原題:“Coogan’s Bluff” / 原作:ハーマン・ミラー / 監督&製作:ドン・シーゲル / 脚本:ハーマン・ミラー、ディーン・リーズナー、ハワード・ロッドマン / 共同製作:ジェニングス・ラング / 製作総指揮:リチャード・E・ライオンズ / 撮影監督:バッド・サッカリー / 美術:アレクサンダー・ゴリツェン、ロバート・C・マッキチャン / 編集:サム・E・ワックスマン / 衣装:ヘレン・コルヴィグ / 音楽:ラロ・シフリン / 出演:クリント・イーストウッド、リー・J・コブ、スーザン・クラーク、ドン・ストラウド、ベティ・フィールド、テイシャ・スターリング、トム・テューリー、メロディ・ジョンソン、ジェームズ・エドワーズ、シーモア・カッセル / マルパソ・カンパニー製作 / 配給:UNI / 映像ソフト発売元:ユニバーサル・エンターテインメント・ジャパン
1968年アメリカ作品 / 上映時間:1時間34分 / 日本語字幕:?
1969年2月日本公開
2009年5月9日DVD日本盤発売 [DVD Video:amazon]
DVDにて初見(2010/10/18)
[粗筋]
アリゾナ州で保安官補を務めるクーガン(クリント・イーストウッド)は、腕利きだが独断専行が目立ち、保安官の頭痛の種になっている。妻を殺した男が逃走した際、警戒を命じられたのに数日を費やして逮捕してきてしまった彼に、保安官はあえて特別な任務を命じて厄介払いを試みる。
クーガンが使わされたのは、マンハッタン――アリゾナで犯行を働いたのち、生地のマンハッタンで逮捕されたリンガーマン(ドン・ストラウド)という男を護送するのである。
やむなく赴いたクーガンだったが、アリゾナの気風に慣れた彼には、マンハッタンのやり方はどうしても馴染まなかった。リンガーマンは精神障害の恐れあり、として病院に収容されており、退院の許可が下りなければ引き渡しは出来ない、と担当のマッケロイ警部補(リー・J・コブ)に言われ、傍若無人な振る舞いをする男から親切のつもりで助けた心理学者のジュリー(スーザン・クラーク)からは逆に不作法を咎められ、そのいでたちから行く先々で“テキサス男”呼ばわりされ……。
翌る日になってもリンガーマン引き渡しの目処が立たず、業を煮やしたクーガンは、既に裁判所の認可が下りたふうに装って、無理矢理リンガーマンを退院させ空港に連れていく。だが、そこで待ち伏せに遭い、リンガーマンは仲間によって連れ去られてしまった。
病院でマッケロイ警部補は、「テキサスで保安官でも、ここでは一市民だ」とクーガンを叱責し、大人しくしているように命じる。しかしクーガンに、いまさら空手で帰るつもりなど毛頭無かった――
[感想]
どうもクリント・イーストウッドという人物は、早い段階から己の望む映画作りを実現させるために、ある程度明白な意志をもって出演作を選んでいた節がある。それは、『ローハイド』でスターの座に就きながら、契約の問題で映画に主演できなかった状況を、あえてイタリアでの西部劇映画に参加することで打破した経験がそうさせたのかも知れない。念願のハリウッド初主演作『奴らを高く吊るせ!』で、自分の意志に従い作品を選び、制作費用を捻出する環境を整えていったイーストウッドが次に選んだ主演作が、さながら“カウボーイ都会へ行く”と表現できるような内容であったのが、なかなか興味深い。
恐らくイーストウッドは、西部劇というジャンルに感謝と愛情とを抱きながら、いずれ先細りになっていくことを危惧していたのではないか。彼にとって現代劇や、アクション、暴力が主役ではない物語に移行していくことは必然であったが、そのまま中継点もなく飛び移ることを観客が良しとしてくれないことも想定していたのだろう。前作『奴らを高く吊るせ!』と本篇は、段階的にそれを許容させるための方策であったように映る。それまでは名無し、過去も垣間見せないアウトローに徹していた彼が前作で保安官となり、本篇で更に現代に進出する。いきなりこの次の戦争ドラマ『荒鷲の要塞』に飛び移るよりも、順に追っていた観客には受け入れやすかっただろうし、そういう配慮があったのだろう。
だから、とは言い切れないが、ドラマとしての出来は二の次にされていたように思われる内容なのだ。西部劇のヒーローが、ほぼそのままの風体で、ただし丸腰で乗り込む、というシチュエーションを描くことが重視され、たとえば逃亡犯を巡る駆け引きで緻密な策を弄するわけではないし、女性達とのドラマで哀愁や深みを描こうとするよりは、男尊女卑的な思想のもとでひたすらタフガイに徹する姿を披露しているだけ、といった趣だ。スターとしての貫禄や存在感は充分に感じられるが、それを物語と密接に絡めようとはしていない。『荒野の用心棒』の精緻な企みは遙かに遠く、『奴らを高く吊るせ!』のような主題の追求という部分にも到達していない。
しかしその一方で、都会に出たカウボーイを潔く道化的に演じきり、これまでに近い人物像から異なった魅力を引き出すことに成功しているのも確かだ。従来も少しずつユーモアは示していたが、本篇では随所でひねりの利いた台詞を繰り出し、従来のタフガイ像と往年の映画スターの香気を織り交ぜた魅力を示している。作品を順に追ってきた目には驚きを与えるが、決して不自然ではない。
また、ドン・シーゲル監督のロングショットを多用した特徴的だか洒落たカメラワークも印象的で、決して突き抜けたところのない物語に独特の色気を添えている。とりわけ、冒頭のプロローグ的な捕物と、クライマックスを対にした演出の数々は、スリリングながら非常に気が利いている。
名作とは言い難いが、クリント・イーストウッドという俳優のしたたかさと、スタートしての魅力を存分に刻みこんだ、忘れがたい印象を残す作品である。
関連作品:
『荒野の用心棒』
『夕陽のガンマン』
『許されざる者』
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