『街の灯(併映:犬の生活)』

『街の灯(併映:犬の生活)』 街の灯 (2枚組) [DVD] チャップリン短篇集1 (1枚組) [DVD]

犬の生活 クレジット

原題:“A Dog’s Life” / 監督、脚本、編集、製作&作曲:チャールズ・チャップリン / 撮影監督:ロリー・トザロー / 美術:チャールズ・D・ホール / 出演:チャールズ・チャップリンエドナ・パーヴィアンス、チャック・ライスナー、ヘンリー・バーグマン、シド・チャップリン / ファースト・ナチュラル・ピクチャーズ製作 / 映像ソフト発売元:紀伊國屋書店

1918年アメリカ作品 / 上映時間:30分 / 日本語字幕:?

1919年7月日本公開

2011年1月29日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

街の灯 クレジット

原題:“Citylights” / 監督、脚本、作曲&製作:チャールズ・チャップリン / 撮影監督:ロリー・トザロー、ゴードン・ポロック / 美術:チャールズ・D・ホール / 編集:チャールズ・チャップリン、ウィラード・ニコ / 音楽:アルフレッド・ニューマン / 出演:チャールズ・チャップリン、ヴァージニア・チェリル、フローレンス・リー、ハリー・マイアーズ、アラン・ガルシア、ハンク・マン、ジョン・ランド、ヘンリー・バーグマン、アルバートオースチン / 映像ソフト発売元:紀伊國屋書店

1931年アメリカ作品 / 上映時間:1時間26分 / 日本語字幕:?

1934年1月13日日本公開

2010年12月22日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

有楽町スバル座にて初見(2012/01/05) ※“オールタイム ベストムービー イン スバル座 メモリアル65TH”の1本として上映



[粗筋]

犬の生活

 空き地で起居している流れ者(チャールズ・チャップリン)はその日、仕事にあぶれ途方に暮れていた。他の犬にいじめられていた犬を助け、懐かれた彼は、犬を伴って、とある酒場に立ち寄る。ひっそりとくつろいでいた流れ者は、ひょんなことから新人の懐メロ歌手(エドナ・パーヴィアンス)と交流を持ち、惹かれるのだが……

街の灯

 当てもなく彷徨っていた流れ者(チャールズ・チャップリン)は、ひょんなことからひとりの奇矯な富豪(ハリー・マイアーズ)と友人になった。酔っ払った挙句に世を儚んで身投げしようとしていた彼の命を救ったのである。

 だがこの富豪、酔っ払っているあいだは流れ者を“友”と呼び、手厚くもてなすが、いったん酔いが醒めるとそのあいだの記憶を一切無くして、流れ者に冷たく当たる。

 そのために流れ者は、ちょっと困った事態になった。流れ者は街角で花売りをしている盲目の少女(ヴァージニア・チェリル)の前で金持ちとして振る舞っていたのである。折しも少女は病で伏せり、流れ者は彼女のために必死で働き、施しを続けた……

[感想]

 今回、有楽町スバル座の開館65周年を記念する企画のなかで、2本立てで鑑賞した。もともとは別々に公開されていたものだが、数あるチャップリン作品のなかでこの2篇を併映にしたのは、絶妙な趣向であったと思う。

 この2作、細かなモチーフ、ユーモアの内容は異なれど、基本的に構造は同じなのだ。主人公は流れ者で、彼を動かすのは心惹かれ合った女性、そこで絶妙な役割を果たすのが気まぐれなキャラクターである、といった具合である。

 しかし、『犬の生活』が全体に素朴であるのに対し、『街の灯』はその題材を掘り下げ、クライマックスの情感を遥かに膨らませている。経緯は似たようなものだが、最後の顛末に工夫を凝らし、僅かな字幕を絶妙なタイミングで提示して、表現に奥行きを生み出している。

 まだサイレント時代の作品はこの2作しか観ていないので断言は出来ないが、『街の灯』はもともと『犬の生活』で提示したモチーフを掘り下げ、深化させることに努めて製作したように思える。尺が短いせいもあったが、善意と悪意のバランスがある意味で“無邪気”でさえあった『犬の生活』の表現に満足のいっていなかったチャップリンが、その匙加減を繊細に調整した結果が、『街の灯』ではなかったか。

 そう考えたとき、『犬の生活』で犬が演じた役割を『街の灯』で補う奇矯な富豪の造形が、特に象徴的だ。『犬の生活』での犬は、自らを救ってくれた流れ者に懐き、マスコット的に振る舞うと共に、あれこれと彼の幸運に貢献する。『街の灯』の富豪も、自らを救った流れ者に友情を示すが、ここで効いてくるのは、酔っているときと醒めているときとで、富豪の性格は一変し、酔っているあいだの記憶も失っている、という点だ。酔っ払っているときの富豪は『犬の生活』の犬さながらに流れ者に尽くすが、酔いが醒めるとまるっきり冷淡になり、進呈したはずの車もあっさりと奪い、邪険に振る舞う。

 少しでも酒が入れば、まさに尻尾を振る如く流れ者にすり寄ってくるさまはいっそ愛嬌を感じさせ、そこがコメディ映画ならではの味になっている一方で、『犬の生活』にはなかった諷刺的な側面も読み取ることが出来る。浮かれているときは強い関心を示すのに、いったん醒めてしまえば一顧だにしない。弱者に対する世間の眼差しを象徴するモチーフ、という解釈が出来るだろう。

 それに対し、チャップリンが演じる流れ者は、最初から最後までぶれない。富豪の関心が自分から失われても未練を示さず、変わらずに盲目の少女に尽くそうとする。そのためにどれほどの不運に見舞われようと恨む様子さえないのが、いっそ清々しい。だからこそ、最後に彼が見せる痛々しい笑顔と、少女の言葉が切ない感動を齎すのだ。

 斯様に、同じテーマを扱いながらも、丹念に掘り下げる一方で、コメディ部分のモチーフは両者で重なる部分がほとんど見当たらないことにも驚かされる。現在に至っても、コメディ映画やテレビで披露されるコントに踏襲されている表現が随所で見られ、しかもその仕上がりは既に完璧に近い。

 この2作品を並べると、チャールズ・チャップリンがどんな映画を求め、理想を形にするためにどれほど精魂を傾けたか、が窺えるように思う。もしこれからチャップリン作品を観てみよう、と考えている方があるなら、いちど2作を続けて鑑賞することをお薦めする。

関連作品:

チャップリンの独裁者

ライムライト

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