ブロークバック・マウンテン

ブロークバック・マウンテン ブロークバック・マウンテン

アニー・プルー/米塚真治[訳]

Annie Proulx“Brokeback Mountain”/translated by Shinji Yonezuka

判型:文庫判

レーベル:集英社文庫

版元:集英社

発行:2006年2月22日

isbn:4087604977

本体価格:381円

商品ページ:[bk1amazon]

 2005年にアン・リー監督によって映画化、各映画賞にて絶賛され第78回アカデミー賞でも本命視されている作品の原作。『Close Range』と題された短篇集の一篇として刊行されていたが、のちに単独でも出版されており、日本での映画公開に合わせて、後者に倣った形で出版された。

 牧場の臨時雇いの仕事で収入を得ていたイニス・デルマーは、1963年にブロークバック・マウンテンでの羊番の仕事に就き、そこでジャック・ツイストと出逢う。仕事を介して結ばれた友情はいつしか危険な一線を踏み越えてしまい、山での出来事はふたりの秘密となった。仕事が終わり、別々の道を歩み始めたふたりはそれぞれに家庭を築いたが、数年後の再会を契機に、当時の情念を蘇らせてしまう……

 やや長めとはいえやはり短篇で、100ページにも満たない本書を読み終えるのにそう長い時間は必要としない。だが、にも拘わらず、読後の余韻は重厚で重い。

 同性愛を扱っていると言い条、実のところそうした扇情的な側面を取り払ってしまえば、描かれているのは極めて古典的な愛の悲劇に過ぎない。現在でも未だ十分に理解されているとはいえない同性愛というものに対する偏見は、作品の主な時代背景となる1970年代から80年代にかけてはまだまだ強く、周囲の人間が抱く軽蔑や反感が主人公ふたりの感情よりも禁忌に触れていることに因っている点が特徴であるが、メインとなるふたりの心の動きはごく有り体の、恋愛関係にある人間同士の機微を辿っている。

 だがそうしたことを弁えると、本編の筆運びの巧みさを却って痛感する。すべての経緯を簡潔にまとめながら、随所に印象深い出来事やフレーズを鏤める。当事者のみならず周辺にいる人々の意識までが文章の表面に立ちのぼってくる表現力はただごとではない。ときおり急激に視点人物が入れ替わる箇所があり、正直に言うとわたしには違和感があったのだが、しかしこうした手法も本編に限っては活きていると認めざるを得ない。ふたつの引き離された意識が、互いの道を選択しながら奥底で通じ合っていることが、そうした文体からも滲んでいるのである。

 この物語はあくまで悲劇だ。彼らの愛や平穏は、唐突な形で決着を迎える。だが、そうして運命によって奪われたものへの郷愁を託す描写の気取りのなさや生々しさが、序盤で描かれたブロークバック・マウンテンの情景と重なって、深い感動を呼ぶ。なるほど、本国において敢えてこれ一篇のみの単行本を発行したのも頷ける、完成度の高い“恋愛小説”である。

 先に原作を読み、その出来がいいと通常は不安を抱くものなのだが、しかし本書の場合は、この野卑で乱暴な本質を意識の繊細さと文章の気品とで包み込んだ世界観をいかに映像に移植したのか、興味が湧いてくる。そして各映画賞の評価を窺う限り、恐らくはかなりのレベルで成功していることも想像され、尚更に期待は高まってしまった。日本での公開はこの感想をアップした二日後の3月4日であるが――早いうちに観ておきたいものだけど、混雑の予想される劇場に首尾良く潜り込めるかどうか。

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