刺青殺人事件 [新装版]/高木彬光コレクション

刺青殺人事件 [新装版]/高木彬光コレクション 『刺青殺人事件 [新装版]/高木彬光コレクション』

高木彬光

判型:文庫判

レーベル:光文社文庫

版元:光文社

発行:2005年10月20日

isbn:4334739601

本体価格:800円

商品ページ:[bk1amazon]

 デビュー以来、推理小説の様々なスタイルを開拓してきた高木彬光が、終戦間もない探偵小説文壇に衝撃を齎したデビュー作。光文社文庫からも刊行されていたが、高木彬光コレクションの一環として、表題作に関連する文章五点と、新たに発掘された未発表短篇『闇に開く窓』を収録し新装刊行された。

 終戦の傷痕が未だ生々しい昭和二十一年八月の東京で、異様な殺人事件が発生する。密室状態になった浴室で、胴体を失ったバラバラ屍体が発見されたのだ。ひょんなことから第一発見者となった東大法医学教室の松下研三は、警視庁捜査一課長を務める兄英一郎を手伝って自らも捜査に乗り出すが、そんな彼を嘲笑うかのように第二、第三の殺人が発生する。悄然とする研三に代わって探偵役として名乗りを上げたのは、戦地から帰還後に病に伏せり、ようやく東大へと戻ってきたばかりの神津恭介であった――

 横溝正史『本陣殺人事件』と並んで、戦後に勃然と沸きあがった本格探偵小説への渇望にいち早く応えた、伝説的傑作である。何せ小説に対して何ら心得の無かった人物がいきなり筆を執り、情熱に任せて書き上げたものであるだけに文章は拙かったが、軍部による長い戒めを解かれてようやく自由に本が読めるようになった当時、乱歩らが海外の名作を渉猟・紹介する一方で、日本独自の“本格探偵小説”が何よりも渇望されていた時代だっただけに、斯界の衝撃と歓喜は凄まじいものがあったらしい。著者は続く『能面殺人事件』で探偵作家クラブ賞(のちの日本推理作家協会賞)を受賞し、その後は『成吉思汗の秘密』で歴史推理に、『破戒裁判』で法廷ミステリに、『白昼の死角』で経済小説に、『連合艦隊ついに勝つ』では九十年代に流行したシミュレーション小説にまで先鞭をつけ*1、その筆力と独創性とを遺憾なく発揮してミステリのみならず娯楽小説の世界を引っ張っていったのだから、運命的な登場であったと言えるだろう。

 本書は刊行の六年後、春陽堂から刊行されるにあたってその文章の拙さや説得力不足を恥じた著者が冒頭の一行目から書き直し、二倍近くに分量を膨らませて完成させたヴァージョンである*2が、それでもまだ初期に属する作品であるだけに、荒っぽさや未整理な部分が見受けられる。しかし、そうした欠点を念頭に置いても、超然たる大傑作であることには違いない。“刺青”というモチーフと時代性とを混ぜ合わせ、日本建築には不向きと言われていた“密室”の謎を『本陣殺人事件』以上に完璧な格好で取りこみ、しかもそこに留まらぬサプライズが盛り込まれている。昨今の厄介な出版情勢の中でたびたび姿を消しながらも、気づけば面目を改めて市場に姿を現していることからも、敬意を払われている作品であることは察せられる。

 私は光文社文庫の旧版で読んでおり、恐らくは十数年振りの再読となる。細かい部分は忘れたとはいえ、主要トリックなどはきちんと覚えていたにも拘わらず引きずられるように読んでしまったのは、トリックの魅力もさることながら、行間から滲み出てきそうなほどの熱意に満ちた作品であるがゆえであろう。

 いまも当時も、これほどまでに圧倒的な存在感を示す作品はそうそう現れるものではない。文体の古めかしさなどに怯むことなく、未読の方にはぜひともいちど触れていただきたい。本格ミステリを愛好することを自覚しながら読んでいないというのなら、尚更である。

 今回の新装版には本編と共に、初めて書籍の体裁を取った“岩谷選書”版やこの稿の初出となった春陽堂版、およびカッパ・ノベルス収録の際のあとがきに加え、短文『探偵小説の作り方』や『探偵小説になるまで』から本編発表の経緯のみを抜粋したものを収め、当時の様子を窺い知ることが出来るようになっている。更に芦辺拓氏の小論や山前譲氏の解題も併せて読めば、発表当時の探偵文壇の様子からその後の活躍までもがおおまかに把握できるようになっており、初心者にとっても親切な作りと言えよう。

 もう他人にそんなこと語ってもらわなくてもよく解ってます、というマニアにとっての読みどころは、これが初の活字化という短篇『闇に開く窓』である。発掘された経緯は山前氏の解説に記されているのでここでは書かないとして、出来そのものは――状況はどうあれ、未発表となったのもやむなし、という程度だった。創意工夫はあるし、状況を入り乱れさせて事件の全体像を複雑化させるあたりに表題作にも通ずる意欲を感じるが、如何せんトリックにあまり説得力がないだけに、文章の拙さが目立つだけになっている。事件の背景が面白いだけに、後年の著者によって書き直されていればもっといい作品になっただろうに、と惜しまれるところだが、表題作と併せて著者の激しい創作意欲を垣間見せる資料として読むのも一興だろう。

 愛されている作品だけに、消えてもいずれ誰かが復刻してくれるのでは、という安心感はあるものの、それでも最近の出版情勢を見ていると楽観は出来ない。純粋な本格ミステリが読んでみたい、歴史に刻まれた作品に触れてみたい、という方は、兎に角この機に手に取ることをお薦めします。面白いんだから、本当に。

*1:このへん、おんなじ内容が芦辺氏による小論に記されてますが、いちばん解りやすい説明だったので表現を変えて引用させていただきました。

*2:初稿版は2002年、扶桑社文庫より発売された『初稿・刺青殺人事件』[bk1amazon]にほかの傑作短篇と共に収録された。

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