『K−20 怪人二十面相・伝』

『K−20 怪人二十面相・伝』

原作:北村想(『怪人二十面相・伝』小学館文庫・刊) / 監督・脚本:佐藤嗣麻子 / 脚本協力・VFX協力:山崎貴 / 製作:島田洋一、阿部秀司、平井文宏、島谷能成、島本雄二、亀井修、西垣慎一郎、大月昇、島村達雄、高野力 / プロデューサー:安藤親広、倉田貴也、石田和義 / エグゼクティヴプロデューサー:阿部秀司、奥田誠治 / 撮影:柴崎幸三 / 美術:上條安里 / VFXディレクター:渋谷紀世子 / 編集:宮島竜治 / 音響効果:柴崎憲治 / 音楽:佐藤直紀 / 主題歌:オアシス『The Shock of the Lightning』 / 出演:金城武松たか子仲村トオル鹿賀丈史國村隼高島礼子本郷奏多益岡徹今井悠貴斎藤歩木野花松重豊大滝秀治小日向文世嶋田久作要潤 / 企画・制作プロダクション:ROBOT / 配給:東宝

2008年作品 / 上映時間:2時間17分

2008年12月20日日本公開

公式サイト : http://www.k-20.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/01/05)



[粗筋]

 外交努力によって第二次世界大戦が回避された、架空の日本。しかしそこでは明治以来の華族制度が依然として幅を利かせ、階級を超えた結婚も御法度となる歴然とした格差社会が生まれていた。そして、マスクに黒マントの盗賊・怪人二十面相が跳梁し、貴族階級をターゲットに盗みを繰り返している。この謎の男を追うのは、名探偵の誉れ高い明智小五郎(仲村トオル)――

 本来、そうした世界とは無縁であった遠藤平吉(金城武)が事態に巻き込まれるきっかけは、彼の職場であるサーカス団を、ひとりの紳士(鹿賀丈史)が訪ねてきたことに始まる。カストリ雑誌の記者を名乗る男は、近々、羽柴財閥の所持する巨大なビルの最上階で催される、羽柴財閥の令嬢・葉子(松たか子)と明智小五郎との結納の模様を、撮影してきて欲しいと平吉に頼んだ。折しもサーカス団の団長(小日向文世)が体調を崩している矢先で、札束をちらつかされた平吉はこの依頼を引き受ける。

 結納の日、外壁から羽柴ビルの最上階によじ登り、明智と葉子の姿を撮影しようとした平吉がシャッターを押したとき、思いがけないことが起きた。ビルの一角が爆破されたのである――しかも結納の場には、羽柴家が保管する絵画を盗む、という怪人二十面相の予告を受けて、浪越警部(益岡徹)ら警察が控えていた。浪越に発見され、「二十面相だ」と名指しされた平吉はその場で取り押さえられてしまう。

 あの男が名刺に記していた雑誌は存在せず、平吉の部屋からはかつて二十面相が盗んだダイヤが発見され、平吉は完全に二十面相として裁きにかけられる羽目に陥った。向かいの牢に閉じこめられた男(松重豊)が、いちどだけ目にしたという二十面相の素顔が、例の男とまったく同じだったことを知り、平吉は初めて二十面相の罠に嵌ったことを悟る。

 失意に打ちひしがれる平吉だったが、刑務所に護送される途中、どうにか逃げ出すことに成功した。彼を助けたのは、サーカスでからくりを手懸けていた源治(國村隼)――しかしその正体は、貴族達を相手に小さな盗みを重ねている泥棒であり、源治を手助けしたのもその仲間たちであるという。もともと潔癖なたちであった上に、二十面相に騙されたことを知った平吉は嫌悪感をあらわにし、匿われた溜まり場を飛び出す。

 自分の居場所であるサーカス団のテントに戻った平吉だったが、彼が目にしたのはすっかり焼き払われ、見る陰もない廃墟であった。行く先々には自分の顔写真を載せた手配書が出回っており、改めて絶望に打ちひしがれていた平吉は、かつてサーカスで手伝いをしていた少年シンスケ(今井悠貴)と遭遇する。平吉が生まれ育った場所である“ノガミ”という溜まり場に暮らすシンスケが、幼いながら他の浮浪児を養おうと懸命になっている姿を目の当たりにした平吉は、ある覚悟を固めて、源治の元に戻った。

 平吉は、戦う覚悟を決めたのだ。本物の怪人二十面相を捕まえ、自らの汚名を雪ぎ、サーカスに戻るために、二十面相を超える“盗賊”になる覚悟を。

[感想]

 日本のフィクションの世界で最も有名な盗賊といえば、実在した石川五右衛門、鼠小僧を別格として、怪人二十面相に尽きるのではないだろうか。日本探偵小説文壇の巨人である江戸川乱歩が少年少女向けとして執筆したシリーズにおいて、名探偵・明智小五郎の好敵手として創造されたこの義賊は、そのまま現代のフィクションに登場する怪人や盗賊の原型となっている。

 二十面相の登場するシリーズの魅力は、極端な謎に派手な展開、そして探偵と怪盗との鍔迫り合いにある。乱歩の執筆する少年ものは、彼が戦前に手懸けたいわゆる“通俗もの”と呼ばれる長篇群のスタイルを踏襲しており、連載一回ごとに読者の関心を強く惹きつけることに眼目を置いている。そのために読んでいるあいだは滅法面白いものの、細部の整合性に注意を払っていない(払う余裕がない)ため、通して読むと意外と破綻している部分も多い。しかし、そうした雑然とした作り、大らかさもまた一種の魅力となっていたのは、大衆作家としての江戸川乱歩の力量と言えるだろう。

 本篇はその江戸川乱歩の小説をそのまま雛形にした、というわけではなく、怪人二十面相に、立ち向かう側である探偵・明智小五郎と彼を慕う小林少年(本郷奏多)に少年探偵団、といった中心的な要素を抽出し、“第二次大戦が外交努力で回避された”“貴族制度が残り、格差社会になっている”という昭和三十年頃の日本を想定したパラレル・ワールドで繰り広げられる物語として再構築されている。おのずと別物と取り扱うべきなのだろうが、しかし上記のような、江戸川乱歩描く二十面相ものの魅力は、いい部分でも悪い部分でもきっちりと踏襲しているのだ。

 率直に言えば、本篇のプロットというのは根本的に破綻している。最後まで観ても、そもそも物語のきっかけ自体にある“なぜ”に明確な答は示されない。そして平吉を陥れた二十面相の計画に、いまいち蓋然性がないのも気に懸かるところだ。二十面相の正体についての着想はユニークだが、あの説明だと大前提の部分で大きな疑問が残ってしまう。そして、その大前提を成立させるのに必要な設定に、どうも説得力を欠いている。

 ただそれは、解かれた謎の側から作品を観ようとするから生じる破綻である。乱歩の二十面相もの、どころか通俗ものであっても、同様の欠点は存在している。だが、罠にかけられる平吉と、彼の行動という側面から観る――つまり一番素直な視点に就けば、本篇はまさに“通俗もの”に通じる愉しさを備えた作品として仕上がっていることに気づくはずだ。起伏に富み、冒険の興奮に充ち満ちた正統派の――まさに乱歩の描く怪人二十面相ものの系譜を辿るストーリーになっている。

 主演の金城武は、同時期に公開された『レッドクリフ PartI』と対照的に、単純でどうも間の抜けた三枚目に扮しているが、動きの乏しかったあちらよりもずっと精気に満ちて活き活きとしている。その素直なキャラクターも、視点人物として相応しい。

 だが本篇で最も魅力を放っているのは、松たか子演じる葉子である。言ってみれば『ルパン三世 カリオストロの城』のクラリスの系譜にいる“お姫様”なのだが、初登場近辺では高貴な美しさを示す一方、次第に弾けていく姿が実に爽快なのだ。はっきり言ってしまえば中盤以降は美しいとは言いにくい表情も随所で見せるのだが、だからこそ覆い隠せない魅力を放っている。

 そうして乱歩的な大衆向け娯楽作品の系譜をきちんと踏まえた作りになっている本篇だが、しかし個人的に本篇をジャンル分けするなら、近年ハリウッドにおいて大きな潮流を構成している、アメコミ原作のアクション映画に含めるべきだ、と感じた。バットマンやスパイダー・マンといった中心的な作品群と並べると少々痛みに欠けるものの、到達点がとても近く、作品としての完成度は決して劣っていない。

 せっかくのパラレル・ワールドなのに、“第二次世界大戦はなかった”という設定が特高まがいの横暴な警察組織が残存しているあたりにしか影響していないなど、設定を充分に活かしきっていない点もふるのが惜しまれるが、乱歩の小説にあった面白さをきちんと継承した、正統派の娯楽大作である。細部の整合性が気になってしまうという人には向かないだろうが、今でも乱歩の通俗ものにある外連味を愛するような人であれば充分に楽しめるはずだ。

 ちなみに、公開時の舞台挨拶などで主演の金城武は続篇の可能性を匂わせたという話を聞いた。観終わってみると、確かに不可能ではないし、プログラムにおいても出演者や原作者が色気を示しているのだが……その場合、ある人物をどういう扱いにするかが大いに問題となるだろう。その解決策を如何に導き出すか、も含めて、もし続篇が出来るなら観てみたいとは思うが、はてどうなることやら。

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