『英国王給仕人に乾杯!』

『英国王給仕人に乾杯!』

原題:“Obsluhoval jsem anglickeho krale” / 英題:“I Served the King of England” / 原作:ボフミル・フラバル / 監督・脚色:イジー・メンツェル / 製作:ルドルフ・ビールマン / 撮影:ヤロミール・ショフル / 美術:ミラン・ビーチェク / 編集:イジー・ブロジェク / 衣装:ミラン・チョルバ / 音響:ラジム・フラジークJr. / 音楽:アレシュ・ブジェジナ / 出演:イヴァン・バルネフ、オルドジフ・カイゼル、ユリア・イェンチ、マリアン・ラブダ、マルチン・フバミラン・ラシツァ、ズザナ・フィアロヴァー、イジー・ラブス、ペトラ・フシェビーチコヴァー、ルドルフ・フルシーンスキーJr.、パヴェル・ノヴィー、エヴァ・カルツォフスカー、ヨゼフ・アブルハム、ヤロミール・ドゥラヴァ、シャールカ・ペトルジェロヴァー、イシュトヴァン・サボー、トニア・グレーヴス / 配給:フランス映画社

2007年チェコ、スロヴァキア合作 / 上映時間:2時間 / 日本語字幕:松岡葉子 / 字幕協力・資料提供:阿部賢一

2008年12月20日日本公開

公式サイト : http://www.bowjapan.com/iservedtheking/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2009/02/10)



[粗筋]

 15年の刑期を終えて、プラハ再教育監獄を出たヤン・ジーチェ(オルドジフ・カイゼル)は、新しい住居として、国境間際の廃村にある、かつてのビアホールをあてがわれる。住む者もなく朽ち果てた土地だが、そこがビアホールであることにヤンは郷愁を覚える。かつて彼が初めて給仕人として勤めたのが、ビアホールだったからだ。

 若きヤン(イヴァン・バルネフ)はもともと駅のホームでソーセージを商い、小銭を稼いでいた。いつか億万長者が集うホテルを経営することを夢見た彼は、やがてとあるビアホールに勤めはじめる。町の名士が酒を酌み交わすここで“聞かずに聞き、見ずに見た”ことの数々は、確実にヤンの糧となっていった。

 しかしこのときからヤンにとって、幸運と不幸は表裏一体で訪れる宿命になっていたらしい。ある日、ヤンの勤めるビアホールに、美しい女が雨宿りをした。彼女に魅せられたヤンは、店の紳士達の話から彼女が天国館という名の娼館にいると知ると、貯めた金をかき集めて店を訪ねる。その女――ヤルシュカ(ペトラ・フシェビーチコヴァー)との逢瀬は、文字通りヤンを虜にしたが、対するヤルシュカも、ヤンに対して彼が望む以上の好意を示した。彼女がビアホールを訪れたとき、ヤンの失敗を咎めた支配人に、ヤルシュカは激しく抗議したのだ。男たちの関心を集める娼婦に愛されては、町に留まり続けるわけにはいかなかった。

 ビアホールで知り合い、ヤンを評価してくれていた行商人ヴァルデン氏(マリアン・ラブダ)の口利きで、ヤンはすぐに次の職場を得る。チホタ荘というそのホテルは、億万長者の交流や商談の場とともに、美しい女たちを供給する高級娼館であった。ここでもヤンは、様々なことを“聞かずに聞き、見ずに見た”のだが……

[感想]

 鑑賞当日のブログにも記したが、まったく予備知識なしで鑑賞した作品である。題名ぐらいしか情報を掴んでおらず、だから自然とイギリス映画なのだろうと思いこんでいたのだが、実際にはチェコ、しかも上では記していないものの、第二次世界大戦前後の頃を描いた歴史ものだ。

 謎めいた題名は粗筋の先、チホタ荘のあとで主人公ヤンが勤務するプラハの伝統あるホテル・パリの給仕長が、「私は英国王の給仕をしたことがある」と嘯くところから取られている。主人公は安易に信じこむが、しかし冷静に考えてみれば解るとおり、この時代のチェコ人が英国王室で給仕を務める可能性はあまりに低く、給仕長が自らの能力の高さを自負し、同時に純真なところのあるヤンをからかって発したユーモアなのだ。そしてこのひと言をタイトルに持ってきているところから明白だが、本篇は基本的にコメディである。

 だが、年老いて再教育監獄から出獄するところから物語を始めているところから解る通り、決して成り行きそのものは明るくない。いちおう主人公の地位は終盤までじわじわと向上しているように移るが、職場を移る理由はたいてい失敗談であるし、その背後で起きていることや、主人公の行動自体は笑い事ではない。第二次世界大戦の過程でチェコはドイツに侵攻され、終戦後は共産国家に体制を変えている。主人公にしても、一部は不運と言えるが、かなり良識に悖る行動に及んでいるのだ。

 しかしそういう重さを、本篇はまったく意識させない。それは、作中の女性達が惹かれるヤンの洒脱さ、憎めない人柄、どこか超然とした眼差しによるものだろう。野心家で女誑し、しかも根は純真でいっそ“お馬鹿”と呼んでも通用するような人間だが、その特徴が語りを軽妙なものにしている。

 繰り返し職場を変えながら、そこに伏線を駆使したパターンを設けてリズムを形作っているシナリオの巧みさも秀でている。ポイントは、這いつくばって金を集める“金持ち”たちを観察したいがために、ヤンが小銭をばらまくお遊びを繰り返すことと、致命的と言ってもいいくらいヤンが己の欲望に正直で、かつ女性を惹きつけて止まない魅力を備えていることだ。これらを、ひねりを加えつつ繰り返し用いることで、ユーモアとともに作品の雰囲気をきっちりと固めている。

 それでいて、本篇の展開は非常に予想がしにくい。そうしてパターンを築きながらも、肝心なところでするり、と躱してしまう。特に出色なのが、全篇にわたってナレーターを務める、再教育監獄を出たあとのヤンが辿り着くラストだ。回想のあいだに挟む形で綴られる状況から、ある成り行きが予測できるのだが、本篇の用意した結末はそれをあっさりと覆す。予想よりも遥かに納得のいくこの締め括りは、だが裏切りのように感じられながらも、爽快な余韻を齎すのだ。

 古典的ながらも洗練された演出で優雅に、堅実に組み立てておきながら、一方でときおり挿入されるCG加工を施した映像はどこか収まりが悪く拙い印象があるのだが、しかしそれが作品の寓話的な雰囲気を強めているのだからまた侮れない。無数に登場し、ヤンと愛しあい、或いはすれ違い、しまいには空気扱いする女たちのニンフじみた美しさまで含めて、とにかく隅々まで企み抜かれた、軽妙かつ洒脱な逸品である。

 日本人の、まったく予備知識なしで鑑賞した私が楽しめた理由には、チェコの歴史にすら疎かったことが別の関心を招いたお陰も含まれているように思え、その部分だけは割り引いて考える必要があるかも知れないが、翻って、むしろ大して関心もないままに劇場に足を運んでも楽しめる、優秀な娯楽映画であることも間違いない。

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