『WHITE MEXICO』

WHITE MEXICO [Blu-ray]

監督・原案・脚本・音響効果・編集:井上春生 / エグゼクティヴプロデューサー:一志順夫 / 企画プロデューサー:村山達哉 / プロデューサー:松岡周作 / 撮影監督:木村重明 / 録音:小林武史 / 衣装:小倉久乃 / ヘアメイク:金具光恵 / 音楽プロデューサー:田井基良 / 音楽:村山達哉、Tokyo Grand Orchestra / 主題歌:Akeboshi『Along the Line』 / 挿入歌:大江千里『静寂の場所』 / 出演:大江千里、ティアラ、はねゆり、篠原勝之、ブラザートム / 配給:Epic Records Japan

2007年日本作品 / 上映時間:1時間10分

2007年8月18日日本公開

2008年1月23日映像ソフト発売 [Blu-ray Discbk1amazon|DVD Video:bk1amazon]

公式サイト : http://www.white-mexico.jp/

Blu-ray Discにて初見(2009/08/03)



[粗筋]

 自動車雑誌の編集長であった佐藤樹(大江千里)が逃走者になったのは、ひとり娘・祐未(はねゆり)の死がきっかけだった。

 佐藤が経営しているコンビニで店番をしている最中、祐未はチンピラによって理不尽に殺される。佐藤は闇ルートで入手した拳銃で復讐を果たし、チンピラが持っていた大金を奪ったのだ。既に妻はなく、愛する者をすべて失った佐藤は生きる気力を失い、奪った大金をメキシコの慈善プロレス団体に寄付して死ぬつもりで逃避行に赴く。

 いったん追跡を逃れるべく、青森行きのバスに乗った佐藤はそこで何故か、パステル(ティアラ)という少女に絡まれた。乗車する際、彼の抱えていた大金を目にし、それを寄付すると言う佐藤に関心を持ち、そして妙な共感を覚えたらしい。

 パステルは自分が4分の1だけ日本の血の流れたロシア人であった。日本に曲芸飛行のため訪れた飛行士である祖父が青森で急死、飛行機の保管費や違約金が嵩んだせいで、突如莫大な借金を背負わされたパステルは、呆然としながらも祖父が死を遂げた、そして祖父と日本で生まれ育った祖母とが出逢った土地を目指していた。

 執拗に話しかけ、問いかけてくるパステルを鬱陶しがりながらも、行きずりの気安さからかぽつぽつと本心を漏らす佐藤。やがて、思いがけぬ経緯から、ふたりきりでの逃避行が始まるのだった……

[感想]

 本篇は“シネムジカ”と名付けられた、エピック・レコードが中心となった映画レーベルの第3作として発表された作品である。

 cinema×music、というところから来た造語を冠しているレーベルの作品だけあって、全体に音楽に重きが置かれている印象だ。加えて、事件と呼べるものがほとんど発生せず、感情を訥々と漏らす会話が中心となった内容であるだけに、全体のイメージは漠然としていて、長篇のイメージ・ビデオといった趣がある。

 伏線やイベントが複雑に混じりあうプロットであったり、人間の感情に深く分け入る会話、駆け引きなどを求める人にはあまりに微温的で退屈なはずだ。波乱もなくあっさりハッピーエンドに辿り着いてしまった感のある締め括りにも不満を抱くだろう。

 だが本篇は、全篇に流れる清澄で穏やかな空気と、その中でふんわりと繰り広げられる暖かで優しい会話こそが魅力であり、そこにドロドロとしたやり取りや込み入ったストーリーは必要ない。

 イメージ・ビデオと評したが、そう感じさせる大きな理由のひとつに、映像の美しさがある。舞台のほとんどは農村であったりうらぶれたガソリンスタンドであったり、と名所旧跡でもなければ景勝地というわけでもない、少し田舎に足を伸ばせば見つかりそうな光景ばかりなのだが、それがことごとく不思議な美しさを湛えている。夕暮れ間際のほんのりとオレンジがかった光を受けた田園に、暗がりにぽつんと建つガソリンスタンド、公園のそばにぽつんと構えたおでんの屋台、光線の具合や構図に配慮を施した映像が、それぞれに印象的だ。

 ムード主体と言い条、記憶に残る場面や会話もふんだんに盛り込まれている。それぞれに一時代を築いたミュージシャンである大江千里ブラザートムが共演する場面は、物語の転機を実にコミカルに彩っているし、互いに胸襟を開く様を繊細に描いた旅館でのひと幕は静かな暖かさを感じさせる。翌朝の橋での会話、そして文字通り“飛び立っていく”クライマックスは、会話や表情で無理にすべてを説明していないだけに曖昧な印象を留めながらも、清々しい余韻を齎す。

 専業の俳優、役者としてキャリアを積んでいるという人がほとんどいない作品だが、演技面でも意外なほど満足度の高い仕上がりだった。歌手としては独特の瑞々しさを留めた大江千里は本篇において年相応の貫禄、枯れた雰囲気を醸し出している。対するティアラは日米ハーフということだが、ロシアの血が濃いと言われても納得のいく顔立ちに奔放さと繊細さとを湛えた表情で、物語の清澄な空気をより強調している。そして、殺された娘・祐未を演じたはねゆりも、登場シーンは長くないが、僅かななかで父親との微妙な関係性を感じさせる演技を示しており、佇まいの愛らしさもあって物語に華と、仄かな哀感を添えている。

 同情すべき理由が充分にあるとはいえ、大江千里=佐藤が行ったことは間違いなく罪であり、作中で格別咎める言葉が出て来ないことに違和感を覚える向きもあるだろう。また、この一件が事実上置き去りにされてしまうことに引っ掛かる、という人もあるに違いない。だが本篇をフィクションであると割り切って、誰しもが抱く孤独感、喪失感、復讐心から解き放たれていく彼らの表情に、ゆったりと身を浸すことが出来れば、ひとときの心地好さを得られるはずだ――行為の是非はどうあれ、彼らの心情は否定できるものではないし、そこに救いを与えた結末は、共鳴した観客の心にも救いを齎す。

 陳腐な言い方だが、気持ちが疲れきったときに観ると、穏やかな気分に浸れる1篇であろう。

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