邪魅の雫

邪魅の雫 邪魅の雫

京極夏彦

判型:新書判

レーベル:講談社ノベルス

版元:講談社

発行:2006年9月26日

isbn:4061824384

本体価格:1600円

商品ページ:[bk1amazon]

 薔薇十字探偵社の主であり、他人の観たものを一望することの出来る異能の探偵・榎木津礼二郎。そんな彼に齎されようとする縁談がことごとく先方から断られ、ある相手は失踪、またある相手の係累は殺害されるという奇禍が繰り返された。榎木津のもとに強引に身を寄せ、彼が手懸けない些末な仕事で収入を得ていた元刑事の益田は、仲人役の今出川に請われて、一連の破談の背景を探りはじめる。それぞれに縁がないように思われた一連の事件は、細い糸で繋がり、やがて混沌とした紋様を描き始める……

 著者の原点である京極堂シリーズ第8作*1である。が、今回は少々趣が異なる。シリーズの大きな特徴のひとつであった、事件を妖怪に準える方法論が主体とならず、その下敷きとなる博覧強記を活かした衒学趣向もかなり薄い。いちおう“邪魅”なる妖怪の名前も登場するが、プロローグを除いた本来の流れで最初に口にしているのが関口巽であるという点からして異色である。

 物語は多くの登場人物それぞれの視点から語られ、バラバラであったそれらがほんの僅かな点から連携していき、やがて収拾不能に思えるほど混沌としていくさまを綴っていく。その過程で重要な役割を果たすのは、視点人物たちの秩序に乏しい思考の描写だ。

 率直に言って本編はかなり冗漫に感じられるが、それはほぼこうした思考の描写に筆を費やしていることに起因する。脈絡のない思考、取り留めのない感情を丁寧に拾い上げ表現していくことで、混乱しした事件の流れをより混沌とさせ、それがそのまま謎を複雑化し、残り100ページ程度になってようやく本格的に出動する京極堂の手によって繙かれ、結末に奉仕する。相変わらず首尾は一貫しており、混沌としていても筋は1本通った描きぶりには感嘆を禁じ得ない。

 だが、それでもなお、果たしてここまで長くする必要があったか、という疑問も残る。このシリーズの登場人物は基本的に、別の事件で死ぬまで何らかの形で再登場させられる傾向にある。それ故に、各人が多くの背景を持っており、実に含みのある言動を繰り返す。そこもまたシリーズの読みどころとなっているのも事実ながら、しかしもっと文章を詰めることで、より重厚に濃密にすることも可能だったのではないかと思える。衒学趣味に偏る必要のなかった事件の性質からしても、過剰な心象表現よりもその圧縮こそが作品の精度を高めるのに相応しかったように思えるのだ。

 やや恣意的であるとは言え今回も解決編は鮮やかであるのにカタルシスに乏しいのは、各人の心象をいささかダラダラと語りすぎたが故であろう。事件の解決にあれ以上の言葉は必要としなかったが、仔細に綴られた各人の感情まで背負い解消するにはあまりに短すぎた。他の長篇にある“憑き物が落ちた”という感覚に乏しいのもそのあたりに起因する。

 シリーズ作品の別の特徴である、脇役でさえも疎かにせず書き込む、という点では徹底されており、出番は少ないながら京極堂と榎木津もきっちりと押さえるところは押さえているので、シリーズの愛読者であればひとまずは楽しめる。だが、ミステリとして読んだ場合、旧作と比べて見劣りするのは否めない。せめてこの半分の尺に纏めてくれれば印象も違ったのだろうけれど。

 しかし、真相を知ったうえでプロローグからざっと読み直していくと、一連の出来事の背後にいた人物の愚かな言動と、自分では如何ともし難かった想いがひしひしと伝わり、また別の余韻が胸に迫ってくる。ミステリとして、いわゆる京極夏彦の“妖怪小説”として読んだ場合はどうにも物足りない作品であるが、見方を変えるとまた一風変わった味わいのある物語であったと気づく。京極堂シリーズ、妖怪小説という看板を掲げるのに毎回この調子では困るけれども、ときどきこういうタイプの作品が挟まるのもまた一興と言えようか。でもそれならあと少しぐらい刊行ペースを速くして、本来の“妖怪小説”の比率を高めて欲しいと願わずにいられない。

*1:『塗仏の宴』を支度・始末で一篇と考えた場合。分けた場合は9作となる。

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