『てるてるあした』
判型:四六判ハード 版元:幻冬舎 発行:2005年5月25日 isbn:4344007840 本体価格:1700円 |
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雨宮照代の春は失意から始まった。せっかく難関の高校に受かったのに、贅沢が過ぎて借金を抱えた両親のせいで進学をフイにし、照代はひとり、遠い親戚という鈴木久代を頼って佐々良という田舎町に赴く。そこで彼女はサヤという未亡人とその不思議なひとり息子・ユウスケをはじめ、様々な人と出会いながら、どうにかこうにか暮らしを立てていく。自分に関心を寄せないまま遂に置き去りにしていった父や母を憎み、安穏と学生生活を送る同年代の少女たちに羨望と嫉妬の眼差しを投げかけながら、このときおり不思議なことが起こる町で、少しずつ生き方を学んでいく……。
『ささら さや』と世界観や登場人物を同じくする作品だが、まがりなりにも一話ごとにミステリーの体裁を整えていたあちらに対し、本編はこれといった謎解きは行われない。主要登場人物たちと出逢った直後から、折に触れ届くようになる謎の携帯メールや、久代の家に出没する女の子の幽霊の秘密、更には久代と照代の母との繋がりなど、全体を通しての謎は用意されているものの、各話では照代が佐々良での暮らしに馴染んでいく様子が段階的に描かれていくだけで、謎らしい謎も提示されぬまま終る。 もともと『ささら さや』からして、ミステリーの手法をヒロイン・サヤの成長を後押しするための素材として用いていた趣があり、世界観を引き継いだ本編ではその方向性を更に押し進めたのだろう。前作でヒロインだったサヤはまがりなりにも成人し一子をもうけており、またはじめから住居の宛があったため苦労の多くは彼女の性格に因るところが大きかった(反面、救いも彼女の性格に因るところが少なくないがそれは別の話)が、本編のヒロイン・照代の場合はかなり抗いようのない状況で突然奈落に落とされ、幼いがゆえになかなか職にも就けないという苦境に追い込まれている。どちらのほうがよりハードルが高いか、と問われれば本編のほうがずっときつい。 ただ、本編の照代にしても性格的な問題はある。安穏とした生活から突如として明日の食い扶持にも困るような状況に、十代半ばで育ち盛りの少女が突然投げ込まれれば当然、ということでもあるが、一人称で綴られる彼女の内面はあまりにネガティヴすぎて、読んでいて苛立ちさえ覚えることがままある。少し考えれば相手は一向に悪くない、完全に彼女の穿ちすぎだ、という怒りや苛立ちに触れるたび、読んでいて不愉快な気分にさせられる。 だが、だからこそ、終盤で示される彼女の成長、内面的な変化がよりいっそう清々しく映る。苦境を受け入れ、佐々良で出逢った喜びも悲しみも許容し、自分なりに進むべき道を選んでいく姿は、月並みな表現ではあるが、やはり感動的である。また各章で綴られるエピソードそのものには謎は乏しくとも、全体ではきちんと仕掛けが用意されており、それが齎すカタルシスもこの潤った余韻を深めている。 加納朋子作品にまず“ミステリ”を求める向きにはどうしても物足りないだろうが、『ささら さや』で提示した要素をより深めて綴られた“小説”としては間違いなく一級品である。個人的には前作と合わせて、優秀なジェントル・ゴースト・ストーリーであることも嬉しい。 本書の刊行からでさえ一年近く経った今頃になって、前作『ささら さや』と立て続けに読んでいるわたしを訝っている方もあるかも知れないのでいちおうご説明しておくと、本書は連続ドラマ化され、4月14日(つまり今週金曜日)からテレビ朝日系列で放送が始まることとなっている。そういうものまでチェックしているときりがないので、基本的には見て見ぬふりをしてしまうのがわたしの常だったが、今回は主役格に、個人的にちょっと注目している木村多江が起用されていたため見る気になって、それで泥縄式に予習をした次第である。読んでみて、彼女が演じるサヤのイメージは実に木村多江の雰囲気と合っているので、なおさら期待を高めている。 但し、ドラマの原作は『ささら さや』ではなく、あくまで本書という位置づけらしい。公式サイトを参照すると、物語のスタートも照代が佐々良を訪れた時点になっているようだ――気懸かりなのは、一年以上前ではなく同じ時期にサヤも夫の死を契機に転居したことになっており、しかもふたりが久代の経営する下宿に身を寄せる、という具合に設定が変えられていることだ。まあ、見たところ目立った改竄はこの程度なので、寧ろ喜ぶべきところかも知れないが。 何にせよ、思いの外速やかに予習が終了したので、心置きなく放送を待つとしたい。 |
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