『ミッションスクール』
判型:文庫判 発行:2006年5月31日 isbn:4150308500 本体価格:660円 |
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1999年に『やみなべの陰謀』を発表して以来7年振りとなる、田中哲弥の単著最新刊。『電撃hp』誌上に掲載された表題作、『ポルターガイスト』、『ステイショナリー・クエスト』の三篇に今年『SFマガジン』で発表した『フォクシーガール』、更に書き下ろしの『スクーリング・インフェルノ』を追加した、ミッションスクールという縛りのなかで展開される荒唐無稽の連作集。
なんて品がなくて下らないのだろう。こんな発想で五本も書いてしまう時点で作者が天才であるのは間違いない。 いちおう連作の体裁を取っているものの、舞台がミッションスクールであるということ以外基本的に繋がりはない。だいたい表題作にしてからが“任務”という意味と“伝道”という意味とをmissionという単語が兼ねていることから着想した一発ネタであったと推測され、あとは舞台の特殊性だけを受け継いで奔放に綴っていった趣がある。 もうひとつ一貫しているのは、どの話も女子がいちばん個性が激しいということ。表題作ではスパイながら年齢不詳であることが最後までネタにされる一方で主人公とあっさり懇ろになってしまうというヒロインらしからぬ行為に及ぶ。『ポルターガイスト』ではネタ自体が「自分が恥だと思うことを大声で叫んでしまい、その衝撃波で周りが酷いことになる」というえぐい代物であるがゆえながら、恥も外聞もない地獄模様を繰り広げる。著者は何か女子高生に怨みでもあるのか、と問いたくなるような有様である。 “良識”のある読者や純真な少年少女にとっては、下ネタの乱発ぶりや『ステイショナリー・クエスト』に顕著なお約束の揶揄は目を覆いたくなるばかりであろうし、故に『電撃hp』では2作連続で「いちばん嫌いな作品」のトップとなってしまったことも理解できる。が、そうして品のないギャグを無数に盛り込みながら、それをSF的なアイディアの糧としてほぼ満遍なく活用し、短篇と呼べる尺のなかに詰め込んでしまう手管は傑出している。 個人的にいちばん感心したのは『フォクシーガール』である。スーパーヒーローもののパロディとしてやけくそのように基本要素をぶち込んで徹底したギャグに変換しながら、思いもよらぬところに伏線を隠して、いちおうはそれなりに見えるように話を回収してしまう。実は経過が省略されていて卑怯といや卑怯なのだが、それを強引に納得させてしまうあたり、ギャグとしてもネタとしても巧い。 読んでいて何の実にもならないし、生真面目な質だとそれこそ憤慨するような代物かも知れないが、それを徹底してやってしまうセンスは驚異的である。何より、読者の側にある“常識”を逆手に取ったギャグやネタを用意しているにも拘わらず、先読み不能の展開を繰り返し、常に意想外のところへ着地させている点も凄い。連作のトリを飾る書き下ろし作品『スクーリング・インフェルノ』では、それが一種哲学的な位相にまで跳躍しているのだ。――それ故に、下ネタも露悪的なユーモアも許容できる読者であっても、資質によっては受け入れがたい締め括りになっているのも否めないが、ギャグと同じ線上にこの決着を持ち込む技を備えた書き手など世の中にそうそういないだろう。 繰り返すが、この作者は間違いなく天才だ――万人に理解されるかどうかは別として。 ちなみに、個人的にいちばんお気に入りの作品は『フォクシーガール』だった。ネタとしての整合性に優れていることもそうだが、破壊力抜群の登場人物が多いなかで、このエピソードのヒロイン菜々美は素直に「可愛い」と思えるのである。すれ違うもの万人を虜にしてしまう美貌、という非現実的な設定に相応しい強烈な性格の持ち主だが、その実行動原理は純真で誠実だ。けっこうろくでもない運命を背負わされたにも拘わらず、たったひとつの理由でそれも耐えられるかな、と感じてしまう彼女を「可愛い」と思ってしまうのは……私もかなり変だ、ということなのだろうか。少なくとも、本書に登場するヒロインのなかでは最も生々しくて、多少なりとも親しみの湧く造型であると思うのだけど。 |
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