トゥモロー・ワールド

トゥモロー・ワールド トゥモロー・ワールド

P・D・ジェイムズ/青木久惠[訳]

P. D. James“The Children of Men”/translated by Hisae Aoki

判型:文庫判

レーベル:ハヤカワ文庫HM
版元:早川書房

発行:2006年10月15日

isbn:4150766177

本体価格:800円

商品ページ:[bk1amazon]

 西暦2021年、人類に新しい子供が生まれなくなって26年が経とうとしている。やがてこの文明を受け継ぐものが消えると運命づけられた黄昏の時代、イングランドは国守ザン・リピアットに統治される専制国家に変貌していた。ザンの従兄弟であるセオ・ファロンはかつて自分の子供を轢き殺してしまったことを契機に妻と別れ、絶望に支配されていく世界でひとり孤独に生きていたが、国守の係累であるという立場に目をつけた、小規模な反体制組織の接触を受けたことで、思わぬ事態に巻き込まれていく……

『女には向かない職業』などの重厚なミステリを手懸けてきた著者の、珍しく風合いの異なるSFである。

 ただ、SFとしての重厚感には乏しい。文明や科学技術は、発展を諦めているがゆえに現代とほとんど変わらないという様式を選択しており、ために“子供が生まれない”という大前提を除けば、まるっきり現代の物語である。強いて言うならばパラレル・ワールドのような作りに感じられる程度で、だがファンタジーはおろかミステリの分野でも多用される手法なので、やはりSFとは感じにくい。

 その代わり、もし本当に人類が子供を産むことが出来なくなったら、という過程の上に積み上げられた出来事や状況の数々は非常によく考察されていて、リアリティに富んでいる。より末世的な宗教観の流布、独裁制に移行し国が性行為を推奨する倒錯的な政情、若さを失って活動する余力さえない反体制派、そして甘やかされた挙句一切に関心を持たず破滅的な行動を繰り返す最年少の“オメガ”たち――本編の読みどころは、そうした確かなディテールにこそあると言える。

 粗筋は非常にシンプルで、ミステリの分野で重厚な作品を著し続けた書き手にしては捻りが乏しいようにも感じられる。格別な教訓も示さない結末だが、しかし精緻な世界観に支えられた物語の締め括りは、単純なハッピーエンドなどよりも深い余韻を齎す。

 いささか渋めながら、豊穣な読書体験を齎してくれる1冊。諸事情から読むのにずいぶん時間がかかってしまったが、それで良かったようにも思う。

 本書ははじめ、『人類の子供たち』という原題に近い邦題にて発行されていたが、本書に基づいて製作された映画の公開に合わせ、映画と同じ『トゥモロー・ワールド』と改題のうえ新装刊行されたものである。原作つきの映画を鑑賞するときはなるべくオリジナルにあたってから鑑賞するようにしている私は、習慣に従い購読したわけだが――実は本作の場合、映像化を担当したアルフォンソ・キュアロン監督は「原作を読んでいない」と断言している。その設定に刺激され、独自に構想したストーリーを展開しているようなのだ。

 いちおう脚本家は読んだそうだし、主要登場人物の名前は共通しているが、しかし配役を見る限りは設定もかなりいじっているように思われる。私と同様に、原作を知ってから映画を御覧になるという方は、その辺予め考慮しておいたほうがいいかも知れない。

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