『マンマ・ミーア!』

『マンマ・ミーア!』

原題:“Mamma Mia!” / 監督:フィリダ・ロイド / 脚本&ミュージカル・オリジナル台本:キャサリン・ジョンソン / 原案:ジュディ・クレーマー / 製作:ジュディ・クレーマー、ゲイリー・ゴーツマン / 製作総指揮:ベニー・アンダーソンビョルン・ウルヴァース、リタ・ウィルソン、トム・ハンクス、マーク・ハッファム / 撮影監督:ハリス・ザンバーラウコス,BSC / プロダクション・デザイナー:マリア・シャーコヴィク / 編集:レスリー・ウォーカー / 衣装:アン・ロス / 振付:アンソニー・ヴァン・ラースト / 音楽監督:マーティン・ロウ / 音楽監修:ベッキーベンサム / 原曲:ABBA / 作詞&作曲:ベニー・アンダーソンビョルン・ウルヴァース(一部、スティグ・アンダーソンと共作) / 出演:メリル・ストリープアマンダ・セイフライド、ピアーズ・ブロスナン、コリン・ファースステラン・スカルスガルドジュリー・ウォルターズクリスティーン・バランスキードミニク・クーパー / リトルスター/プレイトーン製作 / 配給:東宝東和

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間48分 / 日本語字幕:石田泰子

2009年01月30日日本公開

公式サイト : http://mamma-mia-movie.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/01/30)



[粗筋]

 ギリシアエーゲ海に浮かぶカロカイリ島。ここでホテルを経営するドナ・シェリダン(メリル・ストリープ)のひとり娘ソフィ(アマンダ・セイフライド)は明日、華燭の典を挙げる。久々にやって来た親友ふたりに、ソフィは自分が大それた真似をしたことを打ち明けた。

 ソフィには父親がいない。長年にわたってそれは、彼女の胸に小さな穴を開けていたが、結婚を機にその謎を解き明かそうとした。手懸かりは、ドナがソフィを身籠もった年の日記である。そこには、3人の男性と関係を持ったことが仄めかされていた。それを読んだソフィは、何と3人とも結婚式に招いてしまったのだ――しかも、母親の名前で。誰が父親かは、逢えばきっとピンと来る、と豪語するソフィに、友人達も呆然とする。

 父親候補その1は、サム・カーマイケル(ピアーズ・ブロスナン)。当時、ドナと恋に落ちたが、婚約者の存在が発覚、ドナを捨てて去ってしまった。現在はニューヨークで建築の仕事をしている。妻とのあいだに子供がふたりいるということだった。

 父親候補その2は、ハリー・ブライト(コリン・ファース)。ロンドンの銀行に勤めている財産家だが、結婚はしていない。かつてはヘヴィメタ・ミュージシャンで、サムとの別れに傷ついたドナを慰めているうちに一線を超えてしまったようだった。

 そしてその3は、ビル・アンダーソン(ステラン・スカルスガルド)。ハリーも愛読する著書を発表している冒険家で、こちらも独身。ドナと寝た経緯はハリーに似ている。

 偶然の成り行きから、ビルのヨットでまとめてカロカイリ島にやって来た3人を、ソフィはひとまずヤギ小屋に閉じ込めて、結婚式まで母にも、婚約相手のスカイ(ドミニク・クーパー)にも隠しておこうとする。だが、結婚式の準備のために忙しく立ち回っていたドナは、たまたまヤギ小屋を覗きこんでしまった。そこに、かつて自分が関係を持った3人が、何故か和やかに談笑している姿を見て、ドナは愕然とする――

[感想]

 本篇は1999年から上演され、日本でも劇団四季が披露したことで知られる同題の大ヒット・ミュージカルに基づいている。1970年代から80年代にかけて活躍したグループ・ABBAの名曲を多数引用、その歌詞を物語に取り込むという、映画では『ムーランルージュ!』や『アクロス・ザ・ユニバース』に見られるような手法を用いている。

 楽曲の完成度が高く、また舞台で充分に練り上げたものを土台としていることもあってか、歌と踊りの見応えについてはもはや文句のつけようがない。だが正直なところ、話作りという面からは非常に粗が多い、という印象だった。

 そもそもストーリーの重要な部分をなるべく歌詞によって代弁させようとしているのに、それが既成曲しかない、という制約があるからだろう、話にとって必要であると思われる描写がところどころ欠けている。途中まではあまり気にならないが、終盤にかけてその歪みが大きくなっているのだ。

 特に引っ掛かったのは、クライマックス直前で若干歪みを生じたソフィとスカイの関係にフォローを入れないまま結婚式に突入してしまっていることと、父親候補3人のうちひとりが持つ秘密について、伏線の張り方が雑であることだ。前者は、あの成り行きならスカイが結婚式をボイコットしてしまっても不思議はない、少なくとも複雑な表情を示していても良かったはずなのにまったくその様子がない。後者については若干それっぽい表現があるものの、伏線としては不明瞭だし、ミスリードするつもりだったにしてもいまひとつ効果を上げていない。

 この二点に限らず、本篇は全般に心理的な伏線を少々軽んじすぎているきらいがある。終盤で人間関係に変化があるだけに、それを補強する描写を、歌詞の中でも外でももう少し入れておくべきだっただろう。細かく眺めていくと、御都合主義が強すぎてモヤモヤとした気分を味わわされる。

 だが、本篇の魅力はむしろストーリーの整合性よりも、さながら奔流の如くふんだんに盛り込まれた歌、音楽、ダンスの完成度と、その破天荒な構成が醸し出す陽気さ、爽快感にこそある。堅苦しく細部を詮索したりせず、その勢いに身を委ねて愉しむべきなのだろう。

 そう鷹揚に構えていれば、語られていない部分はむしろ観る側の想いや現実を潜りこませる“遊び”の役割を果たしてくれる。日々の暮らしで抱えた憂さや、それぞれに事情の異なる恋の悩みも一発で吹き飛ばしてくれそうなパワーが、本篇にはある。メリル・ストリープを中心にして島中の女が歌い踊る『ダンシング・クイーン』や、結婚式における曲の数々のあたりなど、観ているだけで自然と身体が動きそうな心地がする。こんな一体感が味わえる映画はあまりない。

 前述のように、ストーリーの細かな粗を探ってしまうとちょっと辛いものがあるが、細かいことは言わずにただただスッキリしたい人、ミュージカルといったら歌と踊りがたっぷり堪能できればそれでいいと割り切って捉えている人ならば文句なく楽しめるはずだ。かくいう私自身、あれだけ何のかんのと言いつつも、観ているあいだはすっかり興奮して、劇場を出てしばらくはABBAの楽曲が頭の中で鳴り続けていたのだから。

 ところで本篇、非常に愉しい作品であるのだが、残念ながらラジー賞にひとりだけノミネートされている。観る前にそれを知って、そんなに酷いのか、と身構えていたのだが――正直、納得してしまった。その方もずいぶん頑張っているし、バラードにおいては雰囲気を出しているのだが、特徴的な声が全体から浮いてしまっており、なまじ努力した分だけ微妙な空気を醸し出してしまっているのである。

 ラジー賞は実際の出来不出来以上に話題性との兼ね合い、という部分も大きく、かつ今年は更に評判の良くない作品があるようなので、受賞するところまでは行くまいが……いずれにしても、苦笑いは禁じ得ない。

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