『最後の猿の惑星』

最後の猿の惑星 [Blu-ray]

原題:“Battle for the Planet of the Apes” / 原作:ピエール・ブール / 監督:J・リー・トンプソン / 原案:ポール・デーン / 脚本:ジョン・ウィリアム・コリングトン、ジョイスフーパー・コリングトン / 製作:アーサー・P・ジェイコブス / 製作補:フランク・キャプラJr. / 撮影監督:リチャード・H・クライン,A.S.C. / 美術:デイル・ヘネシー / 特機効果:ジェラルド・エンドラー / 特殊メイクデザイン:ジョン・チェンバース / 編集:アラン・L・ジャグス,A.C.E.、ジョン・C・ホーガー / キャスティング:ロス・ブラウン / 音楽:レナード・ローゼンマン / 出演:ロディ・マクドウォール、クロード・エイキンス、ナタリー・トランディ、サヴァーン・ダーデン、リュー・エアーズ、ジョン・ヒューストンポール・ウィリアムズ、コリーン・キャンプ、フランス・ニュイエン、オースティン・ストーカー、ボビー・ポーター、ノア・キーン / 配給&映像ソフト発売元:20世紀フォックス

1973年アメリカ作品 / 上映時間:1時間27分 / 日本語字幕:飯嶋永昭

1973年7月21日日本公開

2011年9月21日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray Discamazon|DVDマルチBOX:amazon|コンプリート・ブルーレイBOX:amazon]

Blu-ray Discにて初見(2011/10/04)



[粗筋]

 北アメリカで、シーザー(ロディ・マクドウォール)が叛乱を起こしてから、20年が経った。

 人類の文化は、彼ら自身が引き起こした核戦争によって荒廃した。猿たちは山林に共同体を構築し、生き残った人類とも均衡を保ちながら、独自の生活を打ち立てつつある。シーザーは共同体の王となり、厳密なルールを設定して、巧みに同胞を統率していた。

 だが、猿の中でももともと気性が荒いゴリラたちは、穏健的な政治を行うシーザーに反感を抱いている。とりわけ武闘派のアルド将軍(クロード・エイキンス)は人間の排斥を訴え、シーザーに対する反目を顕わにしていた。

 果たして、自分たちの進んでいる道は正しいのだろうか? 漠たる不安を抱くシーザーに、革命のときから彼に理解を示していた人間であるマクドナルド(オースティン・ストーカー)は、手引となる記録が存在することを教える。それは、“宇宙から訪れた人語を解する猿”――つまりシーザーの両親が、政府の訊問を受けた際の映像である。都市は核戦争により崩壊したが、記録の保管庫は地下にあり、無事に残っている可能性があった。かつての市街はシーザー自身の命によって立入禁止になっていたが、王の権限を用いて踏み込むことを決意する。

 厳重に管理されている兵器を借り出すと、シーザーはマクドナルドと、博識で知られる猿のヴァージル(ポール・ウィリアムズ)を伴って禁止区域へと赴いた。だが、このときまだ彼らは知らなかった――街には、地下に潜ることで核の脅威を免れ、放射線の影響により異常を来した人類が、まだ生き残っていたのである……

[感想]

 衝撃の第1作から5年後に製作された、『猿の惑星』シリーズひとまずの完結篇である。

 この数日で立て続けに鑑賞し、率直に述べてきたとおり、第1作が単独で完成されているためにシリーズ化する意味はあまりなかった、とは言い条、シリーズの後続作品はそれぞれ、狙い自体は間違っていなかった。ただ、ディテールの弱さや考証の緩さが災いし、第1作の批判性を取り戻した第3作を除き、出来映えはいま一歩、と言わざるを得なかった。

 それは完結篇となった本篇も同様である。狙っているところは正しい、しかし完成度ははっきり言って低い。

 第4作が極めて必然的なストーリー展開に終始した、描かれなければいけないから描いた、という内容であったのと同じく、本篇もまた、この推移であれば描かれても不思議のない、猿たちが自らの自由を勝ち取ったあとの世界を描いている。

 第1作や第2作で提示された未来像とは異なっているが、しかし展開として必然的なのは、第3作で示された概念を敷衍すれば解る。展開されている未来図が望ましくなければ、それを避ける方向に現実は動く。SFとしても自然な考え方で、これ自体には問題はない。

 ただ、そのディテールの詰め方が如何にも雑だ。いくら知性が劇的に進歩していたからと言って、まだ発声器官すら発達していなかった印象の猿たちが、前作からほんの20年程度でここまで流暢に言語を操ることが出来るようになるのか。ここに至るまでに核を用いた戦争が繰り広げられたようだが、その影響の描き方がある意味でステレオタイプ、ある意味で空想的すぎるのも気にかかる。2011年現在、放射能というものに現実として悩まされている日本人の眼で本篇を観ると、その影響についての理解があまりに粗雑であることに、むしろ苦笑いしたくなるほどだ。

 だが、そういう細部以上に、ストーリーとしてさほど重みを感じないことが、本篇の何よりの欠点だろう。シーザーが初めて、自分が乳飲み子のときに死んだ両親の“預言”を知り、異なる未来を目指す――というプロットは、一連の流れを踏まえれば当然の筋書きであるし、クライマックスに描かれる出来事もテーマに沿っている。しかし、ストーリーの中心に置かれているのが、野山を舞台としたこぢんまりとした戦闘である、というのが主題の魅力を大いに損なっている。

 核戦争を経て物資は減り、猿たちも、彼らに牙を向けるミュータントたちも乏しい武器しか持ち合わせず、スクールバスやバイクを駆り出したり網で追い立てたり、と戦い方がみすぼらしくなってしまうのは致し方ないとしても、前述したような主題に向けて、大きな流れの変化を示唆したかったのなら、戦いの規模を実際以上に大きく見せる、或いは変化の兆しを感じさせる工夫が必要だったはずだ。本篇はろくに戦略さえ組まず、闇雲に突っこんでいる様を見せているだけなので、波及するものがない。戦闘の迫力、凄惨さも感じられず、正直なところ描くだけ損だった、という気さえする。

 きついことばかり書き連ねたが、まったく見るべきところがないわけではない。少なくとも、前作までを受けて選んだ方向性は間違っていないし、シリーズを通して試みてきた意外性の表現がきちんと行われているのも評価すべきポイントだ。

 そして、第1作から繰り返し口にしてきた言葉が、ここで重要な意味を持ってくるのも注目すべき部分である。“猿は猿を殺さない”――どちらかと言えば無思慮とも考えられるこの台詞を、このシリーズの幕引きの材料にした、その発想は素晴らしい。

 率直に言えば、第4作と本篇については、無理に製作すべきではなかった、という印象が強い。しかしそれでも、宙ぶらりんになりかねなかった物語に、ある程度はしっかりと終止符を打ったことは評価するべきだろう。

関連作品:

猿の惑星

続・猿の惑星

新・猿の惑星

猿の惑星・征服

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