
TOHOシネマズ日本橋、スクリーン8入口脇に掲示された『果てしなきスカーレット』チラシ。
英題:“Scarlet” / 原作、監督&脚本:細田守 / 製作指揮:澤桂一 / 作画監督:山下高明 / CGディレクター:堀部亮、下澤洋平、川村泰 / キャラクターデザイン:Jin Kim、上杉忠弘、イケガミヨリユキ、ippatu / プロダクションデザイン:上條安里、上杉忠弘 / 撮影監督:斎藤亜規子 / 色彩設計:三笠修 / 美術監督:池信孝、大久保錦一、瀧野薫 / 編集:西山茂 / 音楽:岩崎太整 / 声の出演:芦田愛菜、岡田将生、役所広司、市村正親、斉藤由貴、松重豊、吉田鋼太郎、山路和弘、柄本時生、青木崇高、染谷将太、羽佐間道夫、古川登志夫、白山乃愛、津田健次郎、宮野真守、斎藤志郎、田辺大智(日本テレビアナウンサー)、白石加代子 / 企画&制作:スタジオ地図 / 配給:東宝×Sony Pictures Entertainment
2025年日本作品 / 上映時間:1時間51分
2025年11月21日日本公開
公式サイト : https://scarlet-movie.jp/
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2025/11/25)
[粗筋]
16世紀末のデンマーク。
王女スカーレット(芦田愛菜)は父である王・アムレット(市村正親)に溺愛されていた。母ガートルード(斉藤由貴)に何故か毛嫌いされていたことが悩みだったが、不幸ではなかった――その日までは。
アムレットの弟クローディアス(役所広司)は、近隣諸国に対し穏健な姿勢を守る兄に不満を抱いていた。その果てにクローディアスはアムレットに国を貶めようとした嫌疑をかけて、スカーレットと大衆の前で処刑し、王位とガートルードを奪う。
近隣諸国へ侵略を仕掛け、民衆を虐げるクローディアスに、スカーレットは復讐を決意する。宴の席で、クローディアスの飲む杯に睡眠薬を仕掛け、眠り込んだところを襲う、という計画だった。
しかし、スカーレットは返り討ちに遭った。気づいたとき、彼女は亡者に囚われ、虚無へと飲み込まれる一歩手前にいた。
それでもスカーレットは、悲願を果たすべく、亡者の手を振りほどき己を取り戻す。生と死の狭間にあるその場所は、時間も場所も混じり合っており、クローディアスもやって来ているという。
道中に遭遇した、現代日本の看護師だという聖(岡田将生)と成り行きで連れ立ち、スカーレットはクローディアスを探し、幽冥の世界を彷徨う――
[感想]
細田監督の前作『竜とそばかすの姫』の感想で、私は“本篇を境に、新たな章へ突入したのだろう”と記した。その見方はある意味で合っていたようだが、続く本作を観ると、それは多くの観客にとっても、監督自身にとっても望まない方向へ進んでしまった、と言わざるを得ない。
本篇の序盤は、細田守監督がオリジナル作品、とりわけ単独で脚本を兼任するようになってから繰り返し指摘されてきた弱点が、どうしようもないほどあからさまに露呈している。
冒頭のイメージが掴みにくいこともさることながら、ほどなく描かれる、スカーレットが復讐に生きるようになった過去の経緯が問題だらけなのだ。
舞台を明示しているわりには、その歴史性、必要性を(監督が下敷きにしたシェイクスピア『ハムレット』がデンマークを舞台にしているから、としても)ほとんど感じさせない描写には目をつむるとしても、あそこまで民衆の信頼を得ていた国王を処刑出来るほどの罪状がどのような策略によって生み出されたのか、も不明だし、スカーレットの母ガートルードがあそこまでスカーレットを嫌悪する理由も謎だ。
そのあたりは、描かれていない背景があるのだろう、と想像で補おうとしても、何より矛盾するのはスカーレットである。復讐を心に決めたスカーレットは、その覚悟を示すように、支持者と共に剣術、格闘術の鍛錬を積み重ねている描写があるが、最終的に彼女は薬で仇敵クローディアスを薬で眠らせて短剣で刺す、という手段である。その後の“狭間の世界”におけるアクション・シークエンスに裏打ちをしたかったとしても、支援者があり、戦闘力の向上を図る描写があるならば、復讐の手段に薬物が入ってくるのは違和感があまりにも強い。まして、そんな彼女を、意趣返しのように毒殺する、というクローディアスの行動も意味不明だ。狙っていることが解っているなら、あえで毒を飲ませるのではなく、叛意を証明し裁けばいい。しかもクローディアスは穏健派の兄に反発し、周辺国を武力で制圧しようとしていた人物である。薬物ではなく、力でもって制圧しなければ筋が通らない。
なにせ、本来の舞台に突入するまでの大前提で、行間を読む、という姿勢だけでは補えない違和感や矛盾が頻出するため、私自身はこのあたりで既に倦んでいたが、この矛盾は“狭間の世界”に入ってもなお続く。
時間も場所も越えて混ざり合う領域であるから、ハワイ民族らしき人々が砂漠の盗賊に襲われていることもあるし、母語がまったく異なるはずなのに普通に会話出来る違和感にも、それに登場人物が気づかないのも、まあファンタジーとして許容は出来る。だがそうなると、歌だけがハワイ言語のままだったりするのはおかしい。言語の境を越えて意味が伝わるとしても、それを自ら歌うとなればまた他の障害が生まれ、ぎこちなくなったりするはずだが、そういう摺り合わせにも無頓着だ。色々と世界観にこだわっているわりには、作り方があまりに、厳しい言い方だが軽率で無神経だと思う。
そしてこの“狭間の世界”で最も致命的な問題点は、“どういう基準で、死者は虚無に飲まれて消えるのか”が極めて恣意的なことだ。
スカーレットが“狭間の世界”に現れたとき、亡者のような腕が彼女を虚無へと飲み込もうとする描写があるが、最終的に強い復讐の意思を煽られ、呪縛を逃れる。この描写からすると、“狭間の世界”に留まるのは強い意志、執念のようなものと推察されるのだが、その後、彼女が“狭間の世界”で遭遇する大勢の人々にそうしたものは窺えない。自身が何故ここにいるのか理解出来ない聖にしても同様だ。だとすれば、人々が“狭間の世界”に留まる、或いは留め置かれる条件とは一体、なんなのか。
結末まで見届ければ、スカーレットの成り行きについては、何となく解釈のしようもあるのだが、他の人々については説明のしようがない。それはクローディアスや彼の臣下たちも同様だ。何故彼らが“狭間の世界”にいるのか、まったく理解が出来ない。そもそも“狭間の世界”に留め置くルールを、本篇の作り手がちゃんと考えているのか、さえ疑問だ。いくら観客の想像に委ねる、と言っても、これは度を超えている。
――と、世界観やストーリーについての矛盾点、違和感を並べているだけで、これほど長々と書き連ねられてしまう。監督は前作から本篇の完成までに4年を費やしたというが、それだけ時間を費やしたにしては、設計図が杜撰すぎる。
単独でも完成度が高く、多少の矛盾点は物語やキャラクターの魅力、テーマ性やクライマックスの熱量で押し切ってしまう作品も珍しくはない。しかしそれも、ある程度、筋の通った要素を積み重ねて初めて成立する。
本篇の“復讐”という主題、それを死後の世界でなお果たそうとするスカーレットの姿に、現実にある“憎悪の連鎖”を重ねる、という構想そのものは魅力的だ。だがそれも、序盤の積み上げが失敗しているために、ほとんど説得力を欠いている。
3DCGの技術を援用し、手書きに近い描写ながら立体的で滑らかな動作と、声に口の動きを合わせるなど、日本のアニメーションらしさを押し進めたキャラクター表現そのものは優れているし、美術にもただの1枚絵を超えたリアリティが備わり、ディズニーなどが牽引するものとはまたひと味違う、これからのアニメーションを感じさせる映像作りは見事だ。立体感のある音響も、映画館に最適化されている。だから、映画館で観る価値がある――と言ってあげたいが、如何せん、世界観やストーリーにそれだけの価値が見出せない。私自身がそうであるように、折角の技術が無駄にされている、という苛立ちを覚える可能性すらあるのだから、薦めることは、はっきり言って、出来ない。
本当はもっと厳しい言葉を並べ立てたいくらいなのだが、このあたりで差し控える。とりあえず、監督には世評に耳を傾け、少なくとも次回作については脚本を共同執筆するか、自身は原案に留まり、構想から逸脱しない限り脚本に忠実に作品を構築することをお薦めしたい。
関連作品:
『時をかける少女(2006)』/『サマーウォーズ』/『おおかみこどもの雨と雪』/『バケモノの子』/『未来のミライ』/『竜とそばかすの姫』
『パシフィック・リム』/『アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師』/『PERFECT DAYS』/『窓ぎわのトットちゃん』/『バースデー・ワンダーランド』/『いぬやしき』/『劇映画 孤独のグルメ』/『犬王』/『カイジ ファイナルゲーム』/『劇場版 SPY×FAMILY CODE:White』/『ゴジラ-1.0』/『すずめの戸締まり』/『ポッピンQ』/『劇場版ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』/『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』/『ガフールの伝説』/『海辺の映画館-キネマの玉手箱』
『泣きたい私は猫をかぶる』/『雨を告げる漂流団地』/『パンズ・ラビリンス』/『2001年宇宙の旅』


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