『紙魚家崩壊 九つの謎』
判型:四六判ハード 版元:講談社 発行:2006年3月20日 isbn:4062133660 本体価格:1500円 |
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『空飛ぶ馬』でのデビュー以来、その文献に対する豊富な含蓄をもとに拘りに満ちた本格ミステリや詩情に富む小説を著してきた北村薫の、これまでの作品集から漏れてきた単発作品を集めた短編集。OLの心の崩壊を辿る『溶けていく』。“両手が恋している女と探偵”の事件簿である表題作と『死と密室』。ある夫婦の会話に潜むささやかな謎解き『白い朝』、出版社に勤める千春さんの目線で綴る日常の謎『サイコロ、コロコロ』『おにぎり、ぎりぎり』。逢うことの出来なかったお見合いをきっかけに語られる幼い頃の体験『蝶』。日常の崩壊を詩的に残酷に描き出した『俺の席』。誰もが知っているお伽噺を解体し、本格ミステリとして再構築する『新釈おとぎばなし』の全九編を収録する。
著者が完成された文体と共に、極めてヴァラエティに富んだ作風の持ち主であることは、著作を追っていれば自明のことだが、その多岐に亘る様式が一望できる著書というのはこれまで存在しなかったように思う。そういう意味で、初めて北村薫という書き手の魅力を限界まで詰め込んだ一冊と言えよう。 何せ本当に、これまで発表してきた作風のほとんどが網羅されているのである。静かな筆致で狂気を摘み取っていく『溶けていく』や『俺の席』、子供心の残酷さと出逢いの儚さを重ね合わせた切り口が清新な『蝶』などはまさに文章の魅力が横溢しているし、探偵小説の構造をそのまま物語を構築していく過程に織りこんでいった『紙魚家崩壊』と『死と密室』は純然たるミステリでありながらSFのような手触りがある。日常の謎を鏤めながら、しかし物語の魅力はその穏やかな日常にある、という逆説的な結構の『サイコロ、コロコロ』『おにぎり、ぎりぎり』は、その微温的な筆致がまことに心地好い。 個人的に思い入れがあるのは、『白い朝』である。私自身が初めて触れた、シリーズに属さない北村短篇である、という点もあるが、その実この作品は北村小説の愛読者にとって馴染み深いある人物らしき影が見え隠れしているのだ。作中では断言していないが、その性格描写とちらつかせる作中の近況を合わせると、恐らく間違いはあるまい。そう考えていくと、本編はあの人物の初恋物語でもある、ということになる。ミステリとしては謎も解決もささやかだが、そのささやかさがまた胸を打つ、初期の名品である。 そしてやはり白眉は収録作中最新作にして最長、巻末を飾る『新釈おとぎばなし』であろう。記述者自らがその思考過程を明かしながら、日本人ならば誰にも馴染み深いおとぎばなしを、あろうことか本格ミステリとして再構築していくさまは、その過程自体がまずスリリングなのだが、なおかつ結末までも意外で衝撃的なのだ。こんなに認知されたおとぎばなしの限られた情報をもとに、論理的な謎解きを繰り広げてしまうその“本格魂”には頭の下がる思いがする。 書籍の題名から直感したほどに純然たる謎解き小説ばかりでなかったのがやや残念ながら、著者の巧さと本格ミステリへの愛とを存分に堪能させていただいた。 |
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