原案:浜田廣介『泣いた赤鬼』 / 監督:山崎貴、八木竜一 / 脚本:山崎貴 / CGスーパーヴァイザー:鈴木健之 / アートディレクター:勝又典子 / 音楽:佐藤直紀 / 主題歌:MISIA『Smile』(アリオラジャパン) / 声の出演:香取慎吾、山寺宏一、阿部サダヲ、新堂結菜、YOU、鈴木れい子、湯屋敦子、庄子裕衣、大木民夫、小桜エツ子、加藤清史郎、FROGMAN / 製作プロダクション:白組×ROBOT / 配給:東宝
2011年日本作品 / 上映時間:1時間27分
2011年12月17日日本公開
公式サイト : http://friends-movie.jp/
TOHOシネマズ日劇にて初見(2012/01/19)
[粗筋]
昔々、日本のようなどこかにある村での話。
その村の面した海には、まんなか岩という岩礁を挟んで、もののけ島と呼ばれる島がある。かつて人間ともののけとのあいだで大きな戦争があり、人々が辛うじて追い払ったもののけたちが棲み着いて、恨みを募らせている、と言われる土地であった。村では未だに、あの島に渡ってはならない、という厳しい掟が敷かれている。
だが、竹市(庄子裕衣)という少年がこの掟を破り、もののけ島に上陸してしまった。竹市は近ごろ伏せりがちな母・明野(湯屋敦子)の治療費を工面するため、島に生えているという貴重なキノコを収穫するつもりだったが、まさにその現場を2匹のもののけに見つかり、追い払われてしまう。だがそのとき、こっそりとくっついてきた幼い弟・コタケ(新堂結菜)を置き去りにしてしまった。竹市から事情を聞いた明野と村人たちは、いまごろもののけたちに喰われてしまったに違いない、と悲嘆に暮れ、掟を破った自分たちへの報復を恐れおののく。
しかし同じ頃、もののけたちも途方に暮れていた。彼らは彼らで、人間が成長すれば凶暴な獣になる、と信じこんでいて、幼く無邪気なコタケの扱いに困惑していたのである。
長老(大木民夫)は悩んだ挙句、少年を捕らえることが出来ずにもののけのことを外に漏らす危険を冒した赤鬼・ナキ(香取慎吾)にコタケの面倒を見るように命じる。過去の戦で誰よりも人間に怨みを抱いているナキは拒絶するが、昔からの親友であるグンジョー(山寺宏一)たちもののけの仲間は、どうにか彼に面倒を見させようと説得に赴いた……
[感想]
有名な日本産の童話『泣いた赤鬼』をベースにしている、というが、私には読んだ記憶がない(読んだが忘れたのか、そもそも触れたことがないのかも定かでない)のでどの程度原典に従っているのか断定は出来ない。しかし、童話をベースに、日本らしいファンタジーに仕立てた、と捉えて鑑賞すると、かなり上質だ、ということは言い切ってもいいと思う。
アニメーション大国と言い条、3DCGのジャンルではアメリカのピクサーやドリームワークスが技術的にもデザイン的にも練度が高く、何より投じられる予算の桁が違うので、日本はかなり出遅れている。そんななかにあって、本篇は日本の土着的な匂いが感じられる物語とデザインとを巧く3Dアニメーションに組み込み、調和させたうえで長篇映画として成立させたことは、それだけで賞賛に値することだ。
前述したように、オリジナルの物語についてはごく漠然とした知識(記憶)しか持ち合わせていないが、本篇で提示されたものを素直に受け止める限り、非常によくまとまっている。
ナキやグンジョーとコタケとの交流はかなり有り体ではあるが、心を通わせる過程が明瞭に感じられるし、個性もしっかりしているので情感に膨らみがある。
絶妙なのは、人間たちのもののけに対する認識と、もののけたちの人間に対する認識とが、似たり寄ったりである、という部分だ。人間側からすると、村人がもののけ島に棲み着く存在に抱く畏れはごくごくステレオタイプだが、もののけたちのほうも逆に人間をケダモノのように解釈して、攻め入られることを畏れている、という形で描いているのは着眼だ。この工夫が、双方の出来事を交互に見せられている観客にとって、彼らの振る舞いはそれ自体が笑いとして成立し、更には終盤のドラマに結実している。没交渉であるが故の誤解、無理解といった、現代・現実社会でも経験しそうな描写の数々がそっと盛り込まれ、否応なしに心を揺さぶられてしまう。オーソドックスではあるが、これこそ民話的世界観が描くべき題材であり、恥ずかしげもなく盛り込めることが同時に強みでもある。
プロットの面ではほとんど間然するところのない仕上がりだが、惜しむらくは台詞周りや、一部のモチーフが世界観と馴染んでいないように感じられる点である。既存の妖怪像に囚われないキャラクターにはオリジナルの魅力がある一方で、日本の本州めいた雰囲気のある舞台に、ゴーヤをモチーフにした妖怪というのは少々不自然に思えた――ゴーヤン自体は大変いい味わいを醸しているのだが。
特に、個人的に看過できないのは、「バッター」「ホームラン」「ボート」といった横文字を、かなり無造作に言わせてしまっていることだ。昔の日本をモデルにした舞台設定には、野球など存在するはずもなく、まして人間社会と断絶している妖怪たちがそういうものを知っている、とは考えづらい。「ボート」などは「舟」に言い換えればいいことだろう。他にもゴーヤンが自分の顔のぼつぼつについて問われて「ニキビです」と応える場面があるが、人間の皮膚病であるニキビについて、交流を失っていた(しかも設定を見る限り、人間たちと戦があった当時には生まれてすらいない)ゴーヤンがそんな単語を口にするだろうか。
ただ、こういうところにまで目くじらを立てていると、切りがなくなってしまうのも事実だし、多少の不自然を許容するのもファンタジーに笑いを添える手法のひとつとも言える――実際、3DCGアニメーションの分野で間違いなくトップランナーとして君臨するピクサーでも、肉食を断つサメのような、作品独自の世界観にあっても不自然なモチーフはしばしば目につくのだから。
パンフレットによれば、本篇はアメリカの大手スタジオとは比較にならないくらいに限られた予算とスタッフで製作された、という。確かに、よくよく思い返してみれば決して大規模でないことが窺えるが、観ているあいだはまったく気にならない。とても日本的な世界観、描写を用いた、オリジナリティのある3DCGアニメーションとして、世界に提示しても恥ずかしくない1本であると思う。共同監督と脚本を務めた山崎貴は、CGをふんだんに用いた実写映画を作り続け既に地歩を固めているが、私は彼が発表した諸作のなかで、今のところ本篇が最高傑作と言っていいのではないか、とさえ考えている。
個人的に本篇で一番気になっていたのは、FROGMANの扱いである。
FROGMANは『秘密結社鷹の爪』シリーズなど、監督、脚本、作画、キャラクターデザインに声優までひとりで手懸けた作品で注目された人物である。FLASHを利用し、短期間に作品を完成させる独自のスタイルに、ちょっとした感動も添えつつ笑いを生み出すセンスが魅力なのだが、実はかなりの美声でもある。ほとんどのキャラクターは作り声だが、デラックスファイターなどに窺える地声はマイルドな低音なのだ。
そんなFROGMANの劇場用作品『秘密結社鷹の爪 THE MOVIE 3 〜http://鷹の爪.jpは永遠に〜』で、一部のパートを本篇の山崎貴監督が“友情監督”として手懸けており、その際に発表された対談のなかで、山崎監督がFROGMANにその美声を活かして次回作に声優として出て欲しい、といった会話が行われていた。
山崎監督が直後に発表した『SPACE BATTLESHIP ヤマト』ではFROGMANの参加はなく、そのあとの本篇で満を持しての出演となったらしい。実は私、どういう形で登場するのか、けっこう楽しみにしていたので、それ故に上映終了が見えはじめた頃に駆け込みで鑑賞したわけである。
美声を活かした役柄にするかと思いきや、本篇でFROGMANが演じているのは、作品後半に登場する、村に雇われた侍三人衆全員であった。
しかし、これはもともとひとりで何役も演じ分けているFROGMANの起用の仕方としては最善だったと思う。スタッフロールでは“三悪人”と記されたこのキャラクターが登場したとき、彼の作品を何本も観ている者としてはニヤリとさせられた。
本篇の配役は全般に非常に綺麗に嵌っているが、FROGMANの使い方は、その配慮が行き届いていたことの、最も如実な証明かも知れない。
関連作品:
『リターナー』
『秘密結社鷹の爪 THE MOVIE 3 〜http://鷹の爪.jpは永遠に〜』
『ヒックとドラゴン』
『モダン・タイムス』
コメント
「原案」とは、背景とキャラクターの設定はほとんど共通点がないと思って良いです。なにしろ「泣いた赤鬼」の冒頭には「ココロノヤサシイオニノウチデスドナタデモオイデクダサイオイシイオカシガゴザイマスオチャモワカシテゴザイマス」なんんて張り紙が登場しますから。
ストーリーの骨組みだけを借りているといった感じでしょうか。
その骨組みについては「東京ゴッドファーザーズ」の作中で説明されてましたな。
その貼り紙にまったくピンと来なかったので、私はほんとーに読んでいなかった可能性が大きいようです……。
『東京ゴッドファーザーズ』は時期を逃して未だに観てません。今敏監督作品はぜんぶ観ておく価値がありそうなので、そのうちチェックしてみます。