夜歩く

夜歩く 『夜歩く』

ディクスン・カー/井上一夫[訳]

John Dickson Carr“It’s Walks by Night”/translated by Kazuo Inoue

判型:文庫判

レーベル:創元推理文庫
版元:東京創元社
発行:1976年07月23日(2000年07月21日付29版)

isbn:4488118143

本体価格:560円

商品ページ:[bk1amazon]

 凶悪な前夫のもとを逃れ、フランスの地でスポーツマンとして知られるサリニー公爵ラウル・ジュルダンと華燭の典を挙げたルイズ・ローラン。だが、そのラウルのもとに前夫アレキサンドル・ローランからの脅迫めいた書状が届けられた。新郎の身を守るためにアンリ・バンコラン予審判事指揮によりパリ警視庁による警護が行われたが、厳重な監視の目をかいくぐるように凶行は達成されてしまった――バンコランとその若い友人ジェフ・マール、ローランを看たことのある精神科医グラフェンシュタイン博士、そして張り番の刑事が見守る密室の中で、新郎は首を切断された無惨な姿で発見される。果たしてこの犯行は、何者かに化けたローランの仕業なのか、それとも……?

 密室派の巨匠ジョン・ディクスン・カーのデビュー作である。よく、作家の本質は処女作に顕れる、といったことが言われるが、そういう意味でこれほどらしいデビュー作もあるまい。密室は無論のこと怪奇趣味、歴史をモチーフにする趣向、グロテスクな笑いの要素、そしてほのかなロマンスまで盛り込まれており、見事にこれ以降の一貫した作家性をすべてお披露目している格好だ。

 密室トリックの発想は単純すぎる、というかもうひとり証人がいたら確実に成立しえないかなり柔な密室で、果たして長篇を支えるほどのアイディアだったかは疑問に思う。本編には『グラン・ギニョール』と題された中篇の原型があり、わたしはそちらを先に読んでいるのだが、実際中篇の格好ではさほど違和感を覚えなかった。

 その代わりに物語を支えているのは、バンコランという探偵役の思わせぶりな言動と謎めいた登場人物たちの振る舞い、そして予想外の展開を繰り返すプロットだ。粗筋では省略したが、このあと第二の殺人が発生し、人物たちの言動は更に奇妙なものとなっていく。奇妙さを強調しすぎていささか不自然になっているきらいも感じるが、長い尺を支える工夫を処女作から凝らしていたと考えられる。その真摯な態度が如何にも頼もしい。衒学的に過ぎて空転しているが、のちのフェル博士らによって体現される悪趣味なユーモアの片鱗も、前述の如く既に見受けられる。

 本格探偵小説として第一級の出来、と言うわけにはいかないが、第一作目にして高い理想へと突き進んでいく意思が漲っており、探偵小説愛好家のひとりとして好感を覚えずにはいられない作品である。何より、出来云々をさておいても、「早く先を読みたい」ともどかしくなるような牽引力のあるストーリーテリングが素晴らしい。実際いま私は読み終わっても欲求が収まらず、このまま別のカー作品に手ぇつけてしまおうか、と思っているくらいなのです。

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