『崖の上のポニョ』

『崖の上のポニョ』

原作・監督・脚本:宮崎駿 / プロデューサー:鈴木敏夫 / 制作:星野康二 / 作画監督近藤勝也 / 美術監督:吉田昇 / 色彩設計保田道世 / 映像演出:奥井敦 / 整音:井上秀司 / 音響効果:笠松広司 / 録音演出:木村絵理子 / 編集:瀬山武司 / 音楽:久石譲 / オープニング主題歌:林正子『海のおかあさん』 / エンディング主題歌:藤岡藤巻と大橋のぞみ崖の上のポニョ』 / 出演:奈良柚莉愛土井洋輝山口智子長嶋一茂天海祐希所ジョージ柊瑠美矢野顕子吉行和子奈良岡朋子 / スタジオジブリ制作 / 配給:東宝

2008年日本作品 / 上映時間:1時間41分

2008年07月19日公開

公式サイト : http://www.ghibli.jp/ponyo/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2008/07/19)



[粗筋]

 魔法の力により、海の底で暮らす男フジモト(所ジョージ)。その娘の赤い魚が、フジモトとともに船で出かけているさなかに、船を抜け出してしまった。クラゲたちに誘われるように、赤い魚の少女が辿り着いたのは、穏やかな港町。

 初めて訪れた人里で、行き交う船に翻弄され、ジャムの瓶に閉じ込められてしまった魚の少女を助けてくれたのは、崖の上の家に住む少年・宗介(土井洋輝)。人に似た顔を持つこの不思議な生き物に惹かれた宗介は、母のリサ(山口智子)に急かされたこともあって、ポニョ(奈良柚莉愛)と名付けたその赤い魚を、保育園へと連れて行く。

 このポニョは、本当に不思議な生き物だった。瓶を割ったときに傷ついた宗介の指を舐めて一瞬で治してしまうし、保育園に隣接するデイケアセンターにいる、意地悪なトキさん(吉行和子)が好き勝手な評価をすると、水を吹いて反撃する。更には、水面から顔を出して、話しかけてきたのだ。「宗介、好き」と。

 だがその矢先に、フジモトが魔法で操る水の化物がふたりを襲い、ポニョを連れ戻してしまった。友達になれた矢先に離ればなれになってしまった宗介は、ひどく落ちこんでしまう。

 一方、フジモトに家へと連れ戻されたポニョだったが、宗介に会いたい一心で、なんと手脚を自力で生やしてしまう。フジモトは精製した魔力でなんとか抑えこむが、ポニョは諦めなかった。フジモトが席を外している隙に、いもうと達(矢野顕子)の手助けを得て、ふたたび家出を画策する。その途中、フジモトが長い時をかけて用意していた強い魔法の力が解放され、ポニョに影響を及ぼした。まだ魚の体に無理のある手脚を生やしただけ、という姿だったポニョは瞬く間に人間の子供と変わりない姿形を得たのである。

 ポニョは、やはり魔法の力を得て大きく変貌したいもうと達と共に、宗介のもとへと駆けていく。だが、彼女たちに与えられた魔力は、世界に大嵐を巻き起こし、それは宗介達の暮らす港町にも襲いかかっていた――

[感想]

ハウルの動く城』以来となる宮崎駿監督の最新作だが、それ以上にコンセプトの段階から“子供を対象にした作品”を志向した久々の作品であることに興味を惹かれた。

ハウル〜』に限らず、近年の宮崎駿作品は民俗学やファンタジーの定番的な背景などを織り込み、ある程度の素養がないと充分に解体しきれなかったり、話の展開がいささか唐突になりがちだったり、と癖が強くなり、幅広い年齢層に支持されながらもどこか大人向け、しかも思想が強くなりがちだった。それを今回、意識して“子供向け”にスライドしたというのだから、初期からのジブリ作品ファンとしては色々期待したくなる。

 この期待に、作品は冒頭から全力で応えてくれている。近年アニメーション制作の現場はほぼ完璧にデジタル環境に移行しているが、そこへあえて手書きのセル主体に回帰した、という話は前々から聞いていた。だが、いざ冒頭で、波の動きさえセルのシンプルな絵で活き活きと動かしているさまに接すると、やはりデジタルとは異なる感慨を味わう。ひとつひとつシンプルに、だが躍動感たっぷりに描かれたクラゲやポニョのいもうと達の姿は、それだけでわざわざ映画館に足を運んだ甲斐を感じさせるほどだ。

 話の流れも、ポニョと宗介という子供の目線を中心としており、極めてすっきりと組み立てられている。出逢いと絆の構築、別れと再会、そして試練、と定番通りの要素をうまく並べ、それを手書きによる勢いに満ちた、それでいて流麗な映像によって彩っている。試写の時点では大人の評価は高かったが、果たして本来のターゲットである子供たちに受け入れられるか、宮崎監督自身からも観客の口からも不安が聞かれたというものの、この仕上がりならば子供をも楽しませることは間違いない。

 しかし、それだけに留まらないのが宮崎駿監督とジブリの組み合わせの一筋縄でいかないところで、やはり大人の眼で見ると、実に憎い仕掛けが随所に仕掛けられている。そもそも今にセルによる動画を蘇らせる、という発想自体が古いファンの感性を刺激する趣向であることは自明だが、作中では深く踏み込んでいない部分の解釈の拡がりがただごとではない。

 例えばポニョの父という位置づけのフジモトと、母と呼ばれるグランマンマーレ(天海祐希)の関係性は、ほとんど説明がなされていないが、フジモトの言動や作中のわずかな会話からも複雑な過去が推測される。もと人間であったというフジモトが如何にしてグランマンマーレと出逢い、ポニョたちを娘として授かるに至ったのか。ポニョのモチーフが『人魚姫』から着想していることはキーヴィジュアルや予告編における台詞からも推測が出来たが、フジモトとグランマンマーレの会話でそれをあからさまに仄めかすあたりも巧い。

 とりわけ、終盤におけるくだりは絶妙だ。ポニョと宗介に与えられる“試練”に該当するくだりだが、そこで行われた“母”同士の会話に直接触れないあたりも絶妙だが、何よりこの最後の手続にほとんど意味がない――大人達が右往左往する一方で、実のところポニョも宗介もその段階はとうに越えていることが解る。一瞬戸惑うが、しかし大人達が好み必要ともする通過儀礼をあっさりと飛び越し、悪戯っぽく笑い捨てるようなこのクライマックスこそ、本篇が子供向けを志向しながらもそこに留まらない深みの最も象徴的な点だろう。

 宗介があまりに勘の良すぎるいい子であることも、彼の奇異な言動や不気味な気象現象をさほど悩むこともなく受け入れ必要な対処をしていく大人達の姿に感じられる不自然さも、実のところこの予定調和のハッピーエンドを保証するために用いているのである。計算された脳天気さが、あまりにシンプルで、しかし皮肉を秘めた決着に免罪符と爽快感とを同時に齎している。

 そしてもうひとつ、本篇は見ようによっては、これまでの宮崎駿監督作品の集大成的な作りをしている点にも、長年観続けてきた者としては注目したくなる。海で仕事を続けなかなか帰らない父の代わりに母を支える宗介の人柄には『天空の城ラピュタ』におけるパズーの面影がちらつくし、対するポニョはその特異な背景に超越的な能力、男の子に支えられるだけを良しとしない態度に宮崎駿作品におけるヒロインを融合したような趣がある。宗介をほぼ対等な人間として扱い、常識を逸脱した振る舞いで唐突に紛れ込んでくるポニョという存在を平常心のまま受け入れてしまう宗介の母リサには『魔女の宅急便』で主人公キキの心の支えとなったウルスラがそのまま母親になってしまったかのような印象があるし、デイケアセンターに集う老人たちは、宮崎駿作品に頻出する老人たちの面影が窺える。それらを束ねた先に、あの無駄を配したハッピーエンドがある、このことに対する感慨はやはり長年ジブリ作品に親しんできた者ほど深まるものだろう。子供にはたぶん理解できまい。

 だが、だからこそいま子供に見せる甲斐のある作品だと思う。十数年後にふたたび観たとき、恐らく新しいインパクトを齎すはずだから。

 ここ数年のジブリ作品のなかでいちばんの完成度であり、同時に宮崎駿アニメの集大成と言ってもいい傑作である。……ただ、大人でもなく、子供とも言い難い層にはもしかしたら受け入れられにくいかも知れないが。

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