『ヒットマン』

原題:“Hitman” / EIDOSのゲーム『HITMAN』に基づく / 監督:ザヴィエ・ジャン / 脚本:スキップ・ウッズ / 製作:チャールズ・ゴードン、エイドリアン・アスカーリ、ピエランジュ・ル・ポギャム / 製作総指揮:ジェイソン・フローザー、ヴィン・ディーゼル / 撮影監督:ローラン・バレ / プロダクション・デザイナー:ジャック・ビュフノワール / 編集:カルロ・リッツォ、アントワーニ・ヴァレイユ / 衣装:オリヴィエ・ベリオ / 音楽:ジェフ・ザネリ / 第二班監督:オリヴィエ・メガトン / 出演:ティモシー・オリファントダグレイ・スコットオルガ・キュリレンコ、ロバート・ネッパー、ウルリク・トムセン、ヘンリー・イアン・キュージック、マイケル・オフェイ / ヨーロッパ・コープ製作 / 配給:20世紀フォックス

2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:伊原奈津子

2008年04月12日日本公開

公式サイト : http://www.hitman47.jp/

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2008/04/17)



[粗筋]

 各地から集められた身寄りのない子供達、見捨てられた子供達に教育を施し、超一級の暗殺者として各地に供給する組織が存在する。中でも番号“47”(ティモシー・オリファント)は突出した才能を示し、自らの使命を粛々とこなしていた。

 彼の新たな標的は、ロシアの大統領ミハイル・ベリコフ(ウルリク・トムセン)。“47”に殺害の理由は必要ない――ただ緻密に計画を練り、実行に移すだけ。当初、秘密裏に暗殺するはずが、急遽公衆の面前での射殺に切り替えるというハプニングはあったが、その程度で動揺する“47”ではない。今回も彼は完璧にやってのけたはずだった。

 しかし、そんな彼に組織は、ふたつの驚くべき報告を齎す。過たず急所を射貫いたはずのミハイルが存命だというのだ。そのうえ、彼の仕事を目撃した者が存在するという。とある広場にて落ち合う約束を取り付けた、即刻抹殺せよ。

 命令通り現地に赴いた“47”だったが、そんな彼に向かって、何者かが銃弾を放つ。舞い戻った潜伏先にも、間もなく現地の秘密警察が襲撃をかけてきた。周到な用意が奏功して、“47”ギリギリで脱出に成功するが、罠に嵌められたと理解した彼は、すぐさま反撃への布石を開始する。

 まず彼が接触したのは、組織が指名した目撃者――ニカ(オルガ・キュリレンコ)という、挑発的な衣裳と顔にあしらったタトゥーが鮮やかなその女は、しかし案の定、目撃者などではなかった。恐らく、何らかの理由で邪魔者となった“47”とまとめて消すために指名された存在に過ぎない。そう察知したと同時に、この女は“47”にとっても不要な存在となった。計画遂行の邪魔になる者は消す、それが彼の本来の姿のはずだった。

 ……だが、引き金が引けなかった。この瞬間から、“47”の中に少しずつ、変化が生じていく……

[感想]

 最近とみに、ゲームを原作にした映画が増えているが、本篇もそのひとつである。日本ではさほど大きな話題とはなっていない作品だが、翻ってこうして映像化されている時点で、本国での人気ぶりが窺えよう。

 そうした作品群の例に漏れず、オリジナルを知らなくとも楽しめるように作られている。原作のユーザーからすると、主人公となる“47”の背景がほとんど明示されていないことに不満を感じる面もあるようだが、オリジナルを知らない目には語る必要のない要素と映り、寧ろ原作を知らない方がより虚心に楽しめるかも知れない。

 ストーリー自体は、予告編や広告などから大雑把に類推すると、概ね正解に辿り着けるくらいシンプルだ。その点から言うと、全体に緊張感に欠いているように感じられるのが惜しまれる。ただ、本編の場合、主人公がもともとゲームのプレイヤーキャラであり、そのために高い能力値が必要となり、結果として即比肩しうるような敵役が作りにくいこと、同時に過剰にひねった展開がしづらいという制約があるので、致し方ないところでもある。

 そう考えていけば、本編はよく工夫を凝らしていると言えるだろう。主人公の傑出したプロらしい、計算ずくの行動を上手く描き、途中では意味の解らない言動が謎となり、突然それが解き明かされカタルシスに結びつき、という緩急を巧みに織りこみ、終始観る側を惹きつける。サスペンスとは微妙に異なるが、牽引力は充分なのだ。

 また、緊迫感に乏しいとは言い条、アクション描写そのものの迫力、凄絶な美しさは見応えがある。序盤の脱出のシークエンスに地下鉄の引き込み線を利用した狭い場所での死闘はアイディアがふんだんに凝らされ、打突の表現に重みがある。シンプルながら圧倒的な迫力を見せる中盤の銃撃戦は、しかしその随所に主人公の緻密な動きが窺える点でも巧い。この辺りには、『レッド・サイレン』で銃撃戦への美学を窺わせたオリヴィエ・メガトンが第二班監督としてスタッフに名前を連ねている効果があるのだろう。

 しかし何よりも、人物の佇まいに雰囲気があるのが秀逸だ。主人公である暗殺者は、如何にも幼少の頃から殺しの技術を仕込まれた人間らしく機械的で冷徹だが、他方で率直な感情に接したことがないゆえの純粋な側面を、ヒロインと出会うことで垣間見せる。その透徹した凛々しさと、相反するようなキュートさが共存する佇まいがいい。彼の心を開くこととなるヒロインは、その点決して超人的なところはなく、寧ろどうしようもなく凡人なのだが、それ故に悲劇的な可憐さが際立っている。世を拗ねたようなメイクを溶かして涙する終盤のひと幕などは、日本の予告編でも用いられていることから察せられる通り、特に記憶に残る。別方向から“47”を追う面々も、その背景が窺えて存在感が著しい。

 結末は若干意外性を狙った趣だが、如何せん主人公のキャラクターに制約が多いせいもあるのだろう、やや肩透かしの感は否めない。とは言い条、締め括りはなかなか快く、凶悪な世界での物語ながら不思議と爽やかな余韻を残しているのは出色だ。

 前述の『レッド・サイレン』やルイ・レテリエ監督の『ダニー・ザ・ドッグ』など、ハリウッド資本らしい娯楽性とヨーロッパ的な虚無感、センスのある映像と切れ味鋭いアクションを好む向きであれば、かなりの率で満足の出来る1本である。

 ところで。

 本篇で主演するティモシー・オリファントは、作品のためにスキンヘッドにしたというが、スキンヘッドがトレードマークの肉体派俳優といえば、真っ先に思いつく名前が別にある。どうして彼が起用されていないんだろう、と漠然と思っていたら――エンドロールに、ちゃんと名前が記載されていた。“製作総指揮:ヴィン・ディーゼル”と。

 プログラムで確認したところ、もともとはディーゼルが主演の予定だったが、別の作品の予定とかちあって降板せざるを得なくなったということらしい。それでもちゃんとクレジットに名前を連ねる程食い込んでいるのは、肉体派であると同時に知性派でもある彼らしい。

 ディーゼルによる“47”も観てみたかった気はするが、彼ではいささか色気が強すぎ、本編のような純粋な愛らしさは表現しきれなかったかも知れない。それはそれで一興ながら、今回の場合は交替して正解だったと思う。

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