連続殺人事件

連続殺人事件 『連続殺人事件』

ディクスン・カー/井上一夫[訳]

John Dickson Carr“The Case of The Constant Suisides”/translated by Kazuo Inoue

判型:文庫判

レーベル:創元推理文庫
版元:東京創元社
発行:1961年7月21日(2003年11月7日付44版)

isbn:4488118100

本体価格:500円

商品ページ:[bk1amazon]

 空襲の危険が囁かれ灯火管制の敷かれたイギリス。歴史上の女性の外貌のことについて誌上で論争を繰り広げていたアラン・キャンベルとキャスリン・キャンベルは奇しくも同じ列車に乗り合わせ初対面を果たすことになった。スコットランドはインヴェラレイにあるシャイラ城を保有する彼らの親族が急死したという報を受けてのことだった――驚いたことに、ふたりは論敵であると同時にまたいとこの関係でもあったらしい。

 ようよう辿り着いたシャイラ城でアランとキャスリンが聞かされたのは、アンガス・キャンベル老の何とも不可解な死の経緯であった。直前に保険契約を結んだことなどから自殺の可能性は皆無だったはずのアンガス翁だが、死亡時の状況はあからさまに自殺を示していたのである。アンガスの弟で遺産相続人のひとりであるコーリンは知人であり名探偵としても知られるギデオン・フェル博士を招き、アンガスが他殺であることを証明させようとするが、その矢先に新たな犠牲者が出てしまった。他でもない、コーリンがアンガスの死んだのとまったく同じ状況で大怪我を負ったのである……

 ほぼ同じ時期に執筆・発表されたカーター・ディクスン名義の『爬虫類館の殺人』同様、戦時下という状況が物語の展開に大きく関わってくるのが面白い。解説でも触れているが、日本では同じ状況において言論統制が敷かれ、多くの探偵作家は筆を折る、或いは捕物帳など規制の埒外にある作品へと転じてしまったという事実があるため、こうして有事のさなかにも遊び心に富んだ作品が著されていたことが意外に思える。お国柄というより政情の彼我の差、というべきだろう。

 私感として、出来は同時期の『爬虫類館の殺人』に少々引けを取っているように思う。空襲に対する危機感が国全体を覆っているなかでの殺人、という設定を活かしている点では一致しているが、トリックの解明がストレートに犯人像に直結し、その根拠があからさまに提示されているあちらに比べて、本編はつごう三つの事件が発生しているので、個々の犯罪の状況描写が不充分であるうえに、トリックと謎解きとの関連がやや込み入っているためにカタルシスがいささか減じている。

 とは言えこれは比較しての問題であって、相変わらずトリックの扱い方、どんな状況であればそのトリックを不自然でなく用いることが出来るか、という点に対する配慮がなされており、トリックの解明がそのまま犯人特定の条件にもなっていることはさすがと言うほかない。

 物語の背景などところどころに戦争の影響が覗きながら、しかしやっていることは概ね平時と同じであることもある意味賞賛に値する。私利私欲に動かされ狂乱騒ぎを起こす人々のなかで、にわかに勃発するロマンス。それを歓迎しつつも同時に疎ましがっているフェル博士の顰めっ面もいつも通りだ。この時代と状況に拘わらず常に変わらぬスタンスで作品を著し続けていたことが、そのままディクスン・カーカーター・ディクスンの魅力のひとつでもある。

 個人的には、登場する密室トリックがいずれも機械的であまりに単純すぎるのがちょっと引っかかるが、全体の完成度は高い。正統的な謎解き小説がお望みの方にうってつけの作品です。

コメント

  1. 滅・こぉる より:

    『連続殺人事件』のトリックはアシモフが批判したことで有名です。単純だとか機械的だとかいう以前に、全く不可能なトリックだという理由で。確か『黒後家蜘蛛の会』のどこかに書いてあったはずです。

  2. tuckf より:

    ありゃ、それは初耳です。でも、トリックのひとつは私も読みながら「実際には無理だよな」と思ってました。運べるはずがありませんもの。感想では触れるのを忘れてました。
    ちなみに、『黒後家蜘蛛の会』は大昔に一巻を読んだきり手をつけてません。当時、あるエピソードの決着がどうしても許せなかったもので……未だにその記憶があるせいでアシモフ作品はSFも含めて読んでなかったり。

タイトルとURLをコピーしました