原題:“Belle de Jour” / 原作:ジョセフ・ケッセル / 監督:ルイス・ブニュエル / 脚本:ジャン=クロード・カリエール、ルイス・ブニュエル / 製作:ロベール・アキム、レイモン・アキム / 撮影監督:サッシャ・ヴィエルニ / 出演:カトリーヌ・ドヌーブ、ジャン・ソレル、ジュヌヴィエーヴ・パージュ、ミシェル・ピコリ、フランソワーズ・ファビアン、マーシャ・メリル、ピエール・クレマンティ、クロード・セルヴァル / 配給:東和 / 2007年リヴァイヴァル上映配給:CK ENTERTAINMENT
1967年フランス作品 / 上映時間:1時間40分 / 日本語字幕:古田由紀子
1967年09月日本公開
2007年12月15日リヴァイヴァル公開
第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)上映作品
銀座テアトルシネマにて初見(2007/12/29)
[粗筋]
セヴリーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は医師である夫ピエール(ジャン・ソレル)を心から愛しながら、彼に安心して身を委ねることが出来ず苦しんでいる。
そんな彼女に、夫の友人で、女癖の悪い遊び人アンリ(ミシェル・ピコリ)がアプローチをかけるようになった。潔癖な彼女は彼を避けるものの、そんな彼がときおり口にする淫らな話に、セヴリーヌは言いようのない魅力を感じるのだった。
テニスクラブで偶然アンリと遭遇したとき、ふたりの共通の知人である女性が、身を売っているという話をアンリは口にする。気づいたときセヴリーヌは、アンリが言っていた娼館に足を運んでいた。アパートの一画で女たちを客に紹介している女アナイス(ジュヌヴィエーヴ・パージュ)は、身元も語ろうとしないセヴリーヌを、その気品のある美貌を評価して、特に詮索することなく雇い入れるのだった。昼間、二時から五時までしかいられない、というセヴリーヌに、店の中での呼び名としてアナイスが与えたのは“昼顔”――
夫に快楽を超越した愛情を抱きながら、昼間の3時間だけ娼婦“昼顔”となって不特定の男達に身を委ねる、セヴリーヌの二重生活はこうして始まったのだった……
[感想]
マノエル・ド・オリヴェイラ監督による後日談『夜顔』が日本で公開されるのに合わせて、原点であるこの作品のリヴァイヴァル上映が行われた。『夜顔』を鑑賞する前に、予習のつもりで劇場に足を運んだ次第である。
公開当時高い評価を受けた作品だが、それもよく理解できる、静かながら実に端正で、観る側の注意を逸らさない優れた構築美を備えた映画に仕上がっている。衝撃的なプロローグから突然日常に入り込み、具体的な描写からセヴリーヌの鬱屈を描き出していく。一見唐突に思える娼館訪問も、彼女の心理の流れを却って観客に如実に伝えると同時に、関心を惹きつける構成の巧さを示している。
一線を超えたところからは、娼婦としての仕事の様子を点綴する形で話を運んでいくが、一見迷走しているこの辺りでさえ、ラストシーンにきちんと繋がっていく。きちんと計算され尽くした描写が、決して教訓を齎さない物語に深い味わいを添えているのである。やたらと引きとアップを繰り返すカメラワークや、唐突に挿入される過去の情景など、手法の随所にどうしようもない古さを感じさせるものの、そうしたものさえ本編には相応しい。表現手法まで含めて、時代の空気をよく焼き付けている。
序盤の描写から終盤の波乱を予測しつつ眺めていると、意外な方向に進んでいく話作りをしている点にも注目したい。しかし観終わったあとで考えると自然な成り行きだったように感じられるのは、それほど丹念に伏線を張り巡らせていたからであり、実は決して安易に作っていない。こうした奥行きにも唸らされた。
とは言いつつも、必ずしも要らなかったのでは、と思える描写も散見され、完璧なまでに無駄のない作品ではないのだが、そうした点まで含めて味わい深さに繋がっている。近年のロードショー作品では滅多にお目にかかることの出来ない、滋味のある作品であった。
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