『イントゥ・ザ・ワイルド』

『ロックンローラ』

原題:“Into the Wild” / 原作:ジョン・クラカワー『荒野へ』(集英社文庫・刊) / 監督・脚本:ショーン・ペン / 製作:ショーン・ペンアート・リンソンビル・ポーラッド / 製作総指揮:ジョン・J・ケリー、フランク・ヒルデブランド、デヴィッド・ブロッカー / 撮影監督:エリック・ゴーティエ / 美術:デレク・ヒル / 編集:ジェイ・キャシディ / 衣装:メアリー・クレア・ハンナン / 音楽:マイケル・ブルック、カーキ・キングエディ・ヴェダー / 出演:エミール・ハーシュマーシャ・ゲイ・ハーデンウィリアム・ハートジェナ・マローン、キャスリーン・キーナー、ヴィンス・ヴォーンクリステン・スチュワートハル・ホルブルック、ブライアン・ディアカー、ザック・ガリフィアナキス / 配給:stylejam

2007年アメリカ作品 / 上映時間:2時間28分 / 日本語字幕:松浦美奈

2008年9月6日日本公開

公式サイト : http://intothewild.jp/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2009/02/26) ※2008年心に残った映画アンコール上映



[粗筋]

 1990年、クリス・マッカンドレス(エミール・ハーシュ)は大学を優秀な成績で卒業する。ハーバードのロースクールに進学できる成績であり、学資預金もまだ残っている、という言葉に父のウォルト(ウィリアム・ハート)は学資の補充を惜しまない、と歓びを顕わにするが、当のクリスは浮かない表情をしている。更に両親が、彼の愛用している中古のダットサンの代わりに新しい車を記念にプレゼントする、と言うと、怒り出す始末だった。

 それから2ヶ月、連絡が途絶えたあと、ようやく不安になった両親がクリスの下宿先を訪れると、彼は卒業直後に引き払い、そのまま行方をくらましていたことを知る。驚愕する両親をよそに、妹のカリーン(ジェナ・マローン)は来るべき日が来た、と感じていた。いつか兄はやるだろうと思っていた。徹底的に、自らの痕跡を消して、行ってしまうだろうと。

 底面ばかりつくろって崩壊した家庭に絶望し、権威や金銭欲にまみれた社会に失望し、自分ひとりで生きていく道を模索し続けていたクリスは、卒業を契機にIDを廃棄、中古のダットサンに乗って、旅に出ていた。鉄砲水で故障した車をためらいなく放置すると、そこからは徒歩で、或いは行く先で働き得た賃金を元にカヤックを購入して川を下り、放浪を続ける。

 名前もアレキサンダー・スーパートランプと偽ったクリスが目指したのは、他に何者も存在しない、自分の力ひとつで生きるしかない荒野――北の大地、アラスカ。

[感想]

 本篇は、実際に忽然と行方をくらましたのち、アラスカの荒野に放棄されたバスの中で、餓死した状態で発見された青年の実話に基づいている。

 私は本篇の原作となっている、その出来事に取材したドキュメンタリーも読まず、再上映だったためプログラムも販売されていなかったので、一切資料には触れられずじまいなので、本篇の出来事がどの程度現実に添っているのか、判断は出来ない。だが、ここで語られている通りなら、主人公クリスのさほど記録を残していなかったはずの足跡が緻密に辿れているのも理解できる。

 翻って、本篇の製作者たちの丹念な精査ぶりに唸らされる。痕跡から抽出するクリスの意識の変遷に、説得力が備わっているのだ。

 わざわざ北の荒野に赴いて、餓死して発見された、とだけ聞くと、正直なところ賢明な人物像は浮かんでこない。無謀で愚かな若者、という印象を抱かされる。だが本篇で描かれているのは、確かに無謀ではあるけれど非常に聡明で、生真面目であり、真実求道者的な心境から孤独を欲して荒野を目指し、そして敢えなく散った若者の姿だ。

 いきなりアラスカを目指さず、経験を積むかのようにいちど南、国境を越えてメキシコまで赴いたクリスは、各所で様々な人々に接している。自分と同じように放浪をしていたレイニーとジャンというカップルに、クリスにとって兄貴分のような存在になる農場の主ウェイン、ヒッピーらが暮らすコミュニティに身を寄せた少女トレイシーに、別れ際に思いがけない提案をした革職人のロン。そうした人々と触れ合いながら見せる彼の言動は如何にも聡明で、とても誠実だ。自身は物質社会を忌み嫌いながらも他人にそれを押しつけようとせず、寄せてくれる親切や好意に対して困ったような表情を浮かべる姿は、決して厭世的ではないし、ただ無謀と呼ぶことは出来ない。

 そのことは、主に妹カリーンを演じたジェナ・マローンの声を借りて語られるクリスの半生からも窺い知れる。終焉の地となったアラスカ、“魔法のバス”を拠点として暮らしを立てようとするクリスの姿と並行して断片的に織りこまれる成長過程は、確かにクリスが権威や金銭欲、ひいては人間関係に対して軽蔑を抱くのも理解できるような出来事ばかりが鏤められている。その経験を下敷きに、だが欲求の赴くまますぐに家を飛び出したのではなく、ある程度けじめをつけて、気持ちを準備してから旅立ったクリスの意思はとても真摯で、同調は出来なくとも理解できる。

 だからこそ、終盤で描かれる苦しみ、切なさがいっそう重量感を増してくる。丹念に準備し、心ある誘惑に幾度も抗った挙句辿り着いたアラスカの地がクリスに齎すのは、自然の非情さだ。覚悟のうえで訪れたクリスも、あまりに過酷な自然と対峙しているうちに、ある心境に至る。この結論を得るために荒野に赴いたのか、と思うと、ある意味でとても痛ましい。

 だがしかし、クリスの決意と行動は、果たして突飛なものだろうか。たまたま彼の場合、志した先が荒野だっただけであって、仮に行く先が寄る辺ない大都会であったとしても、実のところさほど状況は変わりない。クリスと同じ結論に、まっすぐでなくともやがて到達するだろう。

 そして、その行動が親しい人々に及ぼす影響も似たり寄ったりのはずだ。本篇の終盤、置き去りにされた家族たちが見せる表情は苦しくとても切ないが、本当に愛する者を失い、待ち焦がれるときであれば、誰でも同じ顔をする。

 本篇、というよりクリスの特異なところは、その過程であり、凡人なら何十年もかかって辿り着く境地に、僅か2年半の旅路を経て至っていることだろう。だからこそ多くの人々が敬意を払ったのであり、本篇の製作者たちがその姿を克明に描き出そうとしたに違いない。

 結末に待ち構えているのは確かに孤独な死であったが――結局のところ、誰だって行き着くところは同じだ。本篇は決して死にたがりを英雄として賛美する物語ではなく、濃密な生を謳歌しようとした若者の挑戦を、彼の生き様同様に誠実に、実感的に描き出した、極めて優秀なロード・ムービーである。

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