原題:“Mr. Magorium’s Wonder Emporium” / 監督・脚本:ザック・ヘルム / 製作:ジェームズ・ガラヴァンテ、リチャード・N・グラッドスタイン / 製作総指揮:ジョー・ドレイク、ネイサン・カヘイン / 共同製作:バーバラ・A・ホール / 撮影監督:ロマン・オーシン,B.S.C. / 美術:テレーズ・デプレス / 編集:サブリナ・プリスコ,A.C.E. / 衣装:クリストファー・ハーガドン / 音楽:アレクサンドル・デプラ、アーロン・ジグマン / 日本版テーマソング:木村カエラ『Jasper』(Columbia Music Entertainment) / 出演:ダスティン・ホフマン、ナタリー・ポートマン、ジェイソン・ベイトマン、ザック・ミルズ、テッド・ラドジク、マイク・リアルバ、スティーヴ・ホイットマイア、マルシア・ベネット、ダニエル・ゴードン / フィルムコロニー製作 / 配給:角川映画
2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間35分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2008年02月16日日本公開
公式サイト : http://www.magorium.jp/
中野サンプラザにて初見(2008/02/11) ※試写会
[粗筋]
どんな物語にも、いつか終わりが訪れる。“マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋”の地下室に居を構え、店主マゴリアム氏(ダスティン・ホフマン)の物語を書き綴っている巨漢ベリーニ(テッド・ラドジグ)も、長年手懸けてきた物語が間もなく終わりを迎えようとしているのを悟り、寂しさを覚えていた。
このおもちゃ屋が開店してから113年を数え、マゴリアム氏も243歳を迎えようとしていたある日、彼は支配人として店に勤めるモリー・マホーニー(ナタリー・ポートマン)に、会計士を招いて店の資産を正式に調べる、という話をして、彼女に木で出来たプロックを手渡す。いつもながらに人をからかう口上だとばかり思っていたモリーだが、それが間もなく彼女に店を譲るためだというのだから、驚いた。しかもその理由が、自分はもう長く生きたから、間もなく消える、というものだった。
驚いたのはモリーだけではなかった。マゴリアム氏が引退の意志を口にした途端、店に異変が起きはじめた――マゴリアム氏の“魔法”で命を吹きこまれていたおもちゃ達が、反抗しはじめたのである。
叛乱を治めるためには、モリー自身が魔法を扱えるようになる必要があるが――実のところ、彼女はそれどころではなかった。幼い頃、天才ピアニストとして評価されていたモリーは、だがそろそろオリジナルを、と望まれて作曲を続けているが、いつまで経っても完成に至らず、転職を考えはじめていた。マゴリアム氏にもちらりと漏らしたことだが、まさか“店を譲る”という話に発展するなどとはつゆほども想像していなかった――何より、ピアノでさえままならない自分に魔法など使えるはずがない。
もう間もなく消える、というマゴリアム氏の言葉から病の可能性を疑ったモリーは、彼を入院させ、体に異常がないと知ると「生きる活力」を与えるべく様々な工夫をして楽しませようとするが、マゴリアム氏の意志は変わらなかった。
やがて、マゴリアム氏の物語は幕を下ろす――だが、果たしてモリーはその後を引き継ぐのか。鍵を握るのは、孤独だがおもちゃを扱う才能に優れた少年エリック(ザック・ミルズ)と、現実主義者の会計士ヘンリー(ジェイソン・ベイトマン)――
[感想]
自分が物語の中の登場人物であり、作者が自分を死なせようとしていることに気づいた男の姿を描いた異色の作品『主人公は僕だった』で注目された脚本家ザック・ヘルムが初めて監督した作品である。
生憎と『主人公は僕だった』は未だ鑑賞できていないのだが、漏れ聞く話から極めて知的に組み立てられていることは察せられ、それだけに子供向けのファンタジーを装ったかのような本編でも、恐らく大人が観ても問題はないだろうと予想して鑑賞した(試写会に応募した)のだが――蓋を開けてみると、それどころか、本当に理解するには大人の眼がないと無理、という代物であった。
ごく大まかなアウトラインは正統派、そして良心的なファンタジーの常道をなぞっている。魔法により華やかに装うおもちゃ屋と、そこで働く、自分の才能を見失ってしまった女性。そんな彼女を、孤独な少年や現実主義者だった会計士らが後押ししていく様を、魔法を信じるか否か、を軸に描いていき、最後には細かなモチーフが見事に結実して大団円――おおよそ予想通りの流れを辿る。
それをナレーションで補強しながら綴っているのだが、しかしそれが説明というよりも雰囲気の補強に使われており、観る側がきっちりと考えて解釈しなければ把握しづらい描写が無数に存在する。マゴリアム氏が退院したあと、モリーが彼に対して施す行為は、漫然と観ていれば意味不明なものだし、それ以上に入院中のマゴリアム氏が眠るとき、エリック少年が手伝って行った配慮など、あとの描写と重ね合わせて初めて理解できる代物である。ファンタジーの定番を充分に理解し、細かく鏤めた要素をきちんと押さえるためには、やはり大人の鑑賞眼が必要になるだろう。
しかし、前述の通り物語はシンプルであり、また随所に登場する“魔法”の華やかさのために、仮に話の成り行きが十分に理解できなかったとしても、映像やその細かな遊び心だけで楽しめてしまうのも事実だ。ハンドルを回すと中の様子が一変してしまう扉や、開くだけで望みのおもちゃが出てくる大きなガイドブックなど、話の進行上にも関わってくる大きなモチーフは無論のこと、細かなおもちゃの仕組みが実に愉しい。まさに“おもちゃ箱”のようなヴィジュアルが堪能できるので、全体に拘らなくても夢中にさせられてしまうだろう。
終盤の流れは、少しやり過ぎのきらいもあるが、しかし作っている方はそれを百も承知なのは、ラストシーンの話運びからも明瞭である――あのくだり、登場人物はそもそも二人しかいなかったはずなのに、気づけば沢山現れている。大団円を演出する意図が明白であり、明らかに解ったうえでやっている、狙いすました華やかさが快い。
だが個人的に本編で何よりも評価したいのは、作中、その現実主義的な言動から“ミュータント”呼ばわりされ、周囲で繰り広げられる空想的な出来事をほとんど目撃しない会計士ヘンリーの扱いである。彼の存在が物語のユーモアをより膨らませていると共に、「魔法を信じるか、信じないか」という主題にいっそうの奥行きを齎している。何より、彼のために用意された最後の奇跡が実にいいのだ――御覧になる方は、彼がぬいぐるみの棚に立っていたあとの描写に是非とも注目していただきたい。その描写の先にある予定調和、これこそ本編の暖かさ、優しさを何よりも象徴している。
仮に子供を連れて行っても、映像の華やかさに誤魔化されない子だと面白がってくれないかも知れないが、何年か経って眼が肥えてから改めて鑑賞したときに、その奥行きに驚いてくれるかも知れない。そういう楽しみも与えてくれる、実に味わい甲斐のあるファンタジーである。
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