『ブラック・デトロイド』
Donald Goines“Whoreson”/translated by Akira Higashiyama 判型:文庫判 レーベル:villagebooks 版元:villagebooks[発行]/Sony Magazines[発売] 発行:2006年12月20日 isbn:4789730263 本体価格:850円 |
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アメリカにて僅か4年程度の執筆期間中に多くの読者を獲得、突然の死ののちもポップカルチャーを支える黒人アーティストたちに支持されている黒人作家ドナルド・ゴインズの、本邦初となる訳出作。1940年、デトロイドのスラム街で生を受けたおれにつけられた名はホーサン(whoreson)――“淫売の息子”という名の通り、街娼ジェシーが父親も不明のまま身籠もったガキだった。生まれたときからなることを約束づけられたと信じたおれは、幼いころからポン引きの道を歩みはじめる。初めての女を街に立たせ、多くの女を抱えこみ、裏切られてうらぶれたホテルに身を潜め――上昇と転落とを行き来しながら、おれは“上”を目指す。
訳者・東山彰良氏があとがきで触れている通り、アメリカでは多くの支持者を今なお生み続ける、黒人文化の源流のひとつである著者だが、本邦ではまったく無名に等しかった。唯一、彼に敬意を捧げるひとりであるヒップホップ・ミュージシャンのDMXが2004年に製作・主演した映画『ネバー・ダイ・アローン』が紹介された際に一部の関心を惹いたに留まった。かく言う私も、この作品をたまたま観ていたからこそ、訳出されたという報に反応してさっそく購入したわけである。 内容は、大雑把に括れば悪漢小説ということになるだろう。生まれたその瞬間に“淫売の息子”と名付けられ、さながらポン引きとなることを約束づけられたような男が、環境から幼くして様々な悪人としての知識を身に付け、世間の荒波を渡り歩いていく様を描いている。 ただ、そう表現したときに感じられるような悽愴さも荒々しさも、本書にはあまり感じられない。やっていることは極悪だし良心のかけらも見いだせないし、主人公は確かに頭は切れる人物と見えるが、しかしあまりに感情に振りまわされすぎた行動は、若さ故であると言っても思慮に乏しすぎて愚かさばかりが目立つ。どんな結末を辿ろうとも同情しようがない。だがそれでも、主人公ホーサンの罪の意識の乏しさと、裏切りなどによって転落させられた際の潔さ、そしてそこから這い上がる貪欲さにはいっそ爽やかささえ感じられ、どれほど悲惨な展開になっても悲壮感はなく、逆に乗り越えたときには奇妙な爽快感さえ漂う。 決して主人公の価値観や世界観を正当化しているわけでも美化しているわけでもない。本人は自分がいちばん最初にいた場所を底辺と位置づけ、そこから脱出することを一心に夢見ている。細かな描写には、そうした騙し合い化かし合いの世界から隔たった場所にいる人々への憧れを垣間見せる。特に象徴的なのはホーサンの学生時代、僅かな時期だけ純真な想いを通い合わせたジャネットという登場人物の扱いである。彼女への複雑な態度こそ、実はホーサンという人物の本心を反映していると感じられるのだ。 話の流れに仕掛けも工夫もなく、全体を通して見ればひとりの男の“転落”を描いているに過ぎない。一見ハッピーエンドを装っているが、果たしてあの出来事だけで悪事の限りを尽くしてきた男が価値観を翻すとはちょっと考え難く、疑問も残す。著者がどこまで意図したのか解らないそうした描写に引っかかりを覚えるが、しかし現実を歪めることなく、終始ポジティヴに描ききってしまう筆力は特殊であり、確かに魅力に満ちあふれている。 物語は概ね1960年代を描いているが、しかしスラム街の描写や、ドラッグや酒類などへの接し方は現代のそれと大きな差違を感じない。或いはそうした表現の源流がここにあるのかも知れない、とそう思わせるパワーと魅力の漲る1冊であった。如何せんやっていることがえげつないので、どうしても受け付けられない人もあるだろうが、いわゆるピカレスクや黒人文化に関心のある人ならば一読の価値はある。 |
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