『愛を読むひと』

『愛を読むひと』

原題:“The Reader” / 原作:ベルンハルト・シュリンク『朗読者』(新潮文庫・刊) / 監督:スティーヴン・ダルドリー / 脚本:デヴィッド・ヘア / 製作:アンソニー・ミンゲラシドニー・ポラック、ドナ・ジグリオッティ、レッドモンド・モリス / 製作総指揮:ボブ・ワインスタインハーヴェイ・ワインスタイン / 撮影監督:クリス・メンゲス、ロジャー・ディーキンス,A.S.C.,B.S.C. / 美術:ブリジット・ブロシュ / 編集:クレア・シンプソン / 衣装:アン・ロス / 音楽:ニコ・ムーリー / 出演:ケイト・ウィンスレットレイフ・ファインズ、デヴィッド・クロス、レナ・オリンブルーノ・ガンツアレクサンドラ・マリア・ララ / 配給:Showgate

2008年アメリカ、ドイツ合作 / 上映時間:2時間4分 / 日本語字幕:戸田奈津子 / PG-12

2009年6月19日日本公開

公式サイト : http://www.aiyomu.com/

TOHOシネマズスカラ座にて初見(2009/06/19)



[粗筋]

 弁護士のマイケル・バーグ(レイフ・ファインズ)は筐底に眠っていたノートを懐かしく、悲しい思いでめくっていた。それは彼が未だ法学部の学生だった頃、ロール教授(ブルーノ・ガンツ)のゼミの一環としてつけていた、ある裁判の記憶である。文面だけをなぞれば無味乾燥な記録でしかないそれは、だがマイケルにとって美しくも切ない日々と密接に結びついていた。

 始まりは1958年だった。まだ15歳の幼い少年であったマイケル(デヴィッド・クロス)は下校途中に気分が悪くなり、折しも降っていた雨を避けるために逃げこんだアパートの玄関先で嘔吐してしまう。そんな彼を、たまたま帰宅したところらしい女性が気遣った。吐いたものを片付けると、家まで送り届けてくれたのである。

 猩紅熱で安静にする必要がある、と診断されたマイケルはそれから3ヶ月床に伏せっていた。ようやく起き上がることが出来るようになると、マイケルはさっそくあのアパートへと赴く。

 しかし、ようやく再会した彼女は、初対面のときの優しさが嘘のように無愛想で素っ気なかった。すぐに出かけるからホールで待っていて、と言われたマイケルが玄関先に佇んでいると、扉の隙間からストッキングを着けるあの女性の姿が見えた。目を釘付けにされたマイケルは、だが女性と視線が絡むと、弾かれたように逃げ出してしまう。

 想い出とは対照的な態度のせいか、それとも成熟した女性の艶めかしい肢体に魅入られてしまったのか、マイケルは翌る日も女性のもとを訪ねてしまう。部屋の前で待っていると、職場の制服らしき格好で戻ってきた彼女は、一瞬驚いた顔をしたあと、マイケルに「地下から石炭をバケツ2杯分運んできて欲しい」と頼む。困惑しながら地下に向かったマイケルは、スコップで石炭を掻き込んでいる最中、雪崩を起こした石炭の粉をかぶってしまった。その格好で女性の部屋に戻ると、彼女は笑い、風呂を使うように勧める。

 奇妙な成り行きに居心地の悪さを覚えながらも、マイケルは何故か口許が綻んでしまう。やがて女性が、タオルを持ってきてくれた。背中でそれを受け取ったマイケルは、相手も全裸であることに気づく。

 ……彼女の名は、ハンナ・シュミッツ(ケイト・ウィンスレット)。幼いマイケルに性の歓びと恋の甘さ、痛みを教えた人。そしてマイケルの人生に、誰よりも大きな影響を及ぼした女性である……

[感想]

 本篇を鑑賞する前に、原作小説を読んだ。評判のいい作品、非常に話題になっている作品、或いは個人的に関心のある作品ではなるべくやっていることなのだが、本篇の場合は読まない方が良かった、といささか後悔している。

 原作が好みに合わなかったわけではない。映画の出来が悪かったわけでもない。原作は非常に深みのある、歴史を題材とした恋愛小説の傑作だったし、映画は原作の地の文でさっと触れるだけだった場面で台詞や表情を巧みに膨らませ、作品世界の奥行きを増している。

 むしろ、完璧に映像化していることが私には拙かった。中盤で明かされるある“秘密”について、反復された描写を吟味し、初めて気づく瞬間こそ本篇の味わいなのだが、先にその“秘密”について知っていると、どうしても序盤における伏線をその都度捜しながら鑑賞する、という行動に出てしまう。2回目であればそういう楽しみ方もあるのだが、初回は出来ればそのじわりと真実が滲み出してくる感覚を味わいたかった。折角の山場で、衝撃を堪能し損なったのが惜しまれるのである。もし原作は読んでいないが、本篇に関心がある、という方がいるなら、読む前に映画を観てしまうことをお薦めしたい。

 しかし、原作にきちんと目を通し、中盤で明かされる“秘密”も、胸の締めつけられる結末も知ったうえで鑑賞しても、本篇はまったく観る側を退屈させない。そもそも取り上げた題材の重み、基本的なプロットの完成度が高いのもあるが、映画としての構成の巧さ、人間感情の機微を丁寧に掬い上げた演出、原作の意図を理解したうえで膨らませたシーンや台詞の数々が、作品の質をいっそう向上させているのだ。

 序盤のマイケルとハンナの、恋愛感情というより剥き出しの欲情で成り立っている、さながら刃の上を歩くような不安定な交流の様子に、数年後に訪れる思いがけない再会と、そこからやがて導かれるハンナの“秘密”の正体、それから更に成長したマイケルとハンナとの、隔てられた中での繊細な対話。非常に理知的で穏やかな語り口、なのに心なしか緊張感を伴った話運びが、観る側の気を逸らさない。『めぐりあう時間たち』でスティーヴン・ダルドリー監督が見せたストーリーテリングの巧さは、本編でも遺憾なく発揮されている。

 とりわけ、それ自体が伏線としても機能する、細やかな感情描写が傑出している。序盤のハンナの謎めいた言動と、大人らしい細やかさに冷酷さが滲む、捉えどころのない姿に翻弄されながら、彼女の虜になっていくマイケル。裁判の最中にはまったく言葉を交わさないが、視線の動きや硬くなった表情に、何かを堪え隠しおおせようとする二人の苦しみ、悲しみが画面から染み出してくるようだ。

 そして、原作のタイトルにも用いられている、“朗読”という行為の扱い方が素晴らしい。原作では署名を掲げ、その多岐に亘る題材がハンナの心情をのちのち仄めかすのみだが、マイケル自身の語り、という手法を離れた映画のほうでは、マイケル自身の想いをも反映する題材として巧妙に活かされている。かつては睦言の代わりに続けていた朗読を、随分のちに再開する際選んだ本、そしてある小説を巡るハンナの取った行動など、あまりにも愛おしく切ない。原作は登場人物の台詞よりもマイケル自身の筆になる地の文で語っている部分が多いだけに、台詞や表情を補強しなければならなかったのだが、本篇はそれを有効に使い、あのあまりにも文芸として優れた作品を、映画として見事に昇華している。

 本篇の筆致は最後までとても穏やかな印象を貫いており、涙にむせぶ、という種類ではないが、遅れてじわじわと込みあげてくる深い感動と、重厚な余韻を齎してくれる。その場限りの安易なお涙頂戴に走ることなく、人間の感情の機微に慎重に分け入った、優れたラヴ・ストーリーである。

 ――観た方ならお解りだろうが、本篇には多面的、重層的な恋愛の表現のみならず、ある歴史をもとに別の感情へもアプローチを行っているのだが、そこには敢えて触れずにおきたい。その特異な切り口や、日本人にも決して無縁ではない内容について言及していくと、作品からどんどん遠のいてしまうので。

関連作品:

めぐりあう時間たち

レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで

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