原題:“Doomsday” / 監督・脚本:ニール・マーシャル / 製作:スティーヴン・ポール、ベネディクト・カーヴァー / 製作総指揮:ピーター・マカリーズ、トレヴァー・メイシー、マーク・D・エヴァンス、ジェフ・アッバリー、ジュリア・ブラックマン / 撮影監督:サム・マッカーディ / 視覚効果スーパーヴァイザー:ハル・カウゼンズ / プロダクション・デザイナー:サイモン・ボウルズ / 編集:アンドリュー・マックリッチー / 衣装:ジョン・ノースター / 音楽:タイラー・ベイツ / 出演:ローナ・ミトラ、マルコム・マクダウェル、ボブ・ホスキンス、アレクサンダー・シディグ、エイドリアン・レスター、デヴィッド・オハラ、ダーレン・モーフィット、ノラ=ジェーン・ヌーン、リック・ウォーデン、レスリー・シンプソン、クリス・ロブソン、ショーン・パートウィー、エマ・クレズビー、クレイグ・コンウェイ、リー=アン・リーベンバーグ、マイアンナ・バリング、エマ・クレズビー / クリスタル・スカイ・ピクチャーズ製作 / 配給:Presidio
2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間50分 / 日本語字幕:勝又勝利 / R-15+
2009年9月19日日本公開
公式サイト : http://www.doomsday.jp/
渋谷東急にて初見(2009/09/19)
[粗筋]
2008年、スコットランドは事実上、世界地図からその名を抹消された。最大の都市グラスゴーで発生した新種のウイルスが瞬く間に蔓延し、救済が絶望視されたためである。イギリス政府はスコットランドの周囲に高く厚い壁を築き、扉を溶接して封印、何人たりとて立ち入ることも抜け出すことも出来ないようにしたのだ。
――それから四半世紀、世界はスコットランドの存在を意図的に無視し続けたが、2つの兆候のために、政府は着目せざるを得なくなる。
ひとつは、ロンドンで“死のウイルス”がふたたび確認されたこと。水路を経由して漏出したと見られる“過去の亡霊”が首都機能を蝕むのは、時間の問題と思われた。
もうひとつの理由のために、特殊部隊の責任者ネルソン(ボブ・ホスキンス)は、配下の特殊工作員エデン・シンクレア(ローナ・ミトラ)を急遽呼び寄せる。ネルソンが彼女に指示したのは、封鎖されたスコットランドに潜入する部隊を指揮させるため、であった。
実は隔離後も政府は軍事衛星を使って、スコットランドの監視を続けていた。時間が経つにつれ人の姿が消え、荒廃していく様を記録し続けた衛星写真は、だが3年前から稀に人の姿を捉えていた――ウイルスが蔓延し死滅したはずの街に、まだ人が生きていたのである。
それでもスコットランドを無視し続けたイギリス政府がこの期に及んで人を送りこむ決意を固めたのは、スコットランド内にひとりの研究者が閉じ込められていたからだった。彼――ケイン博士(マルコム・マクダウェル)はギリギリまで内部で研究を続け、封鎖後も境界間際の哨戒部隊と交信を行っていたが、やがて電力の備蓄が少なくなると共に途絶、死亡したものと思われていた。だが、生存者がいるということは、博士の手によって治療薬が開発された可能性がある。
かくて、エデン・シンクレアを隊長とする部隊が、2台の装甲車を駆使して、25年振りにスコットランドの地に足を踏み入れた。そしてそこで彼らは、想像を絶する世界を目撃する……
[感想]
ごくごくざっくりと要約すれば、「炊飯器の中に怪しい菌が繁殖してたので、蓋を閉めて放置、25年後に変な気配があったので恐る恐る開けてみたら、中で『北斗の拳』が始まってました」という話、である。
“死のウイルス”と呼ぶものを題材とした映画は数多くあるし、結果として荒廃した社会を舞台とした作品も、本気になれば枚挙に暇がない。一時期に較べると球数不足と感じられる近年でさえ、ポール・W・S・アンダーソンの『バイオハザード』シリーズ、『28日後…』『28週後…』の連作といったヒット作品があるし、極論すればジョージ・A・ロメロ監督を代表とするゾンビ映画の大半が同様の趣向で成り立っているとも言える。
だが本篇は、そうしたものとかなり趣が違っている。ウイルスに翻弄された世界、という表現の仕方は一緒でも、その繁栄の果てに生まれたものがまるで別物なのだ。最初にかなり乱暴に表現してしまったが、内部に生まれたのは、まさに純粋な弱肉強食の世界である。序盤の成り行きがありがちなので、エデンたちが潜入した直後の出来事について高を括って眺めていると、度胆を抜かれるに違いない。隈取りのような奇妙なメイクを施した生存者たち、彼らのコミュニティが作りあげた“祭り”のヴィジュアルは、決して独創的ではないが、背景の組み立てに芯が通っているため、強烈なインパクトを齎す。
惜しむらくは、中盤以降である。ウイルスの蔓延したスコットランドをまるごと封鎖したとき、本篇の価値観どおりに事態が推移すれば、ああした状況になっても決して不自然ではないのだが、序盤と比較するとあさってに話が進んでいるように思えて、困惑を禁じ得ない。説明こそ最小限に絞っているが、きちんと背景は組み立てられているため、検証すれば納得は出来るし直感的にも理解は出来るはずだが、それでも違和感がつきまとう。
中盤が過ぎて、クライマックスでは序盤のモチーフを用いた見せ場になるのだが、ここで繰り広げられるのがカーチェイス、というのもいささか唐突な印象を受けるだろう。ちゃんと必要なアイテムを提示する時機も計算されていて、構成には天才的なものを匂わせているが、少し盛り込みすぎているきらいがある。
結末にはなかなかの爽快感も用意されているのだが、序盤で観客が漠然と期待する衝撃とは異なる方向から齎されるものではないので、充分なカタルシスに繋がらない。作品全体の意図を考慮すると頷ける着地点であり、全体の方向性からすれば間違っていないのに、なまじ個々のモチーフが完成されているために、歪な印象を与えている。面白いし締め括りも爽快なのに何故か釈然としない、という複雑な想いを抱く人は多いはずだ。
しかし、観ているあいだまったくと言っていいほど飽きを感じず、終始興奮を味わわせてくれることは疑いない。それぞれは定番のモチーフながら、台詞や表情の工夫によって巧みに観客の興味を惹きつける語り口の絶妙さ。あさってに進んでいる、と感じさせつつも、だからこそ予測不可能な展開は否応なしに引きずられてしまう。『ドッグ・ソルジャー』で見せつけた圧倒的な牽引力を、本篇でも発揮している。
特に出色なのが、ヒロインであるエデン・シンクレアの格好良さである。陰惨な過去と、直前に経験した辛い出来事を踏まえて影のある人物として描き、それを“戦士”としての圧倒的な強さの骨格として用いている。生身なのにほとんど負ける気がせず、アクションシーンでの問答無用にも等しい強さは観ていて痛快だ。近年、ミラ・ジョヴォヴィッチが『バイオハザード』シリーズで、ケイト・ベッキンセールが『アンダーワールド』シリーズなどで魅せる女戦士の様式美を踏襲しているが、凛々しさも美しさも前述の2人にまったく引けをとっていない。
イメージのぐらつき、一部の美味しそうな伏線やアイテムを充分に活かしきっていないが故のカタルシスの甘さもあって、『ドッグ・ソルジャー』や『ディセント』と並べると“傑作”と呼びにくいのが歯痒いところだが、監督ニール・マーシャルの作家性と稀有な才能は見事に刻みこまれているし、観ていて面白いことだけは確かな1本である。少なくとも前半、“祭り”のシークエンスあたりまでは大傑作だ、と断言してしまってもいいと思う。
関連作品:
『ディセント』
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