのだ。
 採用が決定した直後、ジョーンの前に、久々にレオが現れた。いまやKGBに所属する人間となったレオは、ジョーンが《チューブ・アロイズ》に雇用された事実も把握しており、彼女が知り得た情報を回して欲しい、と懇願する。自らが抱いていた愛情を利用する要求に激高し、レオを拒絶するジョーンだったが、社会情勢の推移は、彼女に思いがけない変化をもたらすのだった――


[感想]
 本篇で描かれているのと同じ2000年、当時80代の女性メリタ・ノーウッドがスパイ容疑で逮捕された事件があった。この衝撃的な出来事をもとにジェニー・ルーニーが執筆し、ベストセラーとなった小説をもとにした映画である。
 モデルとなったメリタ・ノーウッドは実際にKGBに所属し、本格的に共産主義に傾倒していたからこそスパイ活動に従事していたと見られるが、本篇のジョーンは決して共産主義者とは言えない。その主張などには理解を示しつつも、あくまでイギリスの国民であることを第一に考えている。
 だがその一方で、物語の端緒となる1938年は、社会が大きく揺れ動いている時代でもあった。台頭するナチスドイツに対する反発が各国で起こる一方、諸国の見解、立ち位置もまた流動的だった。そうしたなかで知的階級の政治に対する不信も募っており、劇中でジョーンが語るように、イギリス国内で散発的に共産主義の会合が催され、参加するのがファッションになる、という背景があった。それがジョーンをソ連に結びつけ、やがて情報漏洩に荷担する流れを作っていく。
 結果としてジョーンの行為は世界情勢に大きな影響を及ぼした、と言えようが、しかし本篇で描かれる、彼女の心境の変化、最終的に行動に駆り立てられる推移は、驚くほど狭い範囲で描かれている。物語の舞台となるのはジョーンの出身校ケンブリッジ大学とその周辺、長じてからも職場となる研究所がメインで、いちどだけカナダで研究を行うくだりがあるが、こちらもほぼ研究室のなかでだけ話が綴られるので、ほとんど広がりは感じない。
 そこには当時の女性が置かれた、男社会ならではの制限が関わっているのも事実だろう。象徴的なのは、マックスと共にカナダに渡ったデイヴィスが、助手と明言しているにも拘わらず、研究所に置かれた最新式の洗濯機を誇られるくだりだ。ケンブリッジを卒業するほどの才女でも、辛うじて助手として採用されるのが限度だった、という事実がそもそも驚きだが、このあからさまな蔑視は、当時として逃れ得ない問題だったのだろう。
 しかし、そんな彼女であっても、その頭脳と、極秘計画に携わる一員である、という事実には“価値”があった。だからこそ、ジョーンと接点を持った共産圏とのパイプを持つひとびとは彼女を利用しようと目論む。
 もちろん、知性があり、職業的倫理観も持ち合わせたジョーンは易々と首肯しない。しかし、政治家達や自身の上司達が自らの研究に対して下した決断に、ジョーンは納得しなかった。自らと祖国とを優位に保とうとするその選択が、却って世界の均衡を揺さぶる、と考えた。やがて、ある出来事を契機に、愛しながらも祖国を裏切るスパイへとジョーンは変貌していく。
 言ってみればこれは、権利も行動範囲も制限された女性が、許される世界の内側で試みた反逆であり、“戦争”だったのだろう。いわば本篇は、一種の“戦争映画”とも捉えられる。
 しかし、その影響の実質的な大きさに反して、本篇は舞台もさることながら、登場人物も極めて少ない。映画という、尺に制約を求められる表現ゆえに、フィクションとして整理を施した原作から更に役割の集約などが行われ人数が絞られた、とも考えられるが、この登場人物の少なさもまたジョーンという人物が生きた世界の狭さを窺わせる。それと同時に、人数が限られ、それぞれに劇的な関係性を持つ本篇は、“スパイ”という題材から思い浮かべるようなサスペンスや、前述した戦争映画としての側面よりも、ロマンスの色彩が匂い立つ。
 ケンブリッジ大学や研究室などの歴史を含む佇まい、この当時をきっちり再現したと見えるファッションのデザインなどとも相俟って、個人的に本篇は女性版『カサブランカ』のようにも見える。自分の生きてきた世界からそれほど遠くへ羽ばたくことの出来なかった女性の立場から描いたサスペンスであり戦争のドラマであり、ロマンスなのだ。
 作りがあまりに丁寧で堅実であるが故に、いささかこぢんまりと纏まってしまったこと、また最後のある出来事に心理的な伏線が不充分であったために、カタルシスがぼやけてしまったのが惜しまれるが、端整な秀作と言えよう。


関連作品:
あるスキャンダルの覚え書き』/『ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』/『ニンジャ・アサシン』/『イースタン・プロミス
007/スカイフォール』/『キングスマン:ゴールデン・サークル
カサブランカ』/『ビューティフル・マインド』/『デュプリシティ ~スパイは、スパイに嘘をつく~』/『イミテーション・ゲーム エニグマと天才科学者の秘密』/『この世界の(さらにいくつもの)片隅に

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