『WALL・E/ウォーリー』

『WALL・E/ウォーリー』

原題:“WALL-E” / 監督:アンドリュー・スタントン / 原案:アンドリュー・スタントン、ピート・ドクター / 脚本:アンドリュー・スタントン、ジム・リアドン / 製作:ジム・モリス / 製作総指揮:ジョン・ラセター、ピート・ドクター / 撮影:ジェレミー・ラスキー、ダニエル・フェインバーグ / プロダクション・デザイナー:ラルフ・エルグストン / 編集:ステファン・シェファー / スーパーヴァイジング・テクニカル・ディレクター:ナイジェル・ハードウィッジ / スーパーヴァイジング・アニメーター:アラン・バリラーロ、スティーヴン・クレイ・ハンター / 音楽:トーマス・ニューマン / サウンドデザイン&声の出演:ベン・バート / 声の出演:エリサ・ナイト、ジェフ・ガーリン、フレッド・ウィラード、ジョン・ラッツェンバーガー、キャシー・ナジミー、シガニー・ウィーヴァー / 日本語吹替版声の出演:横堀悦夫園崎未恵草刈正雄小川真司江原正士吉野裕行立木文彦さとうあい小山茉美 / ピクサー製作 / 配給:WALT DISNEY STUDIOS MOTION PICTURES. JAPAN

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間44分 / 日本語字幕:稲田嵯裕里

2008年12月05日日本公開

公式サイト : http://wall-e.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2008/12/05) ※日本語吹替版にて鑑賞



[粗筋]

 廃棄物にまみれ、命を育まなくなった地球を、人類が放棄して700年。

 そんな地球を、ただ1台、黙々と整頓し続けるロボットがいた。大量生産の小型ゴミ処理用ロボット・ウォーリーである。長い間、ひとりきりで暮らしていた“彼”は、身の回りに独自の文化を築きあげていた。ゴミを押し固めて積み上げていく一方で、気になったお宝を、住処に集めていく。電球にルービック・キューブ、指輪のケース、ブラジャー……。そんなウォーリーがずっと夢見ているのは、誰かと手を繋ぐこと。見つけ出したビデオテープが流す、大勢のダンスシーンと、手を繋ぐ恋人同士の幸せな姿を、“彼”は毎日のように羨望の眼差しで見つめるのだった。

 判で捺したように、同じ事の繰り返しだったウォーリーの日々に、だが突如大きな変化が訪れる。轟音と共に一基の宇宙船が降り立つと、真っ白でピカピカのロボットを置いて去っていった。起動するなり、周囲の調査を始め、物音を立てたウォーリーに容赦なくレーザー砲を発射してきた“彼女”を、ウォーリーは恐怖を抱きつつも追いかけ、様子を窺う。700年振りに巡り逢った、自分に近い存在の“彼女”に、ウォーリーはどうやら一目惚れしていたようだった。

 かなり派手で乱暴な行動を繰り返していた“彼女”だったが、ウォーリーに敵意がないことを理解したのか、ようやく“彼”に向き合ってくれる。折しも、大嵐が襲ってきたため、イヴと名乗った“彼女”を、ウォーリーは自分の住処に匿った。宝物を見せるたびに、イヴが意外な反応を示してくれるのが嬉しくて、ウォーリーは次から次へと披露する。

 だが、あるものを見せた直後、イヴは驚愕し、動きを止めてしまった。腕を収納し、表情豊かな瞳の光を消して、触れても叩いてもぴくりとも動かない。動揺しながらも、ウォーリーは出来る限りのことをした。太陽光を充電する必要のある自分と同じなのかと思って、日当たりのいい場所に連れて行ったり、とっておきの絶景スポットに連れて行ったり……。

 しかし、“彼女”が動き出す前に、あの宇宙船がふたたび訪れた。ウォーリーは後先を考えず、その外壁にしがみつく。宇宙船はみるみるうちに大気圏を離脱し、宇宙空間に飛び出していった。

 ただ、ひとりぼっちに戻るのが厭で、必死に追いすがったウォーリーの行動が、しかし“彼”と宇宙船の帰還する先に、大きな変化を齎そうとしているのを、“彼”はまだ知らない――

[感想]

 3DCGの技術はだいぶ発達したとは言い条、それだけで作りあげたアニメーションというと、未だにどこかぎこちなかったりわざとらしい代物になる、という印象が拭えない。日本の『ベクシル 2007 日本鎖国』や『APPLESEED』などを観ても解るが、技術力の高さは実感できるものの、それ故に未だ人間の細やかな表情や感情を表現し切れていないことをその都度思い知らされてしまうのだ。下手に3Dで人物を描こうとするくらいなら、まだ実写を用いた方が遥かにいい、という次元にある。

 そんな中で、鑑賞に値する作品を継続してリリースしている数少ないスタジオが、ピクサーである。

 このスタジオが他と一線を画しているのは、あまりリアルな人間を描くことに固執していないことと、人間以外のものを主役として、独自の作品世界を構築することに腐心しているからだ。子供を捜すカクレクマノミの冒険を描いた『ファインディング・ニモ』に、車そのものが意識を持ってレースに臨み、田舎町の再生を志す『カーズ』と見ても解る通り、人間が出て来ないか、出て来たとしてもまったくの脇役として使われるものが多い。そうすることで、実写にはまず不可能な世界観を大前提として用意し、だからこそ活きる王道の話運びで観る側を牽引する。そこに、ディテールへの拘りを持つことで補強し、全体での完成度を高めている。そしてそれを、圧倒的な技術力が更に支えることで、他の追随を許さない高水準を保っているのだ。

 今回、ピクサーが目をつけたロボットという素材は、それ自体決して目新しいものではない。だが、それを地球にただ1台取り残され、黙々と使命を果たし続ける、という側面を与えることで、独特の雰囲気に辿り着いた。地球のあちこちに残ったゴミを黙々と押し固め積み重ねていくロボットが、長い時間を費やして築きあげた仕事の成果と、ひとりの寂しさを紛らわすかのような生活習慣の点綴が、微笑ましくも切ない。

 冷静に考えると、どうしてウォーリーのような廃棄物処理用ロボットにあんな繊細な感情とその表現力が必要なのか、いまいち理解できないのも事実だ。のちに登場するイヴにしても、“彼女”の用途からすれば表情は必ずしも要らないものだろう。ことイヴについては、明らかに第三者に感情を伝えるために、目に代わるものをダイオード方式で表示し、その都度変化させてさえいる。いずれも、とりあえず説明らしいものをつけることは可能のようにも思えるが、ロボット同士の触れ合い、という主題を解り易くするための便宜、という印象は否めない。

 だが、そんな詮索はどうでもいい、と思えるほど、ウォーリーの行動は愛らしいし、イヴとの触れ合いの繊細な表現に目を惹かれる。そして、リアリティをなげうっているように見せかけて、細部を丹念に構築することで、私たちに馴染みのある現実と地続きに感じさせている技が見事だ。

 ウォーリーが採集する“宝物”がそれぞれ、実際の用途を知らないがゆえに“彼”にとっては別の意味を持っているユニークさもそうだが、特筆すべきは、去りゆく前の人間たちの映像に実写を用いている点である。当初、3DCGが実写の補助として使われてきたことを思えば、主従逆転の象徴と捉えることも出来るが、妙なことに、キャラクターとして大きな活躍をする、作中の“現在”にいる人間たちは、3DCGで描画されているのだ。

 普通に考えれば表現の首尾が一貫していない、と批判されるべきポイントだが、本篇の場合はこれが逆に奏功している。700年前から作中の“現在”とのあいだに生じた人間の変化を強調するとともに、ウォーリーたちの漫画チックな活躍に人間たちを溶け込ませることにも役立っている。そもそも、作中における地球の現状自体が、私たちの知っている地球の現実を思うとなかなかに生々しく、同じように作中のSF的価値観からすると想像しやすい人間たちの姿を戯画的に捉えた造形には、風刺的なおかしささえ感じられるのだ。どこまで狙っているのかは不明だが、丁寧な考証がきっちりツボに嵌っていることは事実だろう。

 そうした発想の巧さやディテールの細かさを抜きにすると、話運び自体は王道と言っていい。だが、ディテールが練り込んであり、かつ伏線も細やかなので、定番であることに不満を抱くどころか、安心感や満足感をもたらしている。さすがに終盤で何の打ち合わせもなく味方につくキャラクターがいるあたりには御都合主義という印象が色濃いが、イヴがウォーリーの優しさに気づくくだりや、クライマックスでの行動に至る伏線は実に巧妙で、素直な人はまず確実に涙ぐむはずだ。

 物語が完結したあと、エンドロールと、更には最後に示されるロゴにまで工夫を凝らしてあり、実に隅々まで味わい甲斐のある、掛け値無しの傑作である。私は吹替版で鑑賞したが、それほど難しい言葉はなさそうなので、字幕版であっても字幕にあまり頼らず虚心に楽しめるだろうと思う。

 ……最後にひとつだけ、断っておきたい。

 序盤、ウォーリーがまだイヴと巡り逢っていない段階で、“彼”がペットのように触れ合っている、一匹の逞しい虫がいる。ウォーリーの命令に従って住処に戻っていったり、宇宙船にすがりつこうとするウォーリーに諭されて踏み止まったりと、虫とは思えない行動をするこの虫も実に愛らしいのだが――これからご覧になる方は、観終わるまでその正体について詮索しないことをお薦めする。プログラムの粗筋にずばり答が書いてあるので、出来ればそれを読むのも鑑賞後まで取っておくべきだろう。

 鑑賞後であっても、知ったが最後、下手をすると人生観が変わってしまう危険はあるが。確かに、あの虫なら荒廃した700年後に生き残っていても何の不思議も感じないのだけど……

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