原題:“SPL 殺破狼” / 監督:ウィルソン・イップ / アクション監督:ドニー・イェン / 脚本:ウィルソン・イップ、セット・カムイェン、ン・ワイラン / 製作:カール・チャン / スタント・コーディネーター:谷垣健治 / 撮影監督:ラム・ヤーチュン(H.K.S.C.) / プロダクション・デザイナー:ケネス・マク / 編集:チェン・カーファイ(H.K.S.E.) / コスチューム・コンサルタント:ブルース・ユー / コスチューム・デザイナー:スティーヴン・ツァン / 音楽:チャン・クォンウィン、ケン・チャン / 出演:ドニー・イェン、サモ・ハン・キンポー、サイモン・ヤム、ウー・ジン、リウ・カイチー、ダニー・サマー、ケン・チャン、オースティン・ワイ、ティミー・ハン、リャン・ジンケー、ヴィンセント・ツェー、谷垣健治 / 1618アクション・リミテッド / 配給:Media Suits / セル版映像ソフト発売元:Warner Home Video / レンタル版映像ソフト発売元:KLOCKWORX
2005年香港作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:小木曽三希子 / R-15
2006年3月4日日本公開
2006年6月23日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon]
公式サイト : http://www.spl-movie.com/ ※閉鎖済
DVD Videoにて初見(2012/07/02)
[粗筋]
1994年、香港。マフィアの大物ポー(サモ・ハン)の裁判は証拠不十分で不起訴、無罪放免となった。証人として出廷するはずだった人物が護送中に車で襲撃され、妻共々絶命したためである。証人を護送していたチャン刑事(サイモン・ヤム)は、証人の娘ホイイーを養女として迎え入れる一方、ポーに対する復讐の念を滾らせ、虎視眈々と逮捕の機会を窺った。
それから3年の月日が流れた。チャンは襲撃されたあとで行われた精密検査により、事故とは関係のない脳腫瘍が見つかっており、療養もあって退職を余儀なくされた。代わりに彼らの部署に派遣されたのは、マー刑事(ドニー・イェン)である。ワー(リウ・カイチー)たちチャン直属の部下は、荒くれ者揃いである部署を率いられるか懐疑的だったが、格闘の果てに殺人犯に脳障害を与えてしまうほど気性の荒いマーを最初から信頼する。
が、そんな矢先に、事件が起きる。かつて、チャンたちが潜入捜査のために送りこんだ部下が、殺害されて発見されたのだ。悔恨の念に襲われるチャンだったが、彼らのもとにひとりの少年が現れ、事態を発展させる。少年は偶然にビデオカメラで、犯行の一部始終を撮影していたのだ。チャンの部下はポーによって暴行されたあと、ポーの部下によって射殺されていた。
しかし、この証拠ではポーを殺人で起訴することは出来ない。そこでチャンは、処刑の部分の映像を削除してポーひとりが犯人であるように装って証拠を提示、ポーを逮捕する。チャン退職のリミットまで僅か、拘留期限は2日間。そのあいだにポーを投獄するべくチャンたちは奔走するが、しかし彼らを待ち受けていたのは、ポーの壮絶な反抗だった……
[感想]
ブルース・リーからジャッキー・チェンへと繋がるラインが育てたカンフー映画と、ツイ・ハークやジョン・ウーに端を発するノワール――香港映画が世界に通じる個性に磨き上げたこのふたつの流れが、近年、香港映画の成熟に合わせ、融合するケースが時折目につくようになった。他ならぬ前者の立役者であり、未だに“動けるデブ”というキャラクターを通しながら、貫禄を身につけたサモ・ハンが本篇同様に犯罪組織のドンを演じた『血戦 FATAL MOVE』もそうだが、本篇はこのふたつの流れを、より自然に、高いレベルで融合させた傑作である。
ノワールは犯罪組織に籍を置く者のみならず、それと対峙する警察でさえも腐敗と無縁ではない、という観点から、運命の皮肉や、現実の不条理さを摘出したドラマへと昇華していく。派手なドンパチを繰り広げて締めくくることも出来るが、しかしそこにセンスがなければ観客の胸を震わせるものにはならない。だが他方で、その勘所を理解していれば、荒唐無稽な、或いは常識離れした身体能力で繰り広げられるアクションを導入しても、決して違和感はもたらさない。むしろ、アクション映画に存在した、“ヒーローが勝たないとカタルシスに繋がらない、話として受け入れられない”というジレンマを、ドラマの要素として組み込むことで解消出来るわけだ。更に言えば、香港のカンフー映画は暗い復讐劇が多かった、という側面もあり、このふたつのスタイルを個性として育ててきた香港映画では、いずれ融合されて然るべきだったのかも知れない。
このあとに製作された『血戦 FATAL MOVE』は、シリアスな部分とアクション・パートの荒唐無稽さがアンバランスで、面白いが歪な手触りのある作品だったが、やや先んじて発表された本篇は、巧みなバランスが保たれている。
恐らくは、シリアスさや生々しさを留めながらもダイナミックなストーリー展開を繰り広げており、その枠がアクションとうまく調和しているからだろう。プロローグ部分の衝撃的な出来事、時を経て描かれるチャン刑事達のいささかダーティな振る舞い、そういうハイテンションだが危険を孕んだ雰囲気に、ドニー・イェンが牽引する激しいアクションが実にうまく溶けあっているのだ。
ぬるいアクション映画に慣れた目には、本篇中盤の展開は壮絶に映ることだろう。刑事達が容疑者を私刑にかけ、反撃で大半が命を落とす、という流れは、やもするとあまりに破天荒に感じられそうだが、序盤から構築された世界観が観客にそれを許容させ、打ちのめす。クライマックス、ドニー・イェン演じるマー刑事の世界を焼き尽くす如き怒りの炎と、それ故の破壊力を示す戦いぶりにも、だから説得力が付与される。
しかし、本篇をただのマーシャル・アーツ映画にも、雰囲気だけのノワールにも留めていないのは、その結末ゆえだ。ある意味非常に意外性のある締め括りは、シンプルさを求める人にとっては噴飯物の趣向に違いないが、しかし最後の出来事が登場人物たちの業の深さをくっきりと浮き彫りにするさまは、仏教や儒教をベースとする香港映画の価値観ならではの手触りがある。そして、その虚無的な余韻は、単なるアクション映画では表現し得ず、しかしあの壮絶な決戦なくして充分には演出しきれなかったはずだ。
ゆえに私は、本篇は生まれるべくして生まれた作品である、と考える。本篇以降、ドニー・イェンはウィルソン・イップ監督と立て続けに組んでいるが、それも当然と言えよう――ドニー・イェンが志向していたと思われる作品像を、たぶん本篇は極めて高いレベルで完成させている。そして、このコンビだったからこそ、現代カンフー映画の頂点たる『イップ・マン』2部作に繋がったのだ。
関連作品:
『捜査官X』
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