原題:“Bird” / 監督&製作:クリント・イーストウッド / 脚本:ジョエル・オリアンスキー / 製作総指揮:デイヴィッド・ヴァルデス / 撮影監督:ジャック・N・グリーン / 美術:エドワード・C・カーファグノ / 編集:ジョエル・コックス / キャスティング:フィリス・ハフマン / 音楽:レニー・ニーハウス / 出演:フォレスト・ウィテカー、ダイアン・ヴェノーラ、マイケル・ゼルニカー、サミュエル・E・ライト、キース・デイヴィッド、マイケル・マクガイア、ジェームズ・ハンディ、デイモン・ウィテカー / マルパソ製作 / 配給&映像ソフト発売元:Warner Bros.
1988年アメリカ作品 / 上映時間:2時間40分 / 日本語字幕:大野隆一
1989年3月31日日本公開
2010年4月21日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]
DVD Videoにて初見(2012/06/07)
[粗筋]
1954年、チャーリー・パーカー(フォレスト・ウィテカー)通称“ヤードバード”はヨードを服用し自殺を図り、精神病院に担ぎ込まれる。原因は、2歳の娘を失ったことと、仕事の行き詰まりである。ミュージシャン・バードはかつて世話になったジャズ・シンガーのチャミー・モレロにツアーへの同行を請われ復活の機会を与えられるが、妻のチャン(ダイアン・ヴェノーラ)は治療の方向性と費用の問題で医師と揉め、夫チャーリーの命は予断を許さない状況に陥っていた……
チャーリーは決してはじめから才能豊かなミュージシャンではなかった。若い頃に始めて受けたオーディションでは陳腐な演奏で共演者からも不興を買ったが、やがてディジー・ガレスピー(サミュエル・E・ライト)とともに“ビバップ”というスタイルを開拓、人気を獲得していく。
しかしその一方で、生活は荒廃していた。幼いころから麻薬に溺れ、完全に中毒者となっていて、悪癖をなかなか切り離せない。どうにか薬物を断とうとすると、その代わりに酒に逃避してしまう。彼の身体は病魔に蝕まれ、痛みから逃れるためにふたたび薬物に手を出す、という悪循環が続いている。ステージに立てば優れた演奏を披露するが、生活に追われ、バードは常に金欠に喘いでいた。
南部では未だビバップは受け入れられず、現地での興行が不調に終わったことでディジーと一時袂を分かったあと、チャーリーはレッド・ロドニー(マイケル・ゼルニカー)という若い白人トランペッターを加えたバンドで巡業を行う。本拠であるニューヨークには彼の名にちなんだジャズクラブ“バードランド”が開業し、音楽家としては決して不遇ではなかったが、そのあいだもチャーリーの身体は蝕まれ、ボロボロになっていった……
[感想]
クリント・イーストウッドは筋金入りのジャズ愛好家であったらしい。近年は自身の作品で自らがスコアを手懸け、ジャズテイストの音楽で彩っていることからも明白だが、映画作りにおいて、その趣味を前面に押し出したのは、恐らく本篇が最初だった。『愛のそよ風』以来、久しぶりに自身が出演せず監督に専念した本篇は、ジャズの歴史における重要人物のひとりチャーリー・パーカーの半生を辿った、これも考えてみれば初めてとなる伝記的な作品でもある。
初めて尽くしではあるが、しかし長年に亘って鍛え上げてきた演出手腕と、ジャズというものに対する愛情が奏功したのか、貫禄すら感じさせる重量のある仕上がりである。
よくある伝記映画のように、若かりし頃、駆け出しであるが故の苦難から綴っていない。本篇ではいきなり、死までさほど遠くない時期の苦悶の姿を捉え、ほとんど断ることなく回想シーンに流れ込んでいる。漫然と観ていると混乱する、という意味ではあまり上策ではないが、しかしこの手法がバード晩年の、非常に混乱した思考を反映しているようで、彼が味わったであろう懊悩が生々しく感じられる。妻チャンとのロマンスや、仲間たちとの交流に一種青春ドラマのような爽やかさもところどころ滲むだけに、余計闇が引き立てられるかのようだ。
そして、そうして心身を磨り減らしながらも臨む演奏の迫力が凄い。一連のライヴ・シーンは、チャーリー・パーカー本人の演奏を記録から抽出し、製作当時のミュージシャンたちが共演することで、近代の音響にマッチした演奏を構築したものだというが、その臨場感だけでも観る価値がある、と言いたくなるほどの完成度である。作品の内容自体は地味でいささか渋すぎる感があるのに、これほど時間と費用を投じて徹底したものを作り出せるのは、クリント・イーストウッドという人物が築きあげた地位と、彼のジャズに対する情熱があってこそだろう。これ以降にも実在のミュージシャンを題材とした傑作は幾つか生み出されているが、時代の重みとともに臨場感まで表現した演奏シーンを組み込んでいるものはさほど類例が思いつかない。強いて言うならアカデミー賞に輝いた『Ray/レイ』ぐらいのものだろう――しかもあちらは撮影当時、モデルとなったレイ・チャールズが辛うじて存命で、音源にも恵まれていたのだから。
物語としてはいささか悲惨な結末である。事実の通りであるとは言い条、あまりに呆気ない幕切れとも言える。しかしそこで、バードの遺体を前に交わされる短い会話が、実に強烈に印象づけられるのは、現在と過去とを激しく行き来し、異様な厚みで晩年を描いているからこそだ。何も知らないうちに身につけてしまった悪癖に身を蝕まれていたからでもあるが、これほど濃密な人生を送っていたから、あの結果を招いたとも言える。
バードが音楽というものに抱いていた信念、理想といったものを敢えて強調して描こうとしていないため、恐らくジャズにさほど知識のない人は、彼の功績について、本篇を観たあとでも理解はしづらいだろう。ただ、その情熱と、音楽や人柄が醸しだした魅力は十分すぎるくらいに伝わるはずだ。
クリント・イーストウッド監督の現在に至る作風のベースは、この辺りまでにおおよそ確立はされていた。しかし、本格的に優れた演出家としての手腕が認められた、監督イーストウッドの真の出世作は本篇だ、と言うべきかも知れない。事実、本篇からわずか4年でイーストウッドはオスカーに輝く『許されざる者』を撮り、そして2000年代の黄金時代に突入する。バードの壮絶な運命を描き出した本篇こそが、映画人クリント・イーストウッドの快進撃の端緒だったのだ。
関連作品:
『Ray/レイ』
『愛のそよ風』
『チェンジリング』
『J・エドガー』
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