『ボルト』

『ボルト』

原題:“Bolt” / 監督:バイロン・ハワード、クリス・ウィリアムズ / 脚本:ダン・フォゲルマン、クリス・ウィリアムズ / 製作:クラーク・スペンサー / 製作総指揮:ジョン・ラセター / アート・ディレクション:ポール・フェリックス / 様相&照明ディレクター:アドルフ・ルジンスキー / ストーリー部門ヘッド:ネイサン・ヘッド / アニメーション・スーパーヴァイザー:ダグ・ベネット / 音楽:ジョン・パウエル / 声の出演:ジョン・トラヴォルタマイリー・サイラス、スージーエスマン、マーク・ウォルトンマルコム・マクダウェル、ジェームズ・リプトン、グレッグ・ジャーマン、グレイ・デリスル、ショーン・ドネラン / 日本語吹替版声の出演:佐々木蔵之介白石涼子江角マキコ天野ひろゆき中村秀利東地宏樹山路和弘松岡洋子、根本泰彦、ウド鈴木 / 配給:WALT DISNEY STUDIOS MOTION PICTURES. JAPAN

2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間36分 / 日本語字幕:稲田嵯裕里

2009年8月1日日本公開

公式サイト : http://bolt-movie.jp/

TOHOシネマズ日劇にて初見(2009/08/01) ※3D方式・日本語吹替版にて鑑賞



[粗筋] ※俳優は(英語版/日本語版)の順で表記

 ボルト(ジョン・トラヴォルタ佐々木蔵之介)は、飼い主ペニー(マイリー・サイラス白石涼子)の父親によって改造されたスーパー・ドッグだ。悪の組織を率いるドクター・キャリコ(マルコム・マクダウェル中村秀利)と戦うペニー父子を助けて、日々そのスーパーパワーを駆使している。

 ……というのは、ドラマの中の話。だが製作者たちは、ボルトから迫真の演技を引き出すため、彼に本当にスーパーパワーがあり、それで自分がペニーを守っている、と思いこませていた。撮影が終了すると、スタジオの片隅にあるトレーラーハウスにボルトを閉じ込め、外の世界を見せようとしない。5年前、動物保護施設でボルトを見つけたペニーは、休みの日ぐらい自分の家に連れて行って普通に遊ばせてあげたいのに、スタッフやマネージャーはそれを許さなかった。

 大人気を保っていたドラマ『ボルト』だが、テレビ局からのプレッシャーを受けて、スタッフは物語にひねりを加えることにした。これまでペニーがトラブルに遭遇すると、毎回ボルトの活躍で決着していたが、今回はドクター・キャリコが策を用いて、ペニーを攫うところで終わらせたのだ。

 だがここで予想外のことが起きる。ペニーが攫われるところでカゴに入れられ、トレーラーハウスに閉じ込めそうになったボルトは隙を衝いて飛び出し、搬出される荷物に紛れてスタジオから脱走してしまったのだ。

 自分にスーパーパワーがあると信じこまされただけの、世間知らずの犬・ボルト。彼の本当の冒険が、ここから始まった――

[感想]

 新作をリリースするごとに新しい技術や表現趣向を盛り込み、高い興収を打ち出し、アカデミー賞にその名を連ねるピクサー・スタジオ2008年の最新作である。同年に『WALL・E/ウォーリー』という桁外れの傑作が出てしまったために賞レースではあまり注目されなかったが、本作もまたゴールデン・グローブ賞で主題歌部門にノミネートされるなど、決して評価は低くない。

 基本的にピクサーが扱うのは人間以外の生き物であることが多い。往年に較べれば遥かに技術は向上したとは言え、人間をごく自然に表現するのは難しく、また安易に人間を題材にしたところで、これなら実写で作った方が早い、と思われるケースを考慮してのことだろう。そしてこの手法は成功して、一定のスタイルを確立している。作を追うごとに光沢や生き物の毛並みの表現を洗練させており、その完成度が未だに少しずつ増していることも、評価を落とすことがない一因であろう。

 だがピクサー作品最大の美点は、フィクションゆえの強引な設定を施しながらも、ストーリーに子供騙しや無理が少ないことである。『ファインディング・ニモ』なら、本来狭い地域で生息するカクレクマノミが遥か遠出しサメが生き物を食わないよう努力するといった無茶をさせているが、提示した設定を裏切るような話運びはしないし、それぞれの生態を活かしたエピソードを用意している。『WALL・E/ウォーリー』の場合、ただの清掃用ロボットにあそこまで繊細な意思や感情を付与する必要があるのか、という疑問は生じるが、無機物が仕草で示す豊かな感情と、そこから生まれるドラマ自体が作品の軸となっており、ここを否定すると根本を覆すことになってしまう。如何にも空想的な大前提を用意しながら、それを裏切ることなく、一方で現実に添った描写を採り入れて、物語に説得力を齎す。

 この手法は本篇でも一貫して用いられている。主演する犬のリアルな感情を引き出すために、超常的な力が備わっているかのように見せかける――とは普通絶対に考えられない手段だが、実際に描かれるボルトの感情が、それを正当化している。犬のごく当たり前な姿をまったく知らないほど徹底して信じこまされていたからこそ、自分の能力も、世界における自分の価値も嘘だったと知ったとき、衝撃を受ける。そして、犬として生きる楽しみ、喜びを知ったあとで、改めて愛する“人間”との絆を確かめようとする。大前提が荒唐無稽でも、そこを徹底的に信じていなくては不可能なドラマがきっちり構築されているのだ。ある人間の虚構の人生を用意し、それを当人に信じこませて観察する、という映画は実写で既に存在するが、基本的には意思の疎通が出来ない動物を中心に据えているので、観ていてすぐに類型と感じることもないし、観終わって気づいたあとも別物と思えるはずだ。

 加えて、丁寧に伏線を考慮したシナリオの完成度も、その辺の実写映画を凌駕している。途中からボルトの旅に加わる野良猫のミトンズ(スージーエスマン/江角マキコ)の性格も、テレビのヒーローであったボルトを崇拝するライノ(マーク・ウォルトン天野ひろゆき)の個性も、ひいてはボルトの“必殺技”でさえ、物語の中ですべて活用されている。パーツがぴったりと嵌っていくこの爽快感は、よく出来た物語ならではのものだ。

 そうして作品として破綻なく築きあげる一方で、遊びも忘れていない。こちらも作中でちゃんと重要な役割を演じる鳥達の何羽かは、ピクサー作品を知っている者ならニヤリとするような台詞を不意に吐いたりするし、存在感という意味ではボルトさえ凌駕する勢いのライノが中盤、BGMに合わせて歌ったりと、細かなくすぐりも鏤められている。きっと観るたびに何かしらの発見があるだろう。

 基本が正統派のロード・ストーリーであるため、全体像を見渡すと突き抜けた新味は感じにくく、そうしたところからSFとしても出色の完成度を示した『WALL・E/ウォーリー』と比較して一歩劣るような印象を受けてしまうが、本篇もまた優秀な作品である。既存のストーリーラインのいいところを拾いながら冒険的な設定も組み込み、それでちゃんと説得力のある話を作るなんて、決して簡単には出来ないのだ。

 基本的に私は、なるべく製作者が本来意図した表現をそのまま受け止めたい、と思っているので、たとえ自分が解らない言語であっても、海外の映画はオリジナルの音声で鑑賞するようにしている。言っている意味が正確に汲み取れなくてもニュアンスは伝わるし、ある程度聞き取れる言語は字幕で補完する形にすればいい。

 だが、ピクサー作品は比較的、字幕よりも吹替で鑑賞する場合が多い。毎回動機は異なっていて、たとえば『ファインディング・ニモ』は主役を木梨憲武が吹き替えていたことに興味を抱いたからであったし、『WALL・E/ウォーリー』の場合はそもそも台詞が少ないことは予想が出来たのでさほど気に留めていなかった――こと『WALL・E/ウォーリー』は吹替版だと、背景にある文字もなるべく日本語に置き換えていたほどで、観た甲斐があると感じたほどだった。

 本篇の場合、英語版ではボルトの声を名優ジョン・トラヴォルタが担当しており、そちらで鑑賞したいのもやまやまだったが、ふたつの理由から吹替版を選んだ。

 ひとつは、この作品が多くの劇場において3D上映方式を用いており、このシステムでは基本的に吹替版しか扱っていなかったからだ。3D方式ではタイトルロゴなども浮いて見えるように工夫されているが、そのために字幕を組み込む場所がない。

 しかし、このことだけなら、私はたぶん僅かな字幕版の上映のほうを選んで鑑賞していた。強烈な近視の私は普段から眼鏡を着用しており、3D方式に対応した眼鏡を上からかけると位置が安定せず、観ていて疲れることが多い。今回に限って言えばさほど疲れはしなかったが、それでも苦手意識は禁じ得ない。

 だから本篇の場合、より重要だったのはもうひとつの点である。――吹替版の声優のひとりに、白石涼子の名前があったからだ。

 近年、テレビシリーズものの劇場版や、はじめからマニアをターゲットとしている作品を除いて、劇場用アニメの主要キャストは俳優やタレントで占められがちだ。実際のところ本篇も、ボルト役は近年ドラマや映画で観ることの非常に多い佐々木蔵之介が担当、仲間たちも江角マキコ天野ひろゆきと、本職の声優ではない人々が占めている。この作品についてはいずれも嵌っていたと思うので個人的に文句はないのだが、毎回そう納得できるとは限らない。アニメという表現手法に思い入れのある人ほど、配役に本業以外の名前があるというだけで拒絶反応を示しがちだ。

 故に、中心人物のひとりに過ぎないとは言い条、最近のアニメーションで声優として頻繁にその名の上がる人物が加わっているのが嬉しく、実地に見届けたかったのだ。

 ……まあ、小理屈抜きにぶっちゃけてしまうと、最近彼女の声が普通にお気に入りだからだ、というのが大きかったりするのだが。だいぶ無機質な印象が消えてきたとは言え、まだ違和感の残る3Dによる人間のキャラクターが、彼女によって声を与えられたことで魅力を存分に増していて、その意味でも満足の出来る作品でありました。

2009/8/2追記

 上の感想にて本作をピクサー作品と記していますが、メールにて「ピクサーではなくディズニー・アニメーションではないか」という御指摘を頂戴しました。

 確認したところ、確かに本篇は公式には“ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ”の作品として発表されています。

 ただ、ご存知の方も多いでしょうが、ピクサーはしばらく前にディズニーに正式に組み込まれ、ピクサーのブレーン的存在であったジョン・ラセターは、現在はピクサーとディズニー・アニメーション・スタジオの双方で製作総指揮に携わっています。制作ラインは異なっていても、理念は少しずつ寄り添っていく方向で進んでいるようです。事実本篇も製作総指揮としてジョン・ラセターが名前を連ね、創作理念自体がピクサー作品に近接していることは感想に記した通りです。

 また本篇をご覧になれば解りますが、冒頭では“ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ”とともに“ピクサー・スタジオ”のロゴも表示されます。こうしたことが重なって、完全にピクサー・スタジオ作品と決めつけた上で執筆してしまいました。

 諸々の事情を考慮すると、やはり方向性としてはピクサー作品に連ねたほうが語りやすい、とは思うのですが、実際にはピクサーではなくウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの作品である、というのは間違いありません。ここにお詫びして、訂正致します。

 ……きっと格別な知識なしに観た場合、似たような誤解をする人は少なくないと思われますが、覚えておくと色々興味深いかも知れません。なお、公式にピクサー・スタジオの次回作となるのは、日本では2009年12月5日公開予定の『カールじいさんの空飛ぶ家』です。

関連作品:

ファインディング・ニモ

カーズ

WALL・E/ウォーリー

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