『ペイルライダー』

ペイルライダー [Blu-ray]

原題:“Pale Rider” / 監督、製作&主演:クリント・イーストウッド / 脚本:マイケル・バトラー、デニス・シュリアック / 製作総指揮:フリッツ・メインズ / 撮影監督:ブルース・サーティース / プロダクション・デザイナー:エドワード・C・カーファグノ / 編集:ジョエル・コックス / 音楽:レニー・ニーハウス / 出演:マイケル・モリアーティ、キャリー・スノッドグレス、シドニー・ペニー、リチャード・キールクリストファー・ペン、リチャード・ダイサート、ダグ・マクグラスジョン・ラッセル、チャールズ・ハラハン、マーヴィン・J・マッキンタイア、フラン・ライアン、リチャード・ハミルトン、グレアム・ポール、ビリー・ドラゴ、テレンス・エヴァンス、ジョン・デニス・ジョンストン、ランディ・オグレスビー / マルパソ製作 / 配給:Warner Bros. / 映像ソフト発売元:Warner Home Video

1985年アメリカ作品 / 上映時間:1時間45分 / 日本語字幕:岡枝慎二

1985年9月21日日本公開

2010年4月21日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray Discamazon]

Blu-ray Discにて初見(2012/05/09)



[粗筋]

 カリフォルニア州の丘陵地帯にキャンプを作り、砂金を掘り続けているハル(マイケル・モリアーティ)たちは最近、近隣の地主ラフード(リチャード・ダイサート)から頻繁に嫌がらせを受けている。水圧による掘削を行っているラフードは、ハルたちが採掘権を獲得したその丘陵を奪うために躍起になっているのだ。

 襲撃で破壊されたキャンプを修繕するため、街まで買い出しに赴いたハルはそこで、ラフードの部下たちからリンチを受けそうになる。そこへ偶然通りかかった男(クリント・イーストウッド)が、複数の暴漢をあっさりと叩きのめし、ハルを救い出した。ハルは恩義を感じて、男をキャンプへと連れていく。

 ハルと懇意にしているサラ(キャリー・スノッドグレス)は、得体の知れない男を連れてきたことに憤るが、それはすぐに驚愕に変わった。着替えをして現れた男は、牧師の服をまとっていたのである。

 明くる日、ハルが遠慮するのも構わず、牧師が彼らの仕事を手伝いに赴くと、そこへラフードの息子ジョシュ(クリストファー・ペン)と部下のクラブ(リチャード・キール)が現れた。牧師を痛めつけようという魂胆だったが、牧師は巧みな立ち回りであっさり返り討ちにしてしまい、彼のことを胡散臭く思っていた砂金掘りの同僚たちをあっさりと魅了してしまう。

 ジョシュから報告を受けたラフードは、牧師が信仰でハルたちの抵抗力を取り戻してしまうことを怖れ、ハルやサラ母子と共に買い出しに現れた牧師を籠絡しようとする。暴力的な解決を示唆するラフードに対し、牧師は敢えて高額の立ち退き料を要求、その口約束を携えて、ハルの仲間たちに意向を訊ねるが、ハルたちはこの提案を拒絶した――

[感想]

 クリント・イーストウッドといえば、もともと西部劇から出て来た俳優、というイメージがある。事実、セルジオ・レオーネ監督との3作に始まり、初期は西部劇は多かったし、初のアカデミー賞受賞を果たした『許されざる者』も西部劇だということを思えば、イーストウッド自身もそういうイメージで語られることを拒絶はしていないだろう。ただ、“正統派”とは言えないし、恐らく当人も、そう一括りにされることを好んではいないのではなかろうか。

 テレビで人気を博したことから始まったためになかなか映画に出られず、わざわざイタリアの監督の作品に出演した、という最初の経緯が理由かも知れない――というのはきっとうがち過ぎだろうが、イーストウッドの出演する西部劇はシンプルとは言い難い。選ぶ出演作全体も一風変わったものが多いが、特に自身がメガフォンを取った西部劇はほとんど“異色作”なのだ。『荒野の用心棒』以来の“名無し”キャラを極端に研ぎ澄ませたような奇妙な作品『荒野のストレンジャー』に始まり、最終的に異色のコミュニティを完成させる大作『アウトロー』、そしてまさに“最後の西部劇”に相応しい渋味と重量感のある『許されざる者』まで、ことごとく一筋縄では行かない。

 現時点ではイーストウッドにとって最後から2番目の西部劇であるこの作品は、この流れからするとどこか正統派だ。理不尽な迫害に苦しめられる人々を、ふらりと現れた流れ者が助ける。最後には感謝されながら姿を消す、という展開まで、『シェーン』で完成された西部劇のひとつの定石に従った印象だ。

 ただ、骨格こそ正統派に見えても、ディテールは実に食わせ物なのである。まず、迫害される側がもともと定住していた者ではなく、正統的な権利を持っているとは言い条、漂泊してきた人々であるということもそうだが、それを鉛の弾を以て救うのが神職である、というのが人を食っている。物語か進むなかで、果たして彼が真っ当な牧師であるのか不明瞭になるよう描かれており、その意味ではイーストウッドが長年演じてきた“謎の人物”の亜種に過ぎないのだが、一見オーソドックスな骨格にこの人物像を投げ込むことで、奇妙な波紋を齎しているあたりが、イーストウッドらしい。

 その戦い方も、正統派の西部劇として見ようとすると違和感を覚えるはずだ。相手の隙を巧みに誘って不意打ちを食わせるスタイルは、効果的だがヒーロー的ではない。それ故にクライマックスでの決闘も、鮮やかではあるが、胸のすく、というものではなく、不思議な余韻に繋がっている。これも一見、定石に従っているように見せかけたラストシーンにしても、その前の出来事があるために、余計奇妙な印象を膨らましているのだ。

 ストーリーの面で細かなひねりを施す一方、西部劇ならではの映像の美しさを丹念に追い求めているあたりにも、イーストウッドならではの矜持を感じる。砂金の採集をする人々の姿を、決して小綺麗にはせず、しかし程良い汗臭さを湛えつつも美しく描き出し、一風変わったクライマックスにあっても構図に美学を刻みこむことを忘れない。色彩にも一貫性を覗かせる映像は、『許されざる者』や2000年以降の絶頂期の風格に早くも到達している。

 自身が撮った数が案外少ないことを思うと、もっと重量級のものが欲しかったようにも思えるが、しかし彼らしいクセモノぶりと洒脱さの滲む、イーストウッド流の軽みが光る好篇である――とはいえ、“普通の西部劇”を求めて鑑賞した場合、たぶん妙な困惑は避けられないところではあろうが。

関連作品:

荒野の用心棒

荒野のストレンジャー

アウトロー

ガントレット

許されざる者

グラン・トリノ

シェーン

フューネラル/流血の街

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