原題:“Il Gattopardo” / 原作:ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ / 監督:ルキノ・ヴィスコンティ / 脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、エンリコ・メディオーリ、マッシモ・フランチオーザ、ルキノ・ヴィスコンティ / 製作:ゴッフリード・ロンバルド / 撮影監督:ジュゼッペ・ロトゥンノ / 美術:マリオ・ガルブリア / 編集:マリオ・セランドレイ / 衣裳:ピエロ・トッシー / 音楽:ニーノ・ロータ / 出演:バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ、リナ・モレリ、パオロ・ストッパ、ジュリアーノ・ジェンマ、オッタヴィア・ピッコロ、ロモロ・ヴァリ、セルジュ・レジアニ、イヴォ・ガラーニ、アイダ・ガリ、マリオ・ジロッティ / 配給:20世紀フォックス / 完全復元版配給:Crest International / 映像ソフト発売元:紀伊國屋書店
1963年イタリア、フランス合作 / 上映時間:3時間6分 / 日本語字幕:清水馨
1964年1月18日日本公開
2004年10月23日イタリア語・完全復元版日本公開
2011年9月24日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series2 青の50本》上映作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2011/08/17)
[粗筋]
1860年イタリアは、大幅な政変の波に晒されていた。戦火はシシリアの名門サリーナ公爵(バート・ランカスター)の屋敷のすぐ外にまで及び、信心深い公爵夫人ステラ(リナ・モレリ)を筆頭に著しい動揺を示す。その一方で公爵の甥・タンクレディ(アラン・ドロン)は改革派に与し、市街部にも及んだ戦闘に臨んで身を投じ、戦功を上げていた。
やがてブルボン王朝は倒れ、新たな王ヴィクトル・エマニュエルの統治が始まった。貴族の地位も変化を余儀なくされつつあったが、そのことを痛切に実感しているのはサリーナ公爵ぐらいのもので、生活はすぐに大きく変化はしなかった。
そんななかで、サリーナ公爵の娘コンチェッタがタンクレディに憧れを示し始める。コンチェッタは神父(ロモロ・ヴァリ)を介して父に相談するが、サリーナ公爵は想いを胸に秘めておくよう諭した。戦功を上げ、新しい世界で出世する若者にとって、財産をすり減らすのみの貴族との婚礼は、決して利益にならない。
ある日、サリーナ公爵は一家総出で、地方にある別荘へと赴いた。政変により階級は揺らいでいたが、村長のカルジェロ(パオロ・ストッパ)は歓迎会さえ催して一家を受け入れる。
そこへ、村長に遅れて現れたのが、村長の娘アンジェリカ(クラウディオ・カルディナーレ)であった。サリーナ公爵家の人々にとっても面識のある娘であったが、成長して鄙には稀な美貌を身につけた彼女に、一同はしばし言葉を失う。とりわけ、タンクレディは電流の如き衝撃を受けていた――
[感想]
製作されたイタリアでは、40周年の節目に国家予算を投入、正規のスタッフを招いて修復作業を施すほどに愛されている作品である。日本でも、ルキノ・ヴィスコンティ監督の根強いファンが存在しており、2011年に開催された午前十時の映画祭《青の50本》には、2004年に日本でも劇場公開されたこの修復版が採用されている。
観ると確かに、味わい深い傑作である。大規模な政変の中で、社会に対するあり方の変更を迫られた貴族の、やがて訪れる没落を滲ませた姿を穏やかな、精緻な筆致で描き出している。
作中、直接的に大きな事件は起きない。それ故に、精密に再現された美術や衣裳に興味を持てないと退屈な印象を与えるが、大規模な社会的変革を、当事者の目線を最小限にして、じわじわと描き出す手管は堂に入っている。
理知的で敬愛すべき人物に映るサリーナ公爵が、新しい価値観に寛容たらんとし、それを実践する様は痛ましくも果敢だが、そんな彼の努力を熱情で圧倒し、無に帰しかねない振る舞いを繰り返すタンクレディの姿には、一種破滅的な魅力が漂っている。新しい世界を築こうとする情熱が、それを許容しようとする公爵の諦念に満ちた面持ちと相俟って、逆に頽廃的な色合いを増しているかのようだ。
そんなふたりの前で目まぐるしく表情を変えるアンジェリカの人物像も巧みだ。村長の娘、という背景からは意外なほど洗練された美貌を示したかと思うと、慎みのない笑い声を響かせて、貴族たちを唖然とさせる。
だが、次第にそんな彼女が普通に貴族たちの輪に加わっている。当初は赤く特徴的な軍服に身を包んでいた改革派の青年たちがいつの間にか正規の軍服に変わっている様にも、価値観の激しい揺れが窺える。
穏やかで品性のある描写の中に滲む、甘美とも言える破滅の香り。この佇まいには、魅せられたが最後、溺れてしまいそうな心地がする。
――ただ、如何せん、あまりに描写が地味で、この完全版は3時間を超える長尺となっている。そのために、その芳しい描写に魅せられなければむしろ退屈な作品、と言わざるを得ない。私自身、そういう印象であったために、表現としての素晴らしさ、映像の傑出した構築美などは評価しつつも、ちょっと他人様に薦めるのは難しい、と感じた。往年のヨーロッパを舞台にしたコスチューム劇、静かだが耽美的な描写を愛する人であれば、いちど鑑賞してみる価値は間違いなくある。
関連作品:
『太陽がいっぱい』
『ゴッドファーザー』
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