『アジャストメント』

『アジャストメント』

原題:“The Adjustment Bureau” / 原作:フィリップ・K・ディック(ハヤカワ文庫SF・刊) / 監督&脚本:ジョージ・ノルフィ / 製作:マイケル・ハケット、ジョージ・ノルフィ、ビル・カラッロ、クリス・ムーア / 製作総指揮:アイサ・ディック・ハケット、ジョナサン・ゴードン / 撮影監督:ジョン・トール,ASC / プロダクション・デザイナー:ケヴィン・トンプソン / 編集:ジェイ・ラビノウィッツ / 衣装:カシア・ワリッカ=メイモン / 視覚効果監修:マーク・ラッセル / キャスティング:アマンダ・マッキー、キャシー・サンドリッチ・ゲルフォンド / 音楽:トーマス・ニューマン / 出演:マット・デイモンエミリー・ブラントアンソニー・マッキージョン・スラッテリーマイケル・ケリーテレンス・スタンプ / ギャンビット・ピクチャーズ製作 / 配給:東宝東和

2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間46分 / 日本語字幕:栗原とみ子

2011年5月27日日本公開

公式サイト : http://adjustment-movie.jp/

TOHOシネマズ日劇にて初見(2011/06/05)



[粗筋]

 デヴィッド・ノリス(マット・デイモン)にとってその日は、災いと幸いが同時に訪れたようなものだった。

 幼くして家族を失い、貧しく育ったデヴィッドは、荒れた青春時代を経て信念に目醒め、政治家を志した。史上最年少の下院議員として8年を過ごすと、満を持して上院議員に立候補したが、懇親会で泥酔のあまり下半身を露出するという乱行に及び、有利に進めていた選挙戦は一気に劣勢となる。

 開票日、敗北のスピーチを準備するため、ホテルのトイレに籠もっていたデヴィッドは、結婚式に潜入して逃げこんできたひとりの女性と遭遇する。デヴィッドの独り言を聞いてしまった彼女に率直な言葉で、しかし心から励まされたデヴィッドは、彼女に運命的なものを感じた。スピーチを急がされ、連絡先はおろか名前さえ聞かずに別れたが、デヴィッドの心には彼女の姿が確実に刻まれた。

 それから3ヶ月後。幼馴染みであり、選挙戦において片腕として手伝ってくれたチャーリー(マイケル・ケリー)の口利きで、次の選挙までしばらく職に就くことになったデヴィッドは、初めて出勤のために乗ったバスで、トイレの彼女と再会した。彼女――エリース(エミリー・ブラント)もまたデヴィッドのことを気に懸けていて、ふたりは改めて意気投合する。

 エリースの電話番号をメモした紙を財布に大切にしまい込み、友人にこの喜ぶべき出来事を告げるべく足取りも軽やかに会議室に入ったデヴィッドの目に飛び込んできたのは――異様な光景であった。

 チャーリーをはじめ、同僚たちが凍りついたような状態になっているその周囲を、何やら忙しく立ち回る、特殊装備の男達。デヴィッドの姿に気づいた連中が目を見張ると、デヴィッドは衝動的に身を翻し、逃走した――

[感想]

 生前は不遇の作家だったフィリップ・K・ディックだが、今やハリウッドにとって特に重要な作家のひとりになった感がある。最近でも『NEXT ネクスト』に『スキャナー・ダークリー』などがあり、今後も『トータル・リコール』の再映画化など、企画が相次いでいるようだ。

 その一方で、物故しているせいもあるのか、原作のおおまかなアイディア、ごく一部の設定だけを流用しただけで、ほとんど別物になってしまうことも珍しくない。前述した『NEXT』がその代表格であるし、生憎私は原作を読んでいないのだが、本篇もかなり別物になっているという。

 それは、この映画だけを観ても想像に難くない。ディック作品と呼ぶには、どうも内容が感情的なのだ。

 序盤の異様さ、そこから漂う虚無的な空気はただごとではない。高い人気を博しながらスキャンダルで一気に票を失う上院議員候補、その彼の気持ちを浮揚させる出逢いの背後で蠢く、画一的な服装の男達。その謎めいた行動が頂点に達するひと幕のインパクトは、現実を揺るがす奇想で鳴らしたフィリップ・K・ディックならではの世界観だ。

 そんな中で主人公ディック・ノリスを駆り立てるのが、エリースという女性に対する恋愛感情である。彼女に対して感じた“運命的なもの”が、粗筋で描いた出来事のあとにデヴィッドが知らされた真実とその枷を、意地でも乗り越えようとさせるほどに強固であったために、本篇の物語は転がっていく。デヴィッドとエリースを結びつける縁の強さに、その運命を操作しようとする人々が右往左往する様はどこかユーモラスであると同時に緊張感も漲り、かなり惹きつけられる。導入の異様さとサスペンスの広げ方は非常に巧みで、観ているあいだは面白い。

 ただ惜しむらくは、感情と無慈悲な世界観の相克とが織り成す虚無感に彩られたフィリップK・ディック作品の余韻が、本篇終盤の展開からはそっくり失われていることだ。

 問題は、どうやら映画独自に設けたらしい、ある条件を満たすと、各所のドアが別の場所に通じる、用途制限版“どこでもドア”にあるように思う。調整員の神出鬼没ぶりを演出する材料となる一方で、調整員の存在意義そのものと対比して“何故必要なのか”という部分を納得させる表現がないし、どうにも話を盛り上げるために用いた、という印象が色濃くなりすぎている。フィクションでの便利な道具はたいてい話を盛り上げるためのものだ、というのも事実だが、使ううえで洗練は求められる。本篇は映像のスタイリッシュさ、いい俳優を揃えた感情表現の丁寧さと秘して、そのあたりがぎこちない。

 もうひとつ、ディック作品を下敷きにしたにしては、いささかウェット過ぎる締め括りにも違和感がある――ただこちらの問題については、「ではどんな結末なら、この謎の設定に見合うのか」を問うたとき、より相応しい解答がないのも事実なのである。本篇でやった以上に“その後”を描いてしまえば、作中のいい意味での不安感が拭われ、結末にさらわれてしまう可能性があるし、ある人物の言葉そのものに宿る疑惑、それ自体のもたらす沈鬱な空気を奪ってしまいかねない。この題材を、デヴィッドとエリースの切実な想いに絡めて描く、という選択をした場合、本篇の結末が実はいちばん落ち着きがいいのだ。

 こういう捉え方を成立させるためには、後半で登場するある人物の言葉に疑いを抱く必要があり、恐らくは誰もがそういう見方をしないだろう、という意味で、本篇はそもそも大きなリスクを負ってしまっている。少なくとも、この題材をこのテーマで脚色した場合、“どこでもドア”の不合理を除けばほぼ理想的なまとめ方をしているのは確実だと思われるが、そう感じてもらえる可能性は低いだろう。悪い意味で、少々マニアックに走ってしまった感がある。

 とはいえ、そこまでこだわった見方をせずとも、ユニークな設定を巧みに活かし、ロマンスの風味をまぶしたサスペンスとして、観ているあいだは充分に面白いし、釘付けにされてしまうのも事実だ。終わってみてどう捉えるかは観客の資質次第だが、観ているあいだひとまず愉しめればいい、という人でも――むしろ深く考えない人ほど素直に没頭できるかも知れない。

関連作品:

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ザ・センチネル/陰謀の星条旗

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