『ドラゴン・タトゥーの女』

『ドラゴン・タトゥーの女』

原題:“The Girl with the Dragon Tattoo” / 原作:スティーグ・ラーソン(ハヤカワ文庫HM・刊) / 監督:デヴィッド・フィンチャー / 脚本:スティーヴン・ザイリアン / 製作:スコット・ルーディン、オーレ・ゾンドベルイ、ソレン・ステルモース、セアン・チャフィン / 製作総指揮:スティーヴン・ザイリアン、ミカエル・ウォレン、アニ・ファーバイ・フェルナンデス / 撮影監督:ジェフ・クローネンウェス / プロダクション・デザイナー:ドナルド・グレアム・バート / 編集:カーク・バクスター、アンガス・ウォール / 衣装:トリッシュ・サマーヴィル / 音楽:トレント・レズナーアッティカス・ロス / 出演:ダニエル・クレイグルーニー・マーラクリストファー・プラマースティーヴン・バーコフステラン・スカルスガルド、ヨリック・ヴァン・ヴァーヘニンゲン、ベンクトゥ・カールソン、ロビン・ライトゴラン・ヴィシュニック、ジェラルディン・ジェームズ、ジョエリー・リチャードソン、インガ・ランドグレー、ペル・ミルバーリ、マッツ・アンデルソン、イーヴァ・フリショフソン、ドナルド・サムター、エロディ・ユン、ヨソフィン・アスプルンドエンベス・デイヴィッツ、ウルフ・フリバーグ / スコット・ルーディン/イエロー・バード製作 / 配給:Sony Pictures Entertainment

2011年アメリカ作品 / 上映時間:2時間38分 / 日本語字幕:松浦美奈 / R15+

2012年2月10日日本公開

公式サイト : http://www.dragontattoo.jp/

TOHOシネマズ日劇にて初見(2012/02/10)



[粗筋]

 報道誌『ミレニアム』の取締役兼記者であるミカエル・リンドクヴィスト(ダニエル・クレイグ)は名誉毀損の裁判で敗訴した。相棒のエリカ(ロビン・ライト)と共に築き上げた信頼を、1日にして失ってしまう。

 折しもクリスマス、苦渋の想いを抱えたまま催したクリスマスのパーティーのさなか、ミカエルの携帯電話を見知らぬ番号が鳴らした。弁護士のデルク・フルーデ(スティーヴン・バーコフ)と名乗る発信者は、依頼人スウェーデン経済界の大物ヘンリック・ヴァンゲル(クリストファー・プラマー)であると告げ、彼がミカエルにある調査を頼もうとしている、と言う。

 ストックホルムから4時間の距離にあるヘーデスタを訪れたとき、ミカエルは直接断ってすぐに戻るつもりだった。だが、ヘンリックの話はミカエルを動かす――ヘンリックの依頼は、およそ40年前に行方をくらました、彼の兄の孫娘にあたるハリエットを殺害した人物を捜して欲しい、というものだった。

 ハリエットが消えた日、ヘーデスタにあるヴァンゲル家には多くの親族が集まっていた。そんななか、唯一市街地と彼らの暮らす島とを繋ぐ橋の途中で大規模な事故が発生し、ヴァンゲル家の人々が事後処理に追われているあいだに、ハリエットは何処かへと消えた。以来、ヘンリックは執念で調査を続けているが、未だに真相は判明していない。そして、ハリエットが消えたのちも、何者かがヘンリックの誕生日に、押し花の額を送り続けている。

 死を意識しはじめたヘンリックは、記者として有能であるミカエルに、新しい視点でこの事件を捜査して欲しい、と依頼してきた。仮に解決に至らなかったとしても報酬は与える。その報酬のなかには、ミカエルの信用を失墜させた人物に関する重要な情報が含まれていた。

 敗訴による累を避けるため、いちど『ミレニアム』を離れる必要に迫られていたこともあり、思案の結果、ミカエルはこの依頼を引き受けることにする――

[感想]

 ……題名の“ドラゴン・タトゥーの女”そのものであるヒロイン、リスベット・サランデルに触れる余裕がなかった。そのくらい、本篇のプロットは重層的で、単純には語りにくい。その厚みが、原作である小説『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』の最大の魅力でもある。

 如何せん、厚めの上下巻に分割されるほど、物理的にも分量の多い小説をもとにしているだけに、原作を読んでいれば無論のこと、予備知識なしで鑑賞しても、相当な圧縮がかかっていることは察しがつくだろう。全般に言葉ではなく、映像のみで表現した推理や手懸かりの類については、意味を理解しかねる観客もいるのではないか、と危惧するほどだ。

 だがそこはさすがに、優れたスタッフが顔を揃えているだけあって、絶妙な調整を施している。原作の多くの要素がカットされたり簡略化されているが、そのいちいちが納得できるのだ。たとえば原作ではミカエルはヘーデスタのヴァンゲル家を訪れたことがある、という設定になっているが、あくまでヘンリックが彼を説得するための方策のひとつに過ぎなかったこの要素はばっさりと落とされている。

 そうして本篇は、ヴァンゲル家の年代記めいた性質を抑え、殺人事件の謎解きと、それを巡って活動するふたりの“探偵役”に焦点を絞り込んだ。非常に入り組んだ背景ながら、そうして整頓をきっちり施しているので、平明、とまでは言えずとも解りやすくなっている。ほぼ原作通りの仕掛け、謎解きの数々は、視覚的な表現で描き出すことで、映画的な効果を上げているのも出色だ――興を削がないために具体的な例を挙げずに記しているが、それがもどかしくて自分で苛立つほどである。既に40年も調査されながら見つけられなかった糸口にミカエルが遭遇するくだりは特に見事だ。

 しかし、この作品の魅力の最も大きな部分を占めているのが、実質的なタイトル・ロール、リスベット・サランデルにあることは誰しも異論のないところではなかろうか。

 決して万人の好むヴィジュアルでも、性格でもない。髪を逆立てたり眉毛を脱色したり、唇にピアス、背中には題名通り龍のタトゥ、という尖ったファッション。人に接しても愛想を振りまいたりせず、暴力に直面しても、直前まで激しい抵抗を示しながら最終的には歯を食いしばってこらえ、のちに苛烈な逆襲に転じる。卑劣な後見人に対する反逆の有様など、慄然とするほどだ。

 だが、その凶暴さと裏腹に、心を許したミカエルに対する振る舞いは驚くほど純真なのである。他の人物からは触れることを厭がり握手さえ拒むほどなのに、ミカエルの何気ないボディタッチに、一瞬身を強張らせる様子を示すがはねのけることはしない。とりわけクライマックス、緊迫した場面でリスベットがミカエルに向かって話しかけるくだりは、言葉の意味とは裏腹に、私の目にはやたらといじらしく映った。凶暴で愛らしい、という複雑怪奇なキャラクターを完璧に自分のものにしたルーニー・マーラアカデミー賞候補に掲げられたのも当然と言えよう。

 原作にある多くの背景が削られてしまい、いささか見せ場を失った格好のミカエルだが、こちらも人物像はきっちりと原作を再現し、リスベットほどではないが魅力的に描き出されている。記者としての才覚、知性を窺わせる一方で、周囲に対してシニカルな眼差しを向けるリスベットを惹きつけるほどの人懐っこさ、目の離せない危うさ、そういうものを自然に感じさせる無邪気さもある。現在、007を演じているダニエル・クレイグの本領が発揮された人物像と言えるだろう。

 そして何より、サスペンス、謎解きとしての見応えのある演出が秀逸だ。北欧を舞台としているがゆえの寒々とした景色がよく似合う、ビリビリと来るような緊張感。少しずつ真相が見えてくるにつれて、危険が生々しさを増してくる表現も巧い。また、真相を知ったうえで鑑賞すると、慄然とするような描写をこっそり仕込んであることにも注目していただきたい。私は原作で予習したうえで鑑賞したのだが、その描写に接したときの戦慄は凄まじかった。

 ほとんど原作通りながら、1箇所、重要な部分に潤色を施しているが、これも実は原作の描写を踏まえており、決して破綻はしていない。映画として見せるうえでの効果を計算した変更なので、むしろこれは正しい選択であると思う。

 デヴィッド・フィンチャー監督らしい透徹したヴィジュアルに緊迫感のある語り口、魅力的な“探偵役”と、解き明かされる事件の衝撃。監督の出世作にして、個人的には未だ最高傑作と信じて疑わない『セブン』とは微妙に異なるが、あれに近い味わいを備えており、長年フィンチャー監督を追っているひとにとっては、久々に心震わせることの出来る、彼の真骨頂たる1篇である。

 本篇の原作は、もともと全10作として構想されていたものの、作者の急逝により3作で途絶してしまった、という経緯がある。従ってきちんと完結はしていないのだが、それでも3作で一区切りとはなっているようで(私は残り2作は未読)、映画としてもこの3部作がすべて揃っているほうが望ましい。願わくば、ルーニー・マーラという優れた人材を見つけることができたリスベット・サランデルというキャラクターを無駄にして欲しくないところだが、現時点では公式に続篇についてのアナウンスはない。

 実はフィンチャー監督はこれまで一度も、シリーズ作品を立て続けに手懸けたことがない。初監督作でありながら不本意な結果に終わったらしい『エイリアン3』の記憶があるから――というのは意地の悪い見方かも知れないが、折角これだけのクオリティを成し遂げた本篇を、是非ともシリーズとしてフィンチャー監督に完成して欲しいところだ。

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