『葬儀屋の未亡人』
フィリップ・マーゴリン/加賀山卓朗[訳] Phillip Margolin“The Undertaker’s Widow”/translated by Takuro Kagayama 判型:四六判ハード レーベル:Hayakawa Novels 版元:早川書房 発行:2000年1月15日 isbn:4152082577 本体価格:1900円 |
|
1978年、『封印された悪夢』によってデビューした、現役の弁護士作家・フィリップ・マーゴリンの第六作。経験と豊富な知識に基づく法律描写とスピーディな物語展開によって上質のサスペンスを作り出す手腕には定評があり、「十割打者」という言い方をされるほど。深川は第四作『暗闇の囚人』を衝動買いして以来、海外作家では珍しく、リアルタイムで新刊を読んでいる。
嵐がオレゴン州を蹂躙した夜、ルー・アントニーら二人の刑事は一本の通報に応じてラマー・ホイトの邸宅を訪れる。ホイトの寝室には、鮮血を散らして倒れ伏す男と、既に事切れた夫の身体を抱きかかえ呆然と涕涙に頬を濡らすエレン・クリースの姿があった。夫婦の寝室に押し入った暴漢がラマーを射殺し、クリースがそれに報復した――事件は至ってシンプルな悲劇のように見受けられた。だが、それから暫くのち、アントニーはクリースを拘束せざるを得なくなってしまった。前科者のちんけな強盗と思われたマーティン・ヤブロンスキの自宅から出所不明の大金が発見され、更に科学捜査研究所の技官が現場の血痕とクリースの供述との間にある矛盾を指摘したのである。元警官であり、州の上院議員から国会上院議員になんなんとするクリースを巡り、幾つもの思惑や感情が交錯し始める。 この難しい審理を請け負ったのは、これが初の刑事裁判となるリチャード・クイン判事である。理想の温度差から冷却の一途を辿る妻との関係に悩みながら持ち前の高潔さを以て法壇に臨む。だが、私生活に措ける些細な動揺からクインは失態を演じ、それを種に判決の操作を要求された。己の理想と不甲斐ない現実との相克に、クインは激しく煩悶する。 クリースを貶めんと奸計を巡らせる対立候補、己の信念にしがみつくクインをやがて直接に襲い始める真犯人の魔手。状況は二転三転を繰り返し、遂にクインが対峙した真犯人とは―― 昨今の海外作品では(深川の知る限り)よく見られる手法なのだが、本編でも特に冒頭において多くの視点が作中に持ち込まれ、最初のうちは混乱に陥り、今ひとつのめり込みにくい。だが、次第に物語の本筋が事件の担当判事・クインと彼の災難に収束していくに従って目が離せなくなる。あまりの展開に「嘘臭さ」とか「御都合主義」に近いものを感じてしまうこともままあるが、単なるサービスで終わらせず結末できちんと纏め上げている――意外な結末、という観点に立ってしまうと些か解りやすい真相ではあるのだが、過程の描き込みがしっかりしているため、虚心に読んでいれば驚きはあるし、満足はしないでも納得する出来と言える。 個人的に気になったのは訳文である。マーゴリン作品は前作『炎の裁き』まで田口俊樹氏が翻訳を担当していたのだが、本編は加賀山卓朗という人物が請け負っている。同氏が他にどの様な作品を翻訳していたのか私は寡聞にして知らないが、本編の訳文を見る限り訳者としては新人同然で、全体に堅さがあるように思った。特に前半に於いてそれが顕著で、ぎこちなさに目が行っては頁を繰る手が滞りがちになった。中盤以降はエピソードの牽引力が増すのと、ぎこちなさにもいつか慣れてしまったからだろう、拘泥することなく快調に読んだのだが、それにしても訳文の拙さ、というものは頻りに感じた。マーゴリン作品は何れも定評があり、新刊が出たのを期に読んでみようという気になった向きもあると思うのだが、そういう方に本書が果たして相応しいものなのか、疑問である。幸い、『炎の裁き』以外は全作ハヤカワ文庫NVに収録されているので、翻訳作品に馴染みがないけれど、これからマーゴリン作品に触れようと考えている方は、そちらから手をつけるべきだろう。既に「ぎこちない訳文」について免疫のある玄人の皆さんは、どうぞ遠慮なく読んでみて下さい。物語として、前述したような問題点こそあれ、間違いなく傑出したエンタテインメントです。 |
コメント