『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』

『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』

原題:“Revolutionary Road” / 原作:リチャード・イェーツ / 監督:サム・メンデス / 脚本:ジャスティン・ヘイス / 製作:ボビー・コーエン、ジョン・N・ハート、サム・メンデススコット・ルーディン / 製作総指揮:ヘンリー・ファーネイン、マリオン・ローゼンバーグ、デヴィッド・M・トンプソン / 撮影監督:ロジャー・ディーキンス,ASC,BSC / プロダクション・デザイナー:クリスティ・ズィー / 編集:タリク・アンウォー / 衣装:アルバート・ウォルスキー / 音楽:トーマス・ニューマン / 出演:レオナルド・ディカプリオケイト・ウィンスレットマイケル・シャノン、キャスリン・ハーン、デヴィッド・ハーバー、キャシー・ベイツ、ゾエ・カザン / 配給:Paramount Pictures

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間59分 / 日本語字幕:戸田奈津子

2009年01月24日日本公開

公式サイト : http://www.r-road.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/01/28)



[粗筋]

 夜更けの道路脇、駐めた車の横で、フランク(レオナルド・ディカプリオ)とエイプリル(ケイト・ウィンスレット)のウィーラー夫妻は激しい口論を交わした。その日の市民劇団の旗揚げ公演が大失敗に終わったことが、女優志望であったエイプリルを著しく失望させていたのである。そんな彼女を傷つけまいと、フランクは懸命に気を遣おうとしたが、エイプリルは苛立ち紛れに、7年来の結婚生活で蓄積した鬱憤を夫に叩きつけてきたのである。

 俄然悪化した妻との関係への苛立ちを晴らすように、フランクは職場の秘書モーリーン・グルーブ(ゾエ・カザン)相手に火遊びに興じたが、その日の夜、彼を出迎えた妻は異様に陽気だった。子供たちと共にフランクのバースディを祝ったあと、エイプリルは芝居の夜の態度を詫び、ずっと考えた挙句に導き出した計画を打ち明ける。

 アメリカを去り、ヨーロッパ――パリに渡る。望まぬ妊娠のために結婚を選び、封じ込めてしまったフランクの才能が開花するときまで、自分が働き家族を養う。

 およそ現実離れした話だったが、もともと会社勤めで一生を終えるような男ではない、と目され、自負もあったフランクにとって、その提案は魅力的に響いた。妻の言葉にフランクは頷き、秋を目処に渡航の計画を本格的に練り始める。

 最初のうちは、まるで心身共にリフレッシュされたかのように、フランクもエイプリルも陽気だった。隣に住むシェップ(デヴィッド・ハーバー)とミリー(キャスリン・ハーン)のキャンベル夫婦や、職場の同僚達にも打ち明け意気揚々としていた。

 しかし、この夢物語めいた渡航計画はいわばその場しのぎのカンフル剤のようなもので、間もなくその効力を失っていく。一時期は滑らかだった夫婦の会話もまた油が切れたように軋り始め、更にはあれほど鬱陶しがっていた仕事の面で、フランクに転機が訪れようとしていた。上司に急かされるあまり、適当にでっち上げたものが別部署で高く評価され、新たなプロジェクトにフランクを起用したいと進言してきたのである。

 その場で断らなかったことをエイプリルは詰ったが、そのせいでフランクは余計に迷いを深めていく。本当に、パリに渡るのが正しいのだろうか。アメリカでも自分の為すべきことは見つかるのではなかろうか……?

[感想]

 本篇を鑑賞する前に、予め原作を読んでおいた。こうすると、映画化の話が持ち上がるのも頷ける原作の傑作ぶりに、映画版の完成度に不安を抱くことも多いのだが、本篇の場合、極めて質の高い作品を発表しつづけているサム・メンデス監督の仕事なので、あまり心配はしていなかった。案の定、見事に作品世界を再現し、その意図をきっちりと映像に埋め込んでいるのだが――それでも、だからこそ今回の場合は、先に原作を読んだのは失敗だ、と感じた。

 原作は、アメリカの郊外に暮らす人々の、上辺の品格と内側に秘めたどす黒い感情とを重層的に描くことで、その業と悲劇とを抉り出している。表面的なやり取りと同時に、当事者の心情を地の文で克明に、容赦なく描いていくそのスタイルは、読んでいてしばしば身につまされることもあり非常に強烈な読書体験を齎してくれる。

 だが、映像では同じ手法を取ることは出来ない。そのため本篇はナレーションはじめ説明めいた部分を一切排し、原作で綴られている出来事をそのまま再現することで、フランクとエイプリルの内面が次第に浮き彫りになっていく方法を選択している。冒頭の激しい口論で、ふたりが鬱屈を抱えているのは最初から明白だが、本質までが剥き出しの原作と違い、夫婦それぞれの本性がじわじわと顕わになっていくような描き方をしているのだ。そのために章節ごとに別角度から弱い部分を抉ってくるような原作とは異なり、結末に向かうに従って衝撃は増し、クライマックスで頂点に達する。

 しかし、原作を読んだうえで観てしまうと、会話や表情の背後にあるものがその都度理解できてしまう。製作者が意図したはずの衝撃を、ラストで存分に味わうことができないのだ。

 無論あちらはそういう反応も想定しているのだろうし、だからこそ原作の描写と極力食い違わぬよう繊細な配慮を施しているようだ。フランクが移住計画を周囲に触れ回るタイミング、細かな台詞の構成などに違いはあっても、場面の意図を大幅に改竄しているところはなく、ことケイト・ウィンスレットに至っては一瞬の表情でさえも内心を完璧に表現していて舌を巻く。

 それほど丁寧に作っているからこそ、あのクライマックスでもっと生々しい衝撃を味わいたかった、と惜しまれてならないのだ。原作においては、ほとんどが当事者以外の目線で綴られているクライマックスを、敢えて直接的に描いた映画の終幕は、観たあと鮮烈に記憶に留まるだろう。過程における心情を知らなければ、恐らくは尚更のはずだ。

 舞台監督出身のサム・メンデス監督の映画は構図にこだわりが強く、本篇でもその傾向は著しい。乗用車で出勤するフランクを捉えるカメラアングルの変化や、ウィーラー家の内と外とを行き来して両者の心の距離を巧みに描き出す技、そしてその時々の心理を反映するかのように調度の表情も変えていき、場面場面のインパクトを増している。

 この素材を与えられて、考えられる一番完璧な仕上がりを示した作品である、と思う。それだけに、もしこれからご覧になるつもりで、原作を先に読むべきかいなか迷っている、という段階にあるのであれば、いったん本を引き出しにでも仕舞って、鑑賞後に取りだしてじっくりと文章を追うことをお薦めしたい。

 本篇は、未だにその興収記録が破られていない稀代の話題作『タイタニック』で中心的に描かれるカップルが久々に競演した作品として喧伝されており、そのために劇場に足を運んだ、運ぼうと考えている方もいるだろう。しかしそういう方にとって、本篇はどのように映るのか。

 穿った見方であるが、本篇のキャスティングは、未だに『タイタニック』の呪縛から逃れられずにいるレオナルド・ディカプリオを解き放つべく、プライヴェートでは交流があり、かつもともと演技派であったため順調にキャリアを重ねていたケイト・ウィンスレットが気遣って実現させたのではなかろうか。監督がケイトの実生活での夫だという点からも、その可能性を疑いたくなる。

 もし本当にその通りであったとしたら、その狙いは充分に成功している、と思う。本篇を観たあとで、あの美しいロマンスが未だに続いている、と安易に信じ込める人は、まずいないだろうから。……こんなことを想像してしまう私も、相当根性悪かも知れないが。

コメント

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