『夜叉(1985)』

監督:降旗康男 / 脚本:中村努 / プロデューサー:島谷能成、市古聖智 / 撮影:木村大作 / 照明:安河内央之 / 美術:今村力 / 編集:鈴木晄 / 効果:小島良雄 / 刺青:毛利清二 / 録音:宇仁貫三 / 音楽:佐藤允彦、トゥーツ・シールマンス / 主題歌:ナンシー・ウィルソン / 出演:高倉健、田中裕子、いしだあゆみ、ビートたけし、乙羽信子、奈良岡朋子、田中邦衛、大滝秀治、小林稔侍、寺田農、下條正巳、あき竹城、真梨邑ケイ、檀ふみ、丹古母鬼馬二、岩崎ひろみ、森寿男とブルーコーツ / 配給&映像ソフト発売元:東宝
1985年日本作品 / 上映時間:2時間8分
1985年8月31日日本公開
午前十時の映画祭8(2017/04/01~2018/03/23開催)上映作品
2015年2月18日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2017/12/21)


[粗筋]
 日本海に面した若狭湾の小さな漁港で、北原修治(高倉健)は15年、漁師として暮らしてきた。啓太(田中邦衛)ら地元の漁師からの信頼も厚く、既にすっかり根を下ろしている。
 平穏なこの地に、螢子(田中裕子)という女が小さな子供と共に越してきた。螢子が開いた居酒屋・螢は、彼女の艶っぽい美貌も相俟って瞬く間に浜の評判となり、夜な夜な男衆の集まる店になった。
 大阪のミナミで水商売をしていたらしい螢子が何故、港町に越してきたのか、住民たちが詮索するなか、矢島(ビートたけし)という男が螢子のもとに身を寄せる。矢島は螢を訪ねてきた漁師連中と賭け麻雀に明け暮れた。連日の徹夜が堪えていない様子の矢島に周囲の人間が疑問を抱くと、矢島は栄養剤と称した薬物を漁師たちに捌くようになる。
 修治は駅前で、矢島が落ち合った人間を見つけると、物陰に誘き寄せ暴行を振るう。“栄養剤”を持ってきた運び屋は、修治にとって馴染みのある顔だった。修治はかつて、大阪ミナミの侠客に“人斬り夜叉”と呼ばれ恐れられていたが、そのときの舎弟にあたるトシオ(小林稔侍)だったのである。覚醒剤に汚染されていく任侠の世界に嫌気が差した修治がミナミを離れ港町に隠棲してからというもの、ミナミの極道も様変わりし、順応できないトシオは未だに運び屋どまりである苦悩を告白する。修治には、惨めな有様のトシオに、矢島との取引をやめるよう諭すことは出来なかった。
 矢島の覚醒剤中毒に悩まされていた螢子は、ある日、矢島の隠し持っていた薬物をこっそりと捨てる。そのことに逆上した矢島は、包丁を握りしめ、螢子を追って港を走り回った。妻の冬子(いしだあゆみ)に知らされた修治は矢島を叩きのめすが、一瞬、油断した隙に背中に切りつけられる。怪我こそ負わなかったが、野次馬となった漁師仲間たちに、15年間隠し続けていた“夜叉”の刺青を晒してしまった――


TOHOシネマズ日本橋、ロビー奥に展示された『午前十時の映画祭8』現在上映作品案内ポスター、『夜叉』上映当時のもの。
TOHOシネマズ日本橋、ロビー奥に展示された『午前十時の映画祭8』現在上映作品案内ポスター、『夜叉』上映当時のもの。


[感想]
 高倉健と降旗康男監督&木村大作撮影、そして北国の雪景色、という取り合わせは、先行する『駅 STATION』や、本篇のあとに撮られた『鉄道員(ぽっぽや)』とも共通する。しかし、それぞれに映画に対してこだわりを持つ面々であるだけに、一見似たようなシチュエーションに思えても、きちんと差別化は為されている。
『駅』が刑事物、『鉄道員』が題名通り鉄道員の物語であるのに対し、本篇はいわゆる“任侠もの”の発展形と言える。それも現役同士の血で血を洗う闘争を生々しく追っていく類ではなく、任侠の世界を退き、過去を隠して生きてきた男に、突如として己が背負った業を晒される、という物語だ。
 しかし本篇は、そこに繋げていくドラマの組み立てが絶妙だ。15年も慎重に振る舞ってきた当事者である修治とその家族だけなら、発覚に至るトラブルには発展しなかっただろうが、修治と同じく大阪ミナミから流れ着いてきた男女がそのトリガーの役割を果たしている。修治ほどではないにせよ、後ろ暗い過去を秘めた女と、そんな彼女がどうにか港町に築いた居場所に上がりこんで、都会の悪徳を拡散していく男。彼らの登場が、結果的に修治の秘密を晒し、修治をふたたび暴力の世界へと誘い込もうとする。
 高倉健はそもそも多弁なキャラクターという印象がないが、本篇はことに表情、そして背中で物語る印象だ。しかしそれにしても、15年も守り抜いた堅気としての生活を、返上するような行動に出るのがいささか訝しく映る。螢子という、ときおり幼げな表情を覗かせながらも怪しい色香を放つ女の存在あってこそ、とも読めるが、しかしそれ以上に大きいのは、消したくても消せない“夜叉”が象徴しているのだろう。
 本篇の修治はその過去の業が背中に彫った“夜叉”の刺青、というかたちで解りやすく視覚化されているが、誰しも過去に犯した罪から完全に逃れるのは難しい。それは、矢島という悪徳にまみれた男から逃れられない螢子にしても、修治という極道崩れを夫にした冬子にしても同様だ。この物語は、時間を隔てて顔を見せる己の過去や業に、身悶えしながら翻弄される姿を、冬の日本海の冷たく荒々しい光景に重ねて描いている。
 個人的に、この作品で最も注目すべきは音楽ではないか、と思う。港町で男たちの憩いの場となる居酒屋、そして修治の過去とも密接に結びつく大阪ミナミの情景といい、凡庸な判断を下せば、演歌や歌謡曲調の音楽を採用してしまいそうだ。しかし本篇は、ジャズ・ピアニスト佐藤允彦の曲に、随所でトゥーツ・シールマンスのハーモニカが泣く洒脱な演奏で彩られている。題名や題材、中心となる舞台の映像は極めて日本的なのに、この音楽が乗ることで、任侠ものからハードボイルド小説めいた味わいが生まれている。
 悲劇的な結末を覚悟しながらも、修治が過去と対峙したその挙句の結末は、しかし少々拍子抜けの感が否めない。だが、ある意味ではこれも正しい“報い”なのかも知れない。修治は覚醒剤に毒されていくのを嫌悪し極道の道を捨てた。数奇な縁によってふたたび極道の世界に踏み込みかけたが、彼をミナミへと誘ったものは、その悪業ゆえに、勝手に滅びていった。修治は15年に及ぶ苦労が報われた一方で、彼のように何かを変えようとしなかった者には、必然的な結末がもたらされたに過ぎない。
 一見、平穏に立ち戻ったかに映る結末だが、しかし本篇のエピローグには不穏な要素が仕込まれている。修治の背中に刻まれた“夜叉”が、いつかふたたび、またかたちを変えて訪れる予感を留めたその幕切れは、毒を微かに混ぜたようなチリチリとした痺れを余韻として残す。
 任侠映画のスタイルを敷衍しながら表現に洒脱さを加え、それでいてより深い情念を作品に籠めている。古い日本映画のイメージで相対すると足許をすくわれる、端倪すべからざる傑作である。

 ちなみに、歴史的に言えば、実は漁師達は刺青に寛容だった――というより、むしろ積極的に身体に彫りを入れていた、という話がある。海の男が遭難するのは当然波の上、事故があった際に打ち上げられた屍体を識別する手段として、刺青には意味があった、と言われている。
 地域差はあっただろうし、まして本篇の出来事は製作された時点での現代を想定していると考えられ、その頃には刺青は堅気の人間のするものではない、というイメージのほうが色濃くなっていただろう。
 故に、本篇のような決めつけや苛烈な反応が起きたとしても不思議ではない――ないのだけど、個人的には、それまでの15年をあっさり否定するレベルで簡単に見方を覆す者がいるのは少々引っかかった――終盤でそれが半ばなかったことのようになっているのは、それはそれで日本人らしい対処だとは思うけれど。


関連作品:
駅 STATION』/『将軍家光の乱心 激突』/『鉄道員(ぽっぽや)
幸福の黄色いハンカチ』/『ひとよ』/『コミック雑誌なんかいらない!』/『裸の島』/『椿三十郎(1962)』/『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』/『復活の日』/『雪の断章-情熱-』/『山桜』/『八甲田山<4Kデジタルリマスター版>
仁義なき戦い』/『新宿インシデント』/『任侠学園

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