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世界の心霊写真 ~カメラがとらえた幽霊たち、その歴史と真偽

世界の心霊写真 ~カメラがとらえた幽霊たち、その歴史と真偽

 こちらは12日、コミケに行く途中に立ち寄った書店にて購入。実は待望の1冊でした。どのくらい待望だったかというと、2009年10月25日に参加した新耳袋トークライブ69にて木原浩勝氏がアメリカにて発見したこれの米国版に言及し、その翌年ぐらいに訳出決定、という話を聞いて以来ですから、本当に2年掛けで待ち焦がれていたのです。

 題名通り、世界中の心霊写真を網羅した書籍ですが、特筆すべきは、常に検証的な目線で写真を捉えていることです。日本の素性不明な霊能力者のように安易に地縛霊だ浮遊霊だ持っていると祟りが、などという独自のロジックは用いない。撮影の時期と場所が特定されていればその点を考慮し、二重露光などのトリック、何らかの染みや模様が偶然に天使や聖母に見えた“シミュラクラ”であることが考えられるならきちんと指摘する。検証不能であるものや、宗教的背景によって特別なものと解釈されることに理解のいくものについては、懐疑的な態度を示しつつも距離を置くバランス感覚も巧みです。

 事実上本書を紹介することになった木原氏が自ら執筆した解説でも触れている通り、本書で注目すべきは、日本ではたぶん発見されることも乏しい、天使や聖母マリアのシミュラクラを採り上げている点でしょう。自然と、文化的な背景もこうした“心霊写真”を導き出すことを示してもいる。

 既にフェイクであることが判明しているコティングレイの妖精の写真やエクトプラズム、更には燃える家の中に現れた少女の姿など、どこかで観たことのある写真について、来歴や丁寧な検証を行っている一方で、あまり馴染みのないものや、デジタルカメラ普及以降の写真を幾つか掲載し、そちらについても可能な限り検証を施してます。簡単に説明のつくものもありますが、多くは「トリックや偶然の産物である可能性は否定出来ないが、それでは満足のいく説明が出来ない」ものを採り上げている。非常に冷静かつ考察的で、日本に従来存在した多くの心霊写真本のような胡散臭さがない。たとえば亡くなった家族であったり、未練を残す人物が現れた、という解釈をすることにも、柔らかなユーモアで理解を示していて暖かみもある。

 上で触れたイベントの中では、木原氏を筆頭にみーんな英語が不得意な状態なので、キャプションに何が書かれているのかよく解らない、ただ安易な“心霊科学”で読み解かれているわけではない、というのが察せられる状態で愛でていたのですが、こうして翻訳されたものを読むと、想像していたよりも更に冷静に記されています。木原氏が発見したのはアメリカででしたが、実はこうしたオカルト研究の老舗たるイギリスにて刊行されたものだったそうで、ならばこの考察の深さとバランス感覚も納得がいく。

 本当は2分冊になっているものなのだそうですが、とりあえず1冊だけ訳出し、好評であればもう1冊も刊行する、という考えのようです。胡乱な単語ばかりが並べ立てられた、いい加減な心霊写真本に苛々していたような、ごく真面目なオカルト愛好家なら持っておいて損のない1冊だと思います。そうでなかったとしても、撮影機材が解るものならそこにまで言及して検証しようとする本書の姿勢は、却ってこうした写真の発掘、冷静な検証のきっかけにもなり得る。是非とも購入して、続刊の発売を後押ししていただけると幸い。

 しかしこの邦訳、ただ一点、巻末に収録された解題だけは評価出来ない。

 せっかく慎重なスタンスで懐疑的にも肯定的にも言及していた本文をところどころで台無しにしている。確かにオーブはデジタルカメラの普及とともに多発したことから、同様の現象の多くがそこに起因している可能性が疑われますが、しかし埃や水滴に焦点が合ったゆえのピンぼけ、で説明出来るほど単純ではない。

 一部の写真について得々と科学的っぽい解釈を述べているようでいて、映っているものの状態を正しく理解していなかったり、幾つも考えられる解釈のひとつであることをまったく考慮していない文章も見受けられる。この解題を書いた人のセンスはこの本には致命的に相応しくないのに、署名すらされていない。もう1冊が刊行されることがあっても、この解題を執筆した人は採用しないほうが無難かと思われます。個人の名義で提示する書評ならこういう書き方も許されますが、ひとの本でやっていいことじゃないぞ。

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