原作・監督・キャラクターデザイン:合田経郎 / アニメーター:峰岸裕和、大向とき子 / プロデューサー:松本紀子 / 音楽:aikamachi+nagie / 配給:dwarf
2009年日本作品 / 上映時間:20分(『こまねこ −はじめのいっぽ−』、『どーものこそだて』他と併映、合計時間:40分)
2009年11月7日日本公開
公式サイト : http://www.komaneko.com/
ライズXにて初見(2009/11/14)
[粗筋]
訳あって離れて暮らしているパパとママが、クリスマス・イヴには帰ってくる。こまちゃんはパパとママのぬいぐるみを作って、その日を楽しみにしていた。
けれどイヴを間近に控えた日、少し早いプレゼントがこまちゃんの元に届いた。中に入っていたのは女の子のぬいぐるみと、イヴまでには帰れない、というメッセージ。
楽しみにしていたから、こまちゃんのショックはとても大きかった。ぬいぐるみを投げ捨てて、部屋に閉じこもってしまう。
そんな彼女を、友達のラジボーは励まし、ある提案をした。翌朝、ラジボーお手製のスノーボートに乗って、こまちゃんは雪山を駆け抜ける。パパとママに逢うために。
[感想]
関節を入れたぬいぐるみを少しずつ動かして撮影、それを連続させることで動画にする、いわゆる“コマ撮り”のやり方で作られた映画の第2作にあたる。1作目『こまねこ −はじのいっぽ−』は僅か5分、新作である本篇も20分と短篇の尺であるため、劇場公開に際しては、同じスタッフによるシリーズ作品『どーもくん』の一部と併せて上映された。本稿では『こまねこ』新作に絞って触れてみたい。
このシリーズの魅力はキャラクターデザインの愛らしさもさることながら、きちんと作ったぬいぐるみを撮影しているが故の質感が画面から伝わってくることだ。絵によるアニメーションとも、一般の実写作品とも異なる柔らかさや暖かみが感じられる映像は、それだけで心地好い。
映像のトーンが、空想的なストーリーをより正当化している、という一面もあるが、但しこの点については、本篇よりも先行する『−はじめのいっぽ−』のほうがより徹底していた、と言えるかも知れない。というのも、本篇ではごくシンプルに、こまねこの短い冒険を追っているだけだが、前作では主人公が自作のぬいぐるみでコマ撮り映画を作っている姿をコマ撮り映画で描く、という入れ子のようなシチュエーションを用意したうえで、その枠にうまくファンタジーを填め込んでいる。僅か5分なのに、すべてがきっちりと噛み合った組み立てに感動すら覚えるほどだった前作と比べると、いささか素直に“子供向け”にしてしまったきらいは否めない。
ただその分、前作で確立した約束を敷衍して、こまねこが作ったぬいぐるみが主要登場人物たちの見ていないところで動き出すのは無論、雪だるまが旅に出るふたりを見送るようにポーズを変えたり、作品としてのクライマックスにも応用して、雰囲気的にもストーリー的にも効果的に使っている。特にクライマックスのある場面は、ぬいぐるみが動く、というのとは別の次元であり得ない現象だが、それが許せるのは確立された雰囲気あってこそのものだろう。
一方で結末は、一連の出来事を踏まえればごく自然な成り行きである一方で、本来の目的自体は果たせていない――代償は得られたけれど――あたりにもう少し裏付けが欲しかったように思うが、20分という尺の中で綺麗に収めているので、余韻は快い。敢えてエンドロールの背景でフォローする形にし、そのあいだの行動や成り行きを観る側の想像に委ねたのも奏功している。
基本的にシンプルなストーリーなのだが、それが決して不満にならない、それどころかかなりの満足感が味わえるのは、登場人物たちが私たちの理解できる言葉で話していないことも理由に挙げられる。みな動物なので、主人公のこまねこは“にゃーにゃにゃ、にゃにゃにゃーにゃ”といった喋り方をする。だから観る側は、いま何を話しているのか、それがどういう展開を導いているのかを、動きから推測し補いながら鑑賞することになるのだが、それ故に飽きることもなく、いやが上にも物語を隅々まで味わうことに繋がる。物語がシンプルなので、「あれは何の意味があったのか」と途中で立ち止まることにもならず、展開がもたらす切なさや喜び、暖かさを充分に噛みしめられる。
基本子供に向けて作られているが、その丁寧さや暖かさは、大人の鑑賞にも堪えられるレベルである。優しい気分になりたいときに効くはずだ。
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