『ホッタラケの島 遥と魔法の鏡』

『ホッタラケの島 遥と魔法の鏡』

監督:佐藤信介 / 脚本:安達寛高佐藤信介 / 製作:亀山千広石川光久 / エグゼクティヴ・プロデューサー:石原隆、石川みちる、高田佳夫、尾越浩文 / プロデューサー:関口大輔、森下勝司 / 演出:塩屋直義 / 絵コンテ:塩屋直義、Dwight Hwang / キャラクターデザイン:石森連、ヒラタリョウ / 遥デザインスーパーヴァイザー:黄瀬和哉 / コンセプトデザイン:宮沢康紀 / 美術設定:青木薫、加藤浩 / CG監督:長崎高士 / 音楽:上田禎 / 主題歌:スピッツ君は太陽』(Universal Music) / 声の出演:綾瀬はるか沢城みゆき戸田菜穂大森南朋谷村美月家弓家正、秋元環季、うえだゆうじ甲斐田裕子、平垣秀成 / 配給:東宝

2009年日本作品 / 上映時間:1時間38分

2009年8月22日日本公開

公式サイト : http://hottarake.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/08/25)



[粗筋]

 お供え物をすると、失せ物を見つけてくれる祠。でも実は、狐たちが人間たちのホッタラケにしたものをこっそり集めていたのです――

 母(戸田菜穂)を亡くして数年。女子高生となった遥(綾瀬はるか)には気懸かりなことがあった。母から貰い、大切にしていたはずの手鏡が、いつの間にか行方不明になっていたのである。母の死後、父(大森南朋)は哀しい記憶から逃れるように引っ越しており、そのときの荷物に取り紛れたのかも知れない。

 男やもめで遥を育てた父だが、最近は仕事が忙しく、なかなか親子水入らずの時間が取れずにいる。すっかりふて腐れた遥は“家出”と称して、祖母の暮らす家に立ち寄ることが増えていた。

 その日も、いちどは早く帰れる、と言っておきながら、結局用事が出来たとかで予定をキャンセルしてしまった父を電話越しに罵ったあと、何となく母の実家の近くにある神社に立ち寄っていた。道の奥には、母が読んでくれた絵本に出てきた、ホッタラケを返してくれる祠に似たものが建っている。遥は絵本にあったように卵をお供えし、「手鏡を見つけてください」と祈る。

 思案に暮れて境内でうたた寝をした遥は、だがそこで異様なものを目にした。地面に落ちていたゴム動力の飛行機の玩具が、見えない手に引かれるように動きはじめたのだ。拾ったのは、狐の面を被った謎の人物。祠のほうに向かっていったその人物を追いかけると、何故か祠にお供えしたはずの卵がなく、更に奥にある泉に殻だけが浮いていた。何気なく拾おうとした遥の身体は、一瞬で泉の中に吸い込まれていった――

[感想]

 近年、3DCGによるアニメーションが増えている。アメリカではピクサー・スタジオとドリームワークスが気を吐き、アカデミー賞で長篇アニメーション部門が創設されてからは毎年のように競い合っているが、日本でも『APPLESEED』『ベクシル 2007 日本鎖国』のような作品が制作されるようになった。

 ただ、従来の2Dでは充分に独自性を保ち海外でも通用する作品の多い日本のアニメーションも、3Dの分野ではいまいち振るっていない印象がある。前述の2作からしてそうだが、ここまでリアルに描こうとするなら実写のほうがましなのでは? という疑問が拭いきれない作品が多いのだ。人物だけ実在の俳優を使い、背景や実在しない生物のデザインをCGに委ねたほうがよほどましなのでは、と首を傾げたくなることがままある――実際にそういう方法を選択しても、今度は映像合成の技術が問題になったり、そもそも物語が破綻していたりすることがあったりするのだが、そのあたりは脇に置いておこう。

 また、どれほど綺麗に描いても、昨今の高機能なゲーム機の映像に慣れていると、わざわざ劇場でかけるにはチャチだ、という印象を抱くことも頻繁である。前述の『APPLESEED』が好例で、モーションキャプチャーを用いているため人物の動作は綺麗なのだが、背景の作り込みが浅く、ワンシーンワンシーンを独立して作っているはずなのに、何故か安手のレースゲームの背景をそのまま流用しただけのように見えてしまう。安易にリアリティを求めると結局実写のほうがまし、という結論になってしまい、結局その時点での技術力を検証する材料程度の意味合いしか持たない作品になりがちなのだ。なまじ技術面では決してアメリカなどに劣らない、という自負がある(現に、ハリウッドの3Dアニメーションや実写大作では、日本人スタッフの名前をけっこう見出すことが出来る)せいなのか、実写でも2Dアニメーションでもなく3Dアニメーションという手法を用いる、という必然性にまで踏み込んでいない。魚や動物、車までも擬人化したり、と3DCGならではの描き方を模索し続けているピクサーやドリームワークスにはどうしても水を開けられている格好だ。

 前置きが長引いたが、そういう見地からすると、本篇は日本の作品では珍しく、3DCGという表現手法を用いた意義をきちんと定めた上で制作されている点で評価出来る。

 こと、現実世界での描写に顕著だが、本篇はキャラクターこそ3DCGらしいのっぺりとした造形になっているものの、背景は2Dに近い、細密な線で描かれている。単純に3Dで描画すると無機質に感じられ、日本の田舎町の情景や自然の光景にある暖かみが損なわれてしまいがちだが、敢えて2D同様のタッチを再現することで、3DCG映画にはあまり見られなかった風情を表現している。光線の加減をうまく調整して、その上に如何にも3Dアニメーション的なデザインの人物を違和感なく乗せており、こういうところで技術力もきちんと活かしている。

 それに対して、異世界の美術は、現実に存在するものを本来あり得ない形で用いているせいもあるのだろう、人工的な印象が強いが、キャラクターが現実世界と同じタッチで描かれているので、きちんと地続きに感じられる。衣服の質感が充分に表現できていなかったり、そもそもいまいち可愛らしさが足りない、という嫌味もあるが、少なくとも3DCGで描いただけの意義はある作りになっている。この一点だけでも、本篇は従来の日本産3DCG作品と一線を画していると言えよう。

 ストーリーそのものは至ってシンプルな異世界冒険譚に仕上がっており、ドラマの組み立て、終盤の盛り上げ方も巧みだ。題名に登場する手鏡の重要性や、ある人物の衣裳の意味など、説明しなくてもいい点も多い一方で、どうしてテオが仲間たちから馬鹿にされているのか、何故異世界の住人たちがああも人間を忌避しているのか、など説明する必要がありそうな点もかなり無視されてしまっているのが気になるが、説明されていない部分にきちんと柱が設けられている、と思える程度にはきっちり組み立てられている。

 まだまだ発展途上にあることも否めないが、きちんと「3DCGで映画を作るということ」を考えて、一定の成果を収めた作品である。

 ――という具合に、これまでに鑑賞した3DCGの映画と並べていくと評価できる作品なのだが、如何せん、キャラクターを主体で見せるアニメーション作品として純粋に評価すると、やはり顔以外はのっぺりとした描画の人間たち、いまいち動物っぽさの感じられない異世界の住人たち、いずれもいまひとつ魅力に足りないのは問題だろう。台詞と口の動きをきっちり合わせた技術力や、現実世界の住人である遥を演じた綾瀬はるかの健闘、異世界の住人たちを演じたプロの声優の巧さなど、認めるべきところも多いだけに、3DCGのデザインがいまいち洗練されていないのが勿体ない。本篇を観る限り、技術のレベルは決して低くないので、ここをクリアできれば、3DCGアニメーションにおいても世界に通用する作品がリリース出来るのでは、と思うのだが……。

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