『ブレス』

原題:“息 / 英題:“Breath” / 監督・脚本・プロデューサー:キム・ギドク / 共同プロデューサー:ソン・ミョンチョル、ソ・ヨンジュ / エグゼクティヴ・プロデューサー:キム・ギドクキム・ドフン / 撮影監督:ソン・ジョンム / 照明:カン・ヨンチャン / 美術:ファン・インジュン / 衣装&メイクアップ:イ・ダニョン / 編集:ワン・スアン / 音楽:キム・ミョンジョン / 出演:チャン・チェン、チア、ハ・ジョンウ、カン・イニョン、キム・ギドク / 配給:SPO ENTERTAINMENT

2007年韓国作品 / 上映時間:1時間24分 / 日本語字幕:根本理恵

2008年05月03日日本公開

公式サイト : http://www.cinemart.co.jp/breath/

シネマート六本木にて初見(2008/05/03)



[粗筋]

 ヨン(チア)の心は壊れかかっていた。何食わぬ顔で普通の生活を要求する夫(ハ・ジョンウ)は、だがその一方で他の女との逢瀬を繰り返している。虚飾にまみれた生活で息の詰まる思いをしていたヨンだったが、娘の送り迎えをする車の中で髪飾りを発見したことが、とうとう彼女を爆発させた。その髪飾りを挿してベッドに腰掛けているところ、帰ってきた夫と揉み合いになり、ヨンは夜の町へと飛び出していく。

 あてもなく彷徨い歩いていたヨンだったが、ふと思い立ってタクシーを拾うと、ある場所へと走らせた。そこは、ハンソン刑務所――死刑囚として収監されながら、何度も自殺未遂を繰り返しているチャン・ジン(チャン・チェン)という男が収監されていた。ニュースでたびたび目にする男に奇妙な感情を抱いたヨンは、朝まで待って面会を申し込む。窓口の職員は当然のように拒んだが、監視カメラ越しに彼女の様子を眺めていた保安課長(キム・ギドク)は通すよう許可を与えた。

 面会室のガラス越しに、ヨンはチャン・ジンと対面する。見ず知らずの女を訝しげに見つめていたチャンだったが、彼女が問わず語りに話し始めた過去の出来事に、やがて食い入るように耳を傾けたかと思うと、面会時間の終わりには、二人を隔てるガラスに接吻をして去っていった。

 ヨンはふたたびチャンと逢うときのために、準備を行う。寒い季節には早すぎる春物の装いを訝る夫をよそに、ヨンは大荷物を抱えて、刑務所に赴くのだった……

[感想]

 韓国人でありながら、そのあまりに個性的な作風ゆえに韓国映画界では鬼子扱いされ、「本国では公開しない」といった挑発的な発言をし、新しい映画を製作するために韓国以外の国からの出資を募る、という異色の過程を取っている、まさに異端児という表現の相応しいキム・ギドク監督2007年の作品である。やはり韓国資本での製作が難しいために、先行して海外からの出資を募り、これまで以上の低予算、ギリギリのスケジュールで撮影されたという本編、確かに従来の彼の作品以上に場面が限られている。

 とはいえ、基本的なスタイルは変わらない。キム・ギドク作品といえば思わず目を背けるような衝撃的描写と、相反するような詩的な映像、そして現代の寓話という言葉が似つかわしい特異な物語性が特徴であるが、その点はきっちりと押さえている。他の作品と比べてストレートだった、という評も目にしたが、これでストレート呼ばわりしたら世間のお話はたいてい単純すぎると表現せねばならなくなる。

 寧ろ今回は、他の作品と比べて表現の投げっぱなしであるのが気になった。『サマリア』は意外な展開を見せてはいるが話運びは理解できるし、『うつせみ』は奇想天外な決着を見せるが許容するかどうかは別としても趣旨は解る。だが本篇は、そのあたりの説明をあらかた観る側に委ね、手懸かりすら示していないものが多い。死刑囚についても最後まで明かされない部分があるが、特に重要なヒロインの言動について、あまりに不透明な部分が多い。観終わったあとでならば様々に解釈できるが、観ながら判断する材料が乏しく、観る側の想像や推測に依存する部分が非常に多いのだ。受け身で映画を観る傾向にあればあるほど、本篇は理解しがたい代物になっている。

 しかし言い換えれば、丁寧に解釈しながら観る人間にとっては、非常に噛み応えのある作品に仕上がっているとも捉えられる。ヒロインの行動の意味からして奥深いが、決して多くの尺を割いていない、落とした洗濯物を巡る場面あたりなどは、実に様々な解釈があって味わい深いものがあるのだ。

 そういう見方をすると、今回久々に自ら出演したキム・ギドク監督の配役からして意味深だ。彼は、ヒロインが初めて刑務所を訪れたときに、素性を知らぬまま面会を許可し、以後面会室でヒロインが自由な行動をするのを許したうえ、その様子を監視カメラで眺めている保安課長を担当している。出演と言っても、彼が見ているモニターに、実際に映っている絵に折り重なる形でぼんやりと姿が見える程度だが、しかしそういう立ち位置だからこそ、その登場の仕方自体に深い意味を感じさせる。

 それほどギドク監督らしさに満ちあふれた作品にも拘わらず、いつもよりストレートに感じられるのは、ヒロインの家庭環境がまだしも理解しやすいことと、決着で示される光景が美しくも凡庸な日常への回帰を匂わせていたことに起因するのだろうが、しかしこの程度でストレートと感じるのは既に変人の域だ。一般的な感性からすれば充分に癖のある代物で、いっそ“さわるな危険”と張り紙しておいたほうがいいのでは、と考えてしまう類の作品であることは変わりない。もし初めて触れるのであれば、予め脳味噌を柔軟にしておくか、きちんと解釈する覚悟を固めておくことをお薦めする。

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