TOHOシネマズ上野、スクリーン4入口脇に掲示された『ドライブ・マイ・カー』チラシ。
英題:“Drive My Car” / 原作:村上春樹(文春文庫・刊) / 監督:濱口竜介 / 脚本:濱口竜介、大江崇允、 / プロデューサー:山本晃久 / 撮影:四宮秀俊 / 照明:高井大樹 / 美術:徐賢先 / 装飾:加々本麻未 / 編集:山崎梓 / スタイリスト:纐纈春樹 / ヘアメイク:市川温子 / VFXスーパーヴァイザー:小坂一順 / 音楽:石橋英子 / 出演:西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、岡田将生、パク・ユリム、安部聡子、ジン・デヨン、ソニア・ユアン / 制作:C&I entertainment / 配給:Bitters End / 映像ソフト発売元:TC Entertainment
2021年日本作品 / 上映時間:2時間59分 / PG12
2021年8月20日日本公開
2022年2月18日映像ソフト最新盤発売 [DVD Video|Blu-ray Disc|Blu-ray Disc コレクターズ・エディション]
公式サイト : https://dmc.bitters.co.jp/
TOHOシネマズ上野にて初見(2022/3/05)
[粗筋]
舞台俳優で演出家の家福悠介(西島秀俊)には、音(霧島れいか)という妻がいた。元俳優で、幼い娘を病で亡くしたあとに脚本家に転身し、テレビドラマなどで活躍している。
セックスのなかでインスピレーションを得、悠介に語ることで物語を整えていく音との営みは日常だったが、悠介は出張の予定が遅れてマンションに帰った際、音が連れこんだ男と行為に耽る様を目撃する。だが、悠介は音に気づかれることなく部屋を出て、その後も何事もなかったかのように振る舞った。
亡き娘の法事のあと、互いの身体を求め合うと、音はまた悠介に物語の断片を語った。翌る朝、帰ったらゆっくり話したい、という音の言葉に、悠介は日常が壊れる恐怖を覚え、深夜まで家に帰れなかった。ようやく部屋に戻ったとき、音は床に昏倒していた。すぐさま通報するも、彼女はくも膜下出血により、帰らぬ人となってしまった。
――それから2年が過ぎた。
悠介は広島国際演劇祭に招かれ、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』の演出を担当することとなった。滞在期間は2ヶ月。
舞台の際、愛車のサーブ900を運転しながら、台詞の暗唱を繰り返すのがローテーションになっている悠介は、現地の拠点にも、車で1時間ほどを要する場所を要望していた。実行委員会のコン・ユンス(ジン・デヨン)と柚原(安部聡子)はほとんどを要望通りに準備していたが、一点だけ、滞在中は彼らが雇用した運転手に車を任せる手配をしていた。以前に、出演者が現地で人身事故を起こしたことから、運転手の利用を義務づけているという。
コンらが採用した、渡利みさき(三浦透子)という若い運転手に、悠介は愛車が古く運転にもクセがあるので、その技術を確認してから運転を任せるか決める、と告げる。しかし、みさきの運転技術は文句の付けようがなかった。寡黙で無駄話をせず、悠介が亡き妻の吹き込んだテープで台詞を暗唱しているあいだは決して口を挟まない。悠介は彼女に運転を任せることにした。
舞台の準備は配役から始めた。悠介は母国語を問わず役者を募り、複数の言語が入り乱れる手法を用いている。韓国や台湾など、各所からキャストが集まるなか、日本人のなかに、悠介に見覚えのある人物が混ざっていた――
[感想]
佇まいが美しい映画である。
冒頭、性行為のさなかに得た発想を、同衾する悠介に語る音の美しい背中。口にする幻想的なヴィジュアルと、それが乗せられる画面の静謐な艶めかしさに、一瞬で呑まれてしまう。この印象的で象徴的なひと幕で観客の心を掴むと、そこから3時間近い尺、捕らえて放さない。言い替えると、冒頭でしっくりこないと、最後までハマらない可能性はある。
美しくも論理的で、ほとんどがないがしろに出来ない映像で構成されており、緊密な作りだ。しかし、それでいて物語そのものにも、表現にもゆとりがあって柔らかい。
本篇の主人公・家福悠介は俳優であり、実験的な舞台を手がける演出家でもある。物語のなかでは、チェーホフの作品を多国籍のキャスト、手話を含むそれぞれの最も親しんでいる言語で会話する、という手法で上演する。決して一般的ではない、ユニークな方法論で行われる公演を、キャスティングのオーディションから見せ、断続的に公演まで繋いでいくのだが、この制作の過程には静かで逃げがたい緊張がつきまとう。実際の稽古の現場を覗き見ているような、ヒリヒリとした感覚が伝わってくる。
だが、仕事を離れたときの悠介の佇まいは対照的だ。仕事で見せるような品性、謹厳さは留めながら、その表情、物言いはどこか虚ろで、心ここにあらず、という雰囲気を醸し出す。妻の死と、その直前の出来事とが彼の心に及ぼした影響の重さが、地続きの仕事、地続きの習慣のなかから滲み出してくる。描き方は淡々として、やはり佇まいも美しいのだが、それゆえに悠介の姿に虚無が見えるのだ。
社会的な体面を巧みに繕いながらも固い殻に閉じこもってしまったかのような悠介の心は、しかし広島での仕事を通して巡り逢う人びとにより、少しずつほぐされていく――と書くと有り体なのだが、しかし本篇でのその手捌きは実に慎重で繊細だ。演劇祭を支えるスタッフとの交流、意外な因縁のある人物との緊張と奇妙な共感の入り乱れたやり取り。なによりも、広島滞在中の運転手としてスタッフが雇った渡利みさきとの、それぞれのプロフェッショナルに敬意を表していればこその距離感が紡ぎ出していく繊細なドラマが美しい。
そして、こうした交流があればこそ、決して派手ではないクライマックスに悠介を襲う感情の奔流が胸を打つ。それまで、決して漏らさなかった自身の感情を、表現者としてはあまりにも素直で率直な言葉で吐露するひと幕の説得力は、繊細な描写を静かに蓄積してきたからこそ成立する。
製作時に直撃したと思われるコロナ禍を織り込んだエピローグまで、決して説明的な台詞に頼ることなく、節度と品性のある映像で登場人物たちの状況、心情を繊細に綴っている。そこに何らかのメッセージを感じるのもいいが、表現の奥行きを無心に噛みしめるのもいい。芳醇な味わいのある、邦画史に名を残すであろう傑作である。
関連作品:
『任侠学園』/『シン・ウルトラマン』/『鬼談百景』/『七つまでは神のうち』/『銀魂2 掟は破るためにこそある』
『おくりびと』/『万引き家族』/『Wの悲劇』/『グラン・トリノ』/『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』
『有吉の壁 カベデミー賞 THE MOVIE』
コメント