『ファイト・クラブ』
チャック・パラニューク/池田真紀子[訳] Chuck Palahniuk“Fight Club”/translated by Makiko Ikeda 判型:B6判ソフト 版元:早川書房 発行:1999年2月 isbn:4152082089 本体価格:1600円 |
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ブラッド・ピット主演の映画版も公開された、異色作家・チャック・パラニュークの処女長篇。如何せん、作者についてのデータが少なくあまり語ることがないのでまずは粗筋紹介。
「僕」は日々リコールによる損益計算に汲々とするような自動車会社に勤務する、平々凡々とした男だった。様々な病原を抱える人々の相互支援サークルに名前を偽り参加することで、辛うじて己の命を実感しているぐらいに。「僕」はある日、冷蔵庫の爆発で住む場所を失い、出張の時に知り合ったタイラー・ダーデンに寝床を提供して貰うよう頼んだ。タイラーは異様な条件と共にその要求を呑む。その条件とは、「俺を殴ってくれ、力一杯」 それを契機に、毎週末の夜になるとバーの地下室などを間借りした、奇妙な祭典が開かれ始めた。互いの拳で互いを痛めつけあい、そうでもしなければ己の存在を実感できない者どもが一人また一人と噂を聞きつけて集い始める。やがてタイラーと「僕」によってルールが制定されるまでになり、その規模を拡張し、あちこちの酒場で駐車場で催されるようになる。タイラーは各所の「ファイト・クラブ」において一種のカリスマとして崇められるようになり、一方で現実に苛まれる「僕」は次第次第に疎外感を覚えるようになっていった。「ファイト・クラブ」はその繁栄の一方でより強烈な「生の実感」を希求するタイラーの意志によって、日頃「僕」とタイラーが行っていた無意味な破壊活動を過激化させていく。ただ引きずられているだけの「僕」の中でいよいよ焦燥が募っていく。果たして、彼等は一体何処へ行こうとしているのか――? 本編の特徴は何よりも絢爛たる比喩の羅列にある。冒頭から食傷を覚えるほどに、過剰な喩えが積み上げられていく。この時点でかなり好みは分かれてしまうが、それが全編に漂う奇妙な浮揚感――麻薬的な、と添えてもいいかも知れない――を醸し出しているのだから、簡単に苦手と決めて捨ててしまうのは勿体ない。その描写の派手さに対して筋運びに無駄はなく、大仕掛けは無論、些細な部品まで結末できちんと結びつくように仕組まれていて、昨今の海外作品としては薄めなのだが読み応えは充分にある。 作中のある仕掛けは既に手垢の付いたもので新味はないし、ミステリ読みにとってはその扱いに疑問を覚えたが、元よりミステリ的なカタストロフィを狙った作品ではないのだろうし、あまり傷とは感じない。本編の主眼は、「己の存在の曖昧さを払拭したい」という類の狂気を描くことにあったのだろう、と思うのだ。嗜好によって極端に評価が割れそうなので必読とは言わないが、上記の粗筋で気を惹かれた方は一度手に取ってみるといいだろう。幸いにさっさと文庫化もしてくれたことだし(単行本を発売当時に購入した私には、僅か十ヶ月後の文庫化はただひたすら腹立たしい限りだが)。 因みにこれを書いている段階で映画版は未見である。ネット内で批評を散見する限り、あまり芳しい出来ではないようだが、この視覚的な表現とある種暴力的な仕掛けを、映像でどのように表現しているのか興味が湧いた。取り分け、あの二人の主役をどのように描いているのか、にも。確かに、まんま映像化されていたらとても痛い作品になっているのだろうが……。 |
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